今季のセ・リーグはまったく冴えない。野球に切れがないね。(哲




2015ソスN5ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0852015

 口あけて顔のなくなる燕の子

                           大串若竹

は春に渡来して人家とか駅舎とか商店街の軒先とかに巣を作って産卵し育て、秋には南方に去る。その尾は長く二つに別れた、いわゆる燕尾である。人間に寄り添って巣を作るので燕の子にも一段と親しみを覚える。毎日その成長を見上げては楽しんでいるのだが、子は四五匹ほど居るので生存競争も激しそうだ。精一杯口をあけて顔中を口にして、親鳥の餌をねだる。ねだり負ければ成長に負ける事になる。それを見上げる人間も口をいっぱいに飽けて眺める事とはなる。<風鈴の百の音色の一つ選る><甚平やそろばん弾く骨董屋><母の日に母に手品を見せにけり>なども所収される。『風鈴』(2012年)所収。(藤嶋 務)


May 0752015

 ハイヒール山に突き刺し夏に入る

                           加納綾子

休の高尾山は人出が多く山道も渋滞する。地方では考えられないことだが、混みあって前に進めぬ山道を初めて体験した。山道を行く人々は山歩きの服装が多いが、ロープウェイで来たのかミニスカートにハイヒールといった街歩きの格好をした女の子も時折見かける。一足ごとにハイヒールの高い踵が柔らかい赤土にめり込んで歩きにくそうだが、本人はまったく苦にしていない様子。満員電車のピンヒールは凶器に思えるが、ハイヒールの踵で突き刺される山もたまったもんじゃないだろう。自然に優しくない「突き刺す」という表現が怖いもの知らずの若さを表しているように思える。この果敢さで暑くてうっとうしい夏をある時はハイヒールで突き刺し、ある時は尖った爪先で蹴散らしてゆくことだろう。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)


May 0652015

 矢車の音に角力の初日かな

                           桂 米朝

の児の成長を願う鯉のぼりが、四月のうちから青空に高く泳いでいる、そんな光景がまず見えてくる。大相撲とちがって「角力」と書く場合は「草相撲」を意味するのが一般的だから、鯉のぼりの竿の先でカラカラと風にまわっている矢車の音があたりに聞こえ、同時に力強い鯉のぼりも眺望できる場所で角力大会の初日を迎えた。今や懐かしい風景であり、晴れ晴れしい。すがすがしい風に矢車の音が鳴って、地域の角力に対する期待があり、観戦の歓声も聞こえているのかも知れない。いや、「角力」を「大相撲」と解釈して、その初日へ向かう道中でとらえられた「矢車の音」としてもかまわないだろう。本年三月に亡くなった米朝は上方の人だが、大阪場所は例年三月の開催。季語「矢車」は夏だから、時季は大阪場所では具合が悪く、両国国技館での五月場所のほうが整合性がある。ちなみに、今年の五月場所の初日は四日後の5月10日である。楽しみだ。米朝は小学生の頃から俳句に興味を持ち、旧制中学では芭蕉、蕪村、一茶などを読みふけり、「ホトトギス」や「俳句研究」までも読んでいたという。掲出句は《自選三十句》中の一句であり、他に「咳一つしても明治の人であり」がある。『桂米朝集成』第4巻(2005)所収。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます