2015N5句

May 0152015

 囀りや野を絢爛と織るごとく

                           小沢昭一

鳥たちは春が来ると冬を越した喜びの歌を一斉に唄う。それぞれの様々な声は明るく和やかである。折しも芽生えた若葉の色彩と相まって野は誠に錦織なす絢爛さを醸しだす。こうした雰囲気に満ちた山野に身を置けばとつぷりと後姿が暮れていたお父さんの心にも春がやって来てしまう。お父さんもまた織り込まれた天然の一部となって「あは」と両手を広げる。本誌では小沢昭一100句としての特集であるが、所属した東京やなぎ句会では俳号を変哲という。他に<父子ありて日光写真の廊下かな><春の夜の迷宮入りの女かな><ステテコや彼にも昭和立志伝>など小沢節が並ぶ。「俳壇」(2013年5月号)所載。(藤嶋 務)


May 0252015

 春暑き髪の匂ひや昇降機

                           小泉迂外

ールデンウィーク前に東京は夏日、北海道では十七年ぶりの四月の真夏日だったという。いわゆる、いい季節、が短くなってゆくこの頃、なるほど春暑しか、と思ったが、常用している歳時記には無く見慣れない。そこで周りに聞いてみると、なんか詩的じゃない言葉ね、と言われた。確かに、惜しむはずの春がうっとおしく感じられる気もするし、夏近し、のような色彩も期待感もなくなんとなく汗ばんでいる。しかし、掲出句のエレベーターの中で作者が感じ取った髪の匂いは、夏の汗の臭いのようにむっとするほどでなく、かといって清々しいというわけでもなく、どこか甘く艶めかしい、まさに春暑き日の名残の匂いだったのだろう。何が詩的か、とはまことに難しい。『俳句歳時記』(1957・角川書店)所載。(今井肖子)


May 0352015

 ピアノは音のくらがり髪に星を沈め

                           林田紀音夫

髪のピアニストが、音の光を奏でています。十指で鍵盤を叩くと、それは88本の弦に響き、流線型の黒い木箱が共鳴するとき、音は深く混ざり合う。単純ではないその音色に、人は喜びや楽しさに加えて、切なさや鈍痛をも耳にします。「音のくらがり」のないところに、「星」をみることはできません。ロマン・ポランスキー監督作品に、「戦場のピアニスト」という映画がありました。ポーランドの国民的作曲家であったユダヤ人のシュピルマンは、第二次世界大戦のさなか弾圧と逃亡の日々を過ご しますが、隠れ家でひそかにピアノを弾いていたところをドイツの将校に見つかります。しかし、その音色が美しかったので、連行されずに生き延びます。当時、ワルシャワには30万人のユダヤ人がいた中で、生き残れたのは22人。シュピルマンは、その一人です。聞いたところによると、シュピルマンの息子は、日本人女性と結婚して、現在、日本の大学で日本の政治を研究しているそうです。今日は憲法記念日です。憲法が国家の倫理なら、それは積極的なアクセルを踏もうとする合理主義にブレーキをかけるはたらきでしょう。国家という乗り物に必要な装置は、アクセルではなくまず第一にブレーキです。倫理とは、いいことをする正義ではなく、いいことをしようとする積極的な正義に対して待ったをかける 落ち着いたおとなしさです。日本の憲法は、人類の歴史で初めて、大人の落ち着きを成文化しました。憲法記念日の今日、砲弾ではなく、ピアノの音が永続できる日であることを願います。『林田紀音夫全句集』(2006)所収。(小笠原高志)


May 0452015

 幾たりか我を過ぎゆき亦も夏

                           矢島渚男

にしみる句だ。そんな年齢に、私もさしかかってきたということだろう。「過ぎゆき」は、追うこともかなわぬ遠くの世界へ行ってしまうことであり、年を重ねるに従って、そうした友人知己の数が増えてくる。そしてもちろんそんなことには頓着なく、いつものように夏はめぐってくるわけだが、加齢につれてだんだん「亦も」の思いは濃くなってくる。季節の巡りを人間の一生になぞらえれば、夏は壮年期に当たる。すなわち、未だ生命の「過ぎゆく」時期ではない。春に芽吹いた命が堅実に充実し結実してゆく季節である。逆にだからこそ、過ぎていった者たちの生命のはかなさが余計にそれこそ身にしみて感じられるのであり、現実世界の非情が炎暑となって我が身をさいなむようにも思われたりするのだ。『百済野』所収。(清水哲男)


May 0552015

 乗り継いでバスや都電や子供の日

                           小圷健水

日こどもの日。古来より男児の健全な成長を祝う端午の節句だったが、1948年に「こどもの人格を重んじ、幸福をはかるとともに、母に感謝する日」として国民の祝日となった。掲句は目的地に行く手段というより、乗り物好きの子供へのサービスのように思われる。赤ん坊や子供の乗りもの好きは、絵本や玩具に、あらゆる乗りものグッズが充実していることに表れている。わけても男児にその傾向が強く、プラレールに夢中になり、ミニカーを集め、なかにはすべての電車の名前をそらんじてしまう子もいるほどだ。それは鮮やかな色やかたち、規則的な動きなどに新鮮な刺激を受けていると考えられている。わが子がバスや都電にはずむように乗り込む姿に、父はふと遠い記憶を重ねる。乗りもの好きをさかのぼれば、それは抱っこや肩車から始まっていることに気づき、いっそう愛おしく思われるのだ。句集には〈大皿に向きを揃へて柏餅〉や〈ざつくりと二つに切つて菖蒲風呂〉も。子供の日の香り立つような時間がおだやかに描かれる。『六丁目』(2015)所収。(土肥あき子)


May 0652015

 矢車の音に角力の初日かな

                           桂 米朝

の児の成長を願う鯉のぼりが、四月のうちから青空に高く泳いでいる、そんな光景がまず見えてくる。大相撲とちがって「角力」と書く場合は「草相撲」を意味するのが一般的だから、鯉のぼりの竿の先でカラカラと風にまわっている矢車の音があたりに聞こえ、同時に力強い鯉のぼりも眺望できる場所で角力大会の初日を迎えた。今や懐かしい風景であり、晴れ晴れしい。すがすがしい風に矢車の音が鳴って、地域の角力に対する期待があり、観戦の歓声も聞こえているのかも知れない。いや、「角力」を「大相撲」と解釈して、その初日へ向かう道中でとらえられた「矢車の音」としてもかまわないだろう。本年三月に亡くなった米朝は上方の人だが、大阪場所は例年三月の開催。季語「矢車」は夏だから、時季は大阪場所では具合が悪く、両国国技館での五月場所のほうが整合性がある。ちなみに、今年の五月場所の初日は四日後の5月10日である。楽しみだ。米朝は小学生の頃から俳句に興味を持ち、旧制中学では芭蕉、蕪村、一茶などを読みふけり、「ホトトギス」や「俳句研究」までも読んでいたという。掲出句は《自選三十句》中の一句であり、他に「咳一つしても明治の人であり」がある。『桂米朝集成』第4巻(2005)所収。(八木忠栄)


May 0752015

 ハイヒール山に突き刺し夏に入る

                           加納綾子

休の高尾山は人出が多く山道も渋滞する。地方では考えられないことだが、混みあって前に進めぬ山道を初めて体験した。山道を行く人々は山歩きの服装が多いが、ロープウェイで来たのかミニスカートにハイヒールといった街歩きの格好をした女の子も時折見かける。一足ごとにハイヒールの高い踵が柔らかい赤土にめり込んで歩きにくそうだが、本人はまったく苦にしていない様子。満員電車のピンヒールは凶器に思えるが、ハイヒールの踵で突き刺される山もたまったもんじゃないだろう。自然に優しくない「突き刺す」という表現が怖いもの知らずの若さを表しているように思える。この果敢さで暑くてうっとうしい夏をある時はハイヒールで突き刺し、ある時は尖った爪先で蹴散らしてゆくことだろう。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)


May 0852015

 口あけて顔のなくなる燕の子

                           大串若竹

は春に渡来して人家とか駅舎とか商店街の軒先とかに巣を作って産卵し育て、秋には南方に去る。その尾は長く二つに別れた、いわゆる燕尾である。人間に寄り添って巣を作るので燕の子にも一段と親しみを覚える。毎日その成長を見上げては楽しんでいるのだが、子は四五匹ほど居るので生存競争も激しそうだ。精一杯口をあけて顔中を口にして、親鳥の餌をねだる。ねだり負ければ成長に負ける事になる。それを見上げる人間も口をいっぱいに飽けて眺める事とはなる。<風鈴の百の音色の一つ選る><甚平やそろばん弾く骨董屋><母の日に母に手品を見せにけり>なども所収される。『風鈴』(2012年)所収。(藤嶋 務)


May 0952015

 薔薇咲くや生涯に割る皿の数

                           藤田直子

り乱れる薔薇の花弁から割れた皿の破片を思い浮かべるのと、割れてしまった皿の欠片を見た時そこに薔薇のはなびらが重なって見えるのとでは印象が異なるだろう。割れた皿の欠片からさえ、美しく散る薔薇を連想するという想像力と美意識が、この作者の凛とした句柄には似合っているのかもしれない。しかしまた、広い薔薇園で散り始めた無数ともいえる花弁の色彩やふくよかな香りの中にいながら、ふと硬く尖った陶器の破片が音を立てて散らばった一瞬を思う、というのも捨てがたい。いずれにせよ、生涯に割る、という一つの発見までの時間の経過を共有することで読み手も一歩踏み込むことができ、咲くや、により薔薇はなお生き生きと強い生命力を持ちそれが前を向いて進む作者の姿に重なる。『麗日』(2014)所収。(今井肖子)


May 1052015

 用もなき母の電話や柿の花

                           荻原正三

間の関係の中でも、息子と母親との関係は特別です。胎児として母体の中にいるときは、完全な従属関係にあります。誕生後の一年間もほぼそれに等しく、保育園や幼稚園に通うようになって、少しずつ外の人間関係をもてるようになっていきますが、小学校に上がる頃までは、おおむね、母親に従属していたい願望は強いものです。ところが、息子が思春期を迎え、青年、成人、老人と年齢を重ねるにしたがって、母親を一個の他者として見ていくようになります。その関係性は母親に対する呼称に 顕著に表れていて、私の場合は、「ママ、和子さん、おふくろ、おふくろさん」。ちなみに父親の場合は、「パパ、おやじっこ、おやじ、おやじさん」。こう振り返ると、思春期の親子関係は揺らいでいたんですね。「おふくろさん、おやじさん」と「さん」づけできるようになって、ようやく親子関係もふつうの人間関係に伍するものになってきたようです。私の場合「ママ、パパ」から始まったので「さん」づけできるようになるまでに二十年以上かかりました。幼少の頃、甘えん坊だった息子は、思春期には従属関係を脱して、対等な人間関係を目指すようになりました。さて、掲句は作者六十歳前後の作品で、切れ字の「や」には軽い嘆きがあり、共感します。おおむね母親は用もない電話をする存在で、こ ちらが忙しいときは甚だ迷惑です。母親がもっている息子像は、胎児であったときの記憶をふくんで理想化されているのに対し、息子がもつ母親像は、理想から出発しているゆえにしぼんでいくしかない面があります。だから、息子が齢を重ねるほどに、反りが合わなくなる場合もでてくるのでしょう。もちろん、世間には、大野一雄や永田耕衣のように生涯にわたって母を慕いつづけた息子もたくさんいます。われわれを一般的と思ってはいけません。ところで、下五を「柿の花」で終えているのも侘しい気がします。柿の花は黄白色の壺型で、葉の陰から地面に向けてうつむくように咲きます。俳人でもなければ、この花に心を寄せる人は少ないでしょう。しかし、この花があればこそ秋には柿が実ります。そう 考えると母の日の今日、おふくろさんありがとう。『花篝』(2008)所収。(小笠原高志)


May 1152015

 夕暮はたたみものして沙羅の花

                           矢島渚男

の「沙羅の花」は夏椿の別称であり、朝咲いて夕には散ってしまうことから、私たちのはかない心情とともに歌われてきた。冬の椿の花の命も短いけれど、万象が燃え立つ季節に咲く花だけに、夏椿のはかない命は際立つのである。句は、日常の感受の心のなかにふっと生まれ落ちる「一過性の気分」を巧みに捉えている。一日の終りの手作業は、いつものように取り込んだ洗濯物をたたむことなのだが、そのようなルーティンワークのなかで、たまさか言いようのない淡い感情の波に襲われることがある。たたみものをしながら、ふっと目をやった庭先に、沙羅の白い花がぼんやりと見えたのだろう。こういうときには、むしろ花の命の短さなどという観念は思いに入ってこないものである。ちらと目がとらえた花の「そのままのありよう」が、どことなく自分の現在のありようを抒情しているかのように思えたのだった。『翼の上に』所収。(清水哲男)


May 1252015

 初夏の木々それぞれの名の眩し

                           村上鞆彦

夏の日差しは、新緑を健やかに育み、木々は喜びに輝いているかのように光りを放つ。日に透けるような頼りない若葉たちも、日ごとに緑を深め、すっかりそれらしいかたちを得て、力強い影を落としている。掲句に触れ、街路樹に並ぶ初夏の木の名を確認しながら歩いてみた。鈴懸(すずかけ)、欅(けやき)、花水木(はなみずき)。鈴懸は鈴玉のような実をつけることから付いた名。秋には空にたくさんの鈴を降らせる。欅の「けや」は際立って美しいの意の「けやけし」に通じている。花水木は、根から水を吸い上げる力が強いことから水木。どの名も人間との深い付き合いから付けられたものだ。その名に胸を張るように木々を渡る風が薫る。『遅日の岸』(2015)所収。(土肥あき子)


May 1352015

 新築の青葉がくれとなりにけり

                           泉 鏡花

である。山と言わず野と言わず、青葉が繁って目にしみるほどにムンムンとしている季節である。植物によって青葉の色彩に微妙なちがいがあるから、さまざまな青葉を味あうことができる。見晴らしのいい場所に少し前に新築された家(あるいは新築中でもよかろう)は、おそらく作者を注目させずにはおかない造りなのだろう。どんな家なのだろう? いずれにせよ、家の新築は見ていても気持ちがいいものだ。鏡花が注目する「新築」とは……読者の想像をいやがうえにもかき立ててやまない。つい先日までは、まるまる見えていたのに、夏らしくなって青葉がうっそうと繁り、せっかくの家を視界から隠してしまった。残念だが、夏だから致し方ない。とは言え、この場合、作者は青葉を恨んでいるわけではない。「やってくれたな!」と口惜しそうに、ニタリとしているのかもしれない。「新築」の姿もさることながら、いきいきと繁ってきた「青葉」もじつはうれしいのである。鏡花には他に「花火遠く木隠(こがくれ)の星見ゆるなり」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 1452015

 飛行機が大きく見える夏が来る

                           中谷仁美

年の春はぐずぐずと雨が降っていつまでも寒さが残ると思っていたが、四月の下旬から突然夏になった。立夏の前に早々と夏の只中に放り込まれた印象だった。ぼんやりと霞んだような春空の曖昧さとは違い、夏空は輝く群青で、ものの輪郭をくっきりと描き出す。頭上の爆音に空を見上げれば銀色の腹に時折鋭い光をきらめかせながら飛行機がゆっくりと横切ってゆく。夏空をゆく飛行機は他の季節にくらべてひときわ大きく力強い。エネルギーに満ちた夏の訪れは楽しみでもあるが、照りつける日差しと熱気にいたぶられ、うんざりと連日の「晴れ」マークが続く日々でもある。さて、本格的な夏が来るが、今年の夏はどんな夏だろう。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)


May 1552015

 いつまでも夕日沈まず行々子

                           森田 峠

ョウギョウシ、ギョウギョウシ、ケケシ、ケケシと鳴くので行々子と言われる。河川や湖沼の葦原などに生息する葭切にオオヨシキリとコヨシキリがある。このオオヨシキリの鳴き声がこれである。コヨシキリはピピ、ジジジと聞こえる。オスが高い葦の茎に直立した姿勢でとまり、橙赤色の口の中を見せてさえずっている。夏の日の中々沈み切らない夕まずめにいつまでも鳴き続けている。夏の日の長いこと。他に<歌うたひつヽ新妻や蒲団敷く><四戸あり住むは二戸のみ時鳥><少しづつかじるせんべい冬ごもり>など。「俳壇」(2014年11月号)所載。(藤嶋 務)


May 1652015

 さんさんと金雀枝に目があり揺れる

                           佐藤鬼房

関先に金雀枝の大ぶりの甕のような鉢が置いてあり花盛りだ。ほとんど伸び放題でどんどん咲いて散っているが、くたびれてぼんやり帰宅した時その眩しさを超えた黄に迎えられるとほっとする。我が家の金雀枝は黄色一色だが、掲出句のものは赤が混じっている種類だろう、おびただしい花の一つ一つが目のように見えている。一般的に、小さいものがぎっしり、という状態はそれに気づくとちょっとぞわっとするものだ。筆者にとってはピラカンサスや木瓜の花などがその類なのだが、作者にとってこの金雀枝はそうではない。金雀枝の風に遊ぶ自由な枝ぶりと初夏の光を湛えた花の色が、さんさんと、という言葉を生んで明るい。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)


May 1752015

 箸置きを据ゑて箸置く薄暑かな

                           岩淵喜代子

の美学です。主は、箸置きと箸を膳という平面に据え置いて、会食の起点を設置しています。それは、客のお手元です。今のところ他には何もない。料理はまだ運ばれていません。何もない空間だからこそ、料理はつぎつぎに運ばれる余地があり、客も主も箸を使い箸を置き、自由にふるまえます。演出家のピーター・ブルックに『何もない空間』という著作があります。舞台上で俳優が演技の自由を獲得するためには、大道具・小道具・舞台美術を最小限にすべきだという演出論です。たしかに、彼の舞台でよく使われる小道具は一本の長い棒で、それは時に空間の仕切りとなり、時に槍になります。一本の棒があれば、俳優と観客との想像力によって舞台空間は可動的になります。むしろ、豪奢な大道具はそれが足かせとなって、舞台を固定的にすることがあり、ピーター・ブルックは、著書の中でそれに警鐘を鳴らしています。そんなことを思い返しながら掲句を読むと、一膳の箸は、一本の棒のごとくシンプルゆえに自在です。挟み、運び、切り、刺す。客と主の所作には、もてなされもてなす遊びの心がありましょう。その舞台が膳であり、箸は巧みに動きつくして箸置きに置かれます。さあ、紗袷せに身を包んだ粋客がいらっしゃいました。やや汗ばんだ肌を扇子であおぎながら、正座して膳につきました。『白雁』(2012)所収。(小笠原高志)


May 1852015

 行く春について行きたる子もありし

                           矢島渚男

句の「子」は、赤ちゃんよりはもう少し大きい子だろう。作者の知っている子だが、そんなによく知っていたわけでもない。たぶん近所の子、あるいは友人か知人の子で、その死は伝聞によってもたらされたくらいの関係か。春の終り。生きとし生けるものの生命が盛んになる夏を待たずに逝った子のことを思って、作者の心はいわば春愁のように沈んでいる。しかし沈みながらも、作者は悼む気持ちをできるだけ相対化しようとしている。実際、子供というものは、習性と言ってよいほどに何にでもついていきたがる。だからこの子は、きっと春についていっちゃったんだと、そう思い決めることにしたのである。これまた、苦いユーモアにくるんで刻んだ心やさしい墓碑銘と言ってよい。『百済野』(2007)所収。(清水哲男)


May 1952015

 草笛を吹く弟の分も吹く

                           太田土男

笛はコツさえつかめばどんな葉でも音がするのだというが、一度として成功したためしがない。口笛さえ吹けないのだから当然といえば当然かもしれない。掲句では、幼い兄弟の様子とも思ったが、大人になってからの草笛と思い直した。ふと手に取った草の一片を唇に当て、昔通りの音が思いがけず出たとき、子供の頃の思い出がよみがえったのだろう。兄弟揃って吹いて歩いたなつかしい景色や、弟の背丈などがどっと押し寄せるように思い出される。今ここにいない弟の分を、もう一枚、草笛にして吹いてみる。きっとあの日と同じ苦いようなほこりっぽいような草の味が口中に広がっていることだろう。『花綵(はなづな)』(2015)所収。(土肥あき子)


May 2052015

 夏場所やひかへぶとんの水あさぎ

                           久保田万太郎

催中の大相撲夏場所は、今日が11日目。今場所は誰が賜杯を手にするのだろうか? 先場所まで白鵬が六場所連続優勝を果たしてきた。ところが今場所、白鵬は意外にも初日に早くも逸ノ城に不覚をとった。さて、優勝の行方は? 力士が土俵下のひかえに入る前に、弟子が厚い座布団を担いで花道から運ぶ。座布団の夏場所にふさわしく涼しい水あさぎ色に、作者は注目し夏を感じている。二つ折りにした厚い座布団に、力士たちは腕を組んでドッカとすわる。一度あの座布団にすわってみたいものだといつも思う。暑い夏の館内の熱い声援と水あさぎの座布団、力士がきりりと結った髷の涼しさ、それらの取り合わせまでも感じさせてくれる。万太郎は相撲が好きでよく観戦したのだろう。私は家にいるかぎり、場所中はテレビ観戦しているのだが、仕切りの合間、背後に写る観客席のほうも気になる。今場所はこれまで林家ぺー、張本勲、三遊亭金時らの姿を見つけた。落語家は落語協会が買っているいい席で、交替で観戦している。万太郎のほかの句に「風鈴の舌ひらひらとまつりかな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 2152015

 シャツ干して五月は若い崖の艶

                           能村登四郎

子兜太のよく知られた句に「果樹園がシャツ一枚の俺の孤島」がある。揚句の「シャツ」もそうだけど、今の模様入りのカラフルなシャツではなく、薄い綿のランニングといった下着のシャツだろう。張り切った肉体の厚みをはっきりと浮き立たせるシャツは若い男性の色気を感じさせる。爽やかな風にたなびくシャツ、「若い」は五月と崖の艶、双方を形容するのだろう。なまなましい岩肌を露出させた崖の艶はシャツの持ち主である若者の張りきった肌をほうふつとさせる。若葉の萌え出る五月、美しく花の咲き乱れる五月はやはり生命感あふれる若者のものなのだろう。『能村登四郎句集 定本枯野の沖』(1996)所収。(三宅やよい)


May 2252015

 雀のあたたかさを握るはなしてやる

                           尾崎放哉

かの拍子で雀が地に落ちて人の手に拾われる事がある。孤独の境地に生きる放哉も雀のを拾ってしまう。そして手のひらに温め愛しんだ。親鳥がどこか近くで鳴き騒いでいる。生き延びるには彼らの元へ送りかえさねばならぬ。名残惜しいがそっと放してあげた。お帰り、君の世界へ。人家近くに暮す雀は繁殖期になると屋根の瓦の隙間、壁の穴などに巣を作る。子が生まれ餌運びに親鳥が忙しく巣を出入りする。孵化した雛は最初は眼も開かず羽も生えていないが、15日ほどでもう巣立ってゆく。順調にゆくものもあれば落伍するものもあり、人間と同じである。他に<わが顔ぶらさげてあやまりにゆく><たまらなく笑ひこける声若い声よ><風に吹きとばされた紙が白くて一枚>などが身に沁みた。村上譲編『尾崎放哉全句集』(2008)所載。(藤嶋 務)


May 2352015

 緑蔭に赤子一粒おかれたり

                           沢木欣一

の句の話をちょっとしてみたら、え、一粒ってドロップじゃあるまいし、という人あり、いやでも一粒種って言うじゃないですか、という人あり、それはちょっと違う気も。しかしやはり、一粒、が印象的な句なのだろう。一読した時は確かに、赤子一粒、という思い切った表現が緑蔭の心地よさと赤ん坊のかわいらしさを際立たせていると感じたが、何度か読み下すと、たり、が上手いなと思えてくる。おかれあり、だと目の前にいる感じで、一粒、と表現するには赤ん坊の像がはっきりしすぎるだろう。おかれたり、としたことで景色が広がり、大きい緑陰の涼しさが強調される。『沢木欣一 自選三百句』(1991)所収。(今井肖子)


May 2452015

 女老い仏顔して牡丹見る

                           鈴木真砂女

丹は、中国では「花王」と呼ばれました。平安時代の和歌では、音読みする漢語の使用を禁じていたため「深見草」の和名で詠まれています。真砂女もこの呼び名を知っていたはずなので、少し深読みしてみます。牡丹の花の色は、紅、淡紅、紫、白、黄、絞りなど多彩です。真砂女は何色の牡丹を見ていたのか。これは、読み手にゆだねられるところでしょう。私は、白の絞りかなと思います。たいした根拠はありませんが、「仏顔して」いるので、色彩はおだやかだろうと思うからです。掲句を上五から素直 に読むと、女である私が年老いて、それは女という性を脱した仏顔になって、しみじみと牡丹を見ている、となります。しかし、これは通り一遍の読み方です。もっと牡丹を凝視してもいいのではないでしょうか。問題は、どれくらいの時間をかけて牡丹を見ていたかです。花一輪を五分間見る。写生をする人ならば、これくらいの時間はかけるでしょう。あるいは、牡丹園を歩いたならば、小一時間かけて多彩な色の牡丹を見たことでしょう。いずれにしても、深見草という和名が念頭にあれば、牡丹の花を凝視したはずです。そして、その視線の奥には、雄蕊と雌蕊、花の生殖器官があります。その時、その視線は作者に跳ね返ってきて、老いた仏顔には、はるか昔日の修羅が内包されていることに気づかされま す。花王のような女盛りの昔日は、束の間、仏顔を崩すかもしれません。なお句集では、「牡丹くづる女が帯を解くごとく」と続きます。こちらの牡丹は紅色でしょう。『紫木蓮』(1998)所収。(小笠原高志)


May 2552015

 「お父さん」と呼ぶ娘も 後期高齢者に

                           伊丹三樹彦

意は明瞭。この事実には「ほう」と思うが、おおかたの読者の感想はそこらあたりで終わってしまうのではなかろうか。この事実に、もっとも愕然としているのは作者当人である。伊丹三樹彦は1920年生まれだから、今年で95歳だ。後期高齢者の娘さんがあっても、べつに不思議ではない。不思議ではないけれど、作者にしてみれば、この事実を突きつけられることで、現在のおのれの老いをいわば客観的に示された思いになる。多くの局面において老人にとって、いや誰にとっても、年齢はあくまでも「他人事」なのである。年齢を意識させられるのは相対的な関係においてなのであり、普段はわが事として受けとめつつも、半分以上は自分に引きつけて考えることもない。普段おのれの老いを認めてはいても、それだけのことであり、精神的にぐさりと年輪を感じることはあまりない。しかし、このような身内(子供)の老いを客観的につきつけられると、何か不意打ちでも食らったかのような衝撃が走る。小さいころから「お父さん」と呼びつづけていた子供がここにきて「急に」老いてしまった……。この娘はいつだって、自分とは比較するきにもならないほど、若い存在であった。その思いが急に我が身を老いさせる。このようなことは、起きそうでいてなかなか起きるものではないだろう。思わずも、読者にどう思われようとも、句にしておきたいと思った作者の気持ちがよくわかるような気がする。『存命』(2015)所収。(清水哲男)


May 2652015

 日傘差す人を大人と呼ぶ人も

                           杉田菜穂

焼けが大敵だと思うようになってからずいぶん経つが、たしかに20代前半は無防備に日に焼け、それほど後悔することもなかった。身軽が一番な年頃では雨も降っていないのに傘を差すなど、到底考えられないことだった。日傘は手がふさがるし、閉じたら閉じたで荷物になる。しかしその負担をおしてでも、年々歳々太陽光線は忌み嫌われ、しみしわ老化へ拍車をかける悪の根源として断固拒絶の意志をかためていく。大人とは衰えを自覚する人々のことなのだ。紫外線のUVAは5月がもっとも多いとされる。大人にとって油断大敵の今日この頃である。『関西俳句なう』(2015)所載。(土肥あき子)


May 2752015

 景気よく閉す扉や冷蔵庫

                           徳川夢声

この家庭でも、冷蔵庫が季節にかかわりなく台所のヌシになってから久しい。「冷蔵庫」が夏の季語であるというのは当然だけれど、今どき異様と言えば異様ではないか。同じく夏の季語である「ビール」だって、四季を通じて冷蔵庫で冷やされている。飲んべえの家では、冷蔵庫のヌシであると言ってもいい。だから歳時記で「冷蔵庫」について、「飲みものや食べものを冷やして飲食を供するのに利用される。氷冷蔵庫、ガス冷蔵庫などもあったが、今日ではみな電気冷蔵庫になり、家庭の必需品となった。」と1989年発行の歳時記に記されているのを改めて読んでみると、しらけてしまう。1950年代後半、白黒テレビ、電気洗濯機とならんで、電気冷蔵庫は三種の神器として家々に普及しはじめた。冷蔵庫の扉はたしかにバタン、バタンと勢いよく閉じられる。普及してまだ珍しい時代には、家族がたいした用もないのに替わるがわる開閉したものだ。せめて冷蔵庫の扉くらいは「景気よく閉す」というのだから、景気の悪い時代に詠まれた句かもしれない。辻田克巳には「冷蔵庫深夜に戻りきて開く」という句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 2852015

 ふぐの子のちちのむやうにくちうごく

                           榎本 享

ぐは猛毒を持つが美味で、その顔を正面からまじまじ見ると目が大きくてユーモラスな表情をしている、句の眼目は大きなふぐでさえ、もごもごと口を動かす様子が愛嬌があるのにそれが赤ちゃんふぐというところだ。「ちちのむように」とその動きを具体化し、全体をひらがな表記の柔らかさが赤ちゃんふぐのいとけなさを表しているようである。日本の近海にはトラフグだけでなく様々な種類のフグがいる。ふぐ料理は冬が本番ではあるが、クサフグなどは6月あたりに集団で波打ち際に押し寄せて産卵をするらしい。無事生まれた赤ちゃんふぐたちは大海で生き抜くべく一生懸命口を動かしながら泳いでいることだろう。『おはやう』(2012)所収。(三宅やよい)


May 2952015

 青鷺の常にまとへる暮色かな

                           飛高隆夫

鷺は渡りをしない留鳥なので何時でも目にする鳥である。東京上野の不忍池で観察した時は小さな堰に陣取り器用に口細(小魚)を抓んでいた。全長93センチにもなる日本で最も大きな鷺であり、餌の魚を求めてこうした湖沼や川の浅瀬を彷徨いじっと立ち尽くす。その姿には涼しさも感じるが、むしろ孤独な淋しさや暮色を滲ませているように感じられるのである。他にも<藤垂れて朝より眠き男かな><耳うときわれに妻告ぐ小鳥来と><よき日和烏瓜見に犬連れて>などが心に残った。「暮色」(2014)所収。(藤嶋 務)


May 3052015

 山滴り写真の父は逝きしまま

                           辻 桃子

くなられたお父様の写真が窓辺に飾ってある。その窓は正面に山、雪に閉ざされている間は白一色だ。そして次第に色をほどいて光に包まれ、さらに緑を深めつつ新緑から万緑へふくらんでゆく。窓辺の写真は変わらず優しい微笑みを投げかけているが、その微笑みは永遠であるがゆえ、もう二度と蘇ることはない。山に命の源である滴りが満ち溢れる季節にはひとしお、淋しさが滲んでくるのだろう。ちなみに常用の歳時記には、滴り、はあるが、山滴る、は載っていない。『合本俳句歳時記』(2008・角川学芸出版)には、「夏山蒼翠として滴るが如し」から季語になった、と書かれているが確かに、春秋冬の、山笑ふ、装ふ、眠る、に比べると、山を主語に考えた時異質な気がする。もちろん景はくっきりと分かるのだけれど。『馬つ子市』(2014)所収。(今井肖子)


May 3152015

 美しくかみなりひびく草葉かな

                           永田耕衣

鳴が響く。草葉は、一瞬輝く。もし、この読みの順番でいいのなら、一句の中に二つの雷を詠んでいることになります。雷は、光の後に音がとどいて完結するからです。ところで、「美しく」という抽象的な表現は、俳句ではふつう避けられます。では、なぜ掲句ではその使用が許されるのでしょうか。理由の一つは、雷は視覚と聴覚の両方を備えている点であり、もう一つは、掲句が天上と地上という広大な空間を詠んでいる点です。抽象表現なら、この異なる二つの性質を包含できるからでしょう。次に、中七は、なぜひらがな表記なのかを考えます。「かみなり」は、「雷、神鳴り、神也、上鳴り」など、掛詞を考えさせられて、読み手をしばらく立ち止まらせます。これに「ひびく」をつなげると、「上、鳴り、響く」という縁語的な読み方も可能になります。上五から、美しく烈しい雷鳴は、中七まで下りてきますが、「ひびく」は終止形なので、雷鳴の音はここで断 絶します。ここまでが、雷第一弾。しばらく、沈黙と暗黒が続いた後に、閃光は、草葉の鋭角的な一本一本を瞬時、輝かせます。これが、雷第二弾の始まり。やがて、雷鳴は、沈黙と暗黒が続いたしばらく後にとどきます。作者の第一句集から。『加古』(1934)所収。(小笠原高志)




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