2015N6句

June 0162015

 バス停の屋根は南瓜の花盛り

                           富川浩子

かにも初夏らしいが、ちょっと珍しい情景。微笑を浮かべる読者が多いだろう。バス停にグリーンのカーテンをかけて、乗客に涼を呼ぶ効果をねらったものかもしれない。だが、戦中戦後の一時期を知っている私などには、涼を呼ぶどころか暑苦しさしか迫ってこない。バス停の屋根どころか、当時は民家の屋根にまで南瓜が栽培されていた。むろん、食料不足を補うための庶民の智慧がそうさせたものである。そして、南瓜が熟れるころともなると、どこの家庭でも食事ごとにほとんど主食として南瓜が食卓に上がったものだった。来る日も来る日も南瓜ばかり。嘘みたいな話だが、人々の顔が黄色くなっていった。だから私より上の年代の人のなかには、いまだに南瓜を嫌う人が多い。同じ句を読んでも、感想は大いに異なる場合があるということです。『彩 円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


June 0262015

 芍薬の蕾のどれも明日ひらく

                           海野良子

薬はしなやかでやさしい姿を表す「綽約(しゃくやく)」に由来するともいわれ、美人のたとえである「立てば芍薬」はすらりと伸びた茎の先に花を付ける様子を重ねている。咲ききった満開の美しさもさることながら、「明日、咲きます」のささやきが聞こえるほどのほころびは艶然と微笑む唇を思わせ、やわらかなつぼみの隙間から幾重の花びらがほどかれるきざしに、詰まった襟元をゆるめるようななんともいえない色気を感じさせる。約束された満開という幸福を待つ、このうえない幸せの時間。芍薬はつぼみの頃から蜜をこぼし、虫たちを招くという。これもまた芍薬のあやしい魅力のひとつなのかもしれない。『時』(2015)所収。(土肥あき子)


June 0362015

 青嵐父は歯を剝き鎌を研ぐ

                           車谷長吉

夏の頃、よく使われる季語である。手もとの歳時記には「五月から七月頃、万緑を吹く風で、強い感じの風にいう」と説明されている。そういう一般的な季語を使いながらも、「歯を剝き鎌を研ぐ」と長吉らしい展開の仕方をして、わがものにしているのはさすが。嵐雪の「青嵐定まる時や苗の色」のようにはすんなりと「定め」てはいない。強く吹きつける青嵐に抗するように、この「父」は「歯」と「鎌」という鋭いものをつらねて向き合っているのだ。剥き出している「歯」が研がれる「鎌」のように、青嵐に敢然と対向しているような緊張感を生み出している。風が強く吹くほどに、「父」の表情は険しくなり、「鎌」はギラギラと研ぎあがっていくのだろう。デビュー時から異才を放って注目されてきた長吉は、俳句もたくさん作った。残念ながら先月十七日に急逝してしまった。生前の彼とかかわりのあったあれこれが思い出される。合掌。雑誌等に発表された俳句は、「因業集」として『業柱抱き』(1998)に収められ、のち『車谷長吉句集改訂増補版』(2005)に収められた。他に「雨だれに抜け歯うづめる五月闇」がある。(八木忠栄)


June 0462015

 約束はただのあじさいだったのに

                           なかはられいこ

陽花の花がだいぶ色付いてきた。紫陽花は家の戸口に裏庭に何気なく植えられて雨のしとしと降る時期に花期を迎える。薔薇のような華やかさはないが、親しみやすい普段着の花だ。俳句の季語としての紫陽花は変化する色や生活の一風景として詠まれることが多い。「紫陽花や家居の腕に腕時計」波多野爽波、「紫陽花のあさぎのままの月夜かな」鈴木花蓑。掲載句では約束の内容はわからないが「ただの」という表現に紫陽花の性質が強調されている。庭の紫陽花を切って新聞紙にくるんで持ってくる約束がお金を出してあつらえた豪華な花束を手渡されたのか。読み手は「あじさい」をめぐる「約束」に想像をめぐらすことになる。紫陽花を捉える角度が俳句と川柳では違う。掲載句は川柳、作者は川柳作家。『脱衣場のアリス』(2001)所収。(三宅やよい)


June 0562015

 万緑やいのちは水の匂いして

                           東金夢明

渡すかぎり緑の世界が広がっている。思えば地球は水の世界。たっぷりと水を吸って豊かに緑が育まれている。この水の中にわれらが「いのち」は生まれ、緑なす大地の風を呼吸している。時は今、新緑萌え盛り鳥は鳴き花は咲き誇っている。風の中に漂う水の匂いを感じつつ、様々な命が満々たる緑に包まれている。この地球に緑に命にそして水の匂いに乾杯!<振り向けば振り向いている雪女><喉ぼとけ持たぬ仏や秋の風><木枯の着いたところが地下酒場>など。『月下樹』(2013)所収。(藤嶋 務)


June 0662015

 口癖は太く短くビール干す

                           後藤栖子

く短く、が例えば夫の口癖だとすれば、もうその辺で止めておいたら、と気遣っている妻に向かって、いいんだよいいんだよ、ビールが無くて何の人生だ、などと言っていそうだ。しかし飲み仲間でも、最後までビール、という人は数えるほどしかいない、真のビール好きである。飲む、でも、酌む、でもなく、干す、の勢いが、ビールらしく軽やかだが、作者の後藤栖子さんは二十代から病と闘われて、平成二十年六十七歳で亡くなられたと知った。そんな作者自身の言葉だとすると、太く短く、はまた違ったものになる。背景から作者の真意を読み解くこともひとつ、短い十七音の第一印象から読み手自身の中で自由に広げていくのも俳句ならではだが、いずれにしてもこの句のビールの持つ明るさは変わらない。『新日本大歳時記 夏』(2000・講談社)所載。(今井肖子)


June 0762015

 高原の空は一壁水すまし

                           平畑静塔

和46年上梓の『栃木集』所収です。各地を吟行した句集で、掲句は長野で作られました。「空は一壁」から雲はなく、広く晴れ渡った無風状態を想像します。また、「一壁」は「一碧」に通じて、空は濃い紺碧色のようです。今日の空は完璧だ、という思いもありそうです。作者の視線は、空から一転して池に目を落とします。無風の水面は、紺碧の空を映して鏡のようです。そんな、絶好の舞台に登場する一匹の水すましは、六本の細い脚がわずかに水紋を描き、明鏡止水の水面に波紋をもたらします。しかし、その崩れも束の間で、やがて一壁の空を映す水面は、完全な平面に戻ります。静中動在り。鍼ほどにか細い脚が、一瞬水面の天を動かす面白さ。なお、作者は和歌山出身なので、「水すまし」は甲虫のそれではなく、「あめんぼ」の別名として読みました。(小笠原高志)


June 0862015

 涼風の一楽章を眠りたり

                           矢島渚男

者は、一楽章を聞き落としたことを、少しも残念には思っていない。むしろ逆にそれをよしとしている。これもまた、音楽鑑賞の醍醐味なのだ。私にも覚えがあるが、この眠りは実に快適だ。そもそも野外音楽堂などでのコンサートは、周囲の環境をひっくるめて音楽を楽しもうという意図があるのだから、はじめから聴衆の眠りを拒否などしていないのである。このことから言うと、ひところ注目された「ヒーリング・ミュージック(癒しの音楽)」などとは、似て非なる世界だろう。こちらは、いわば強引に人工的に眠りを誘いだそうとする企みの上に存在していて、なんだか睡眠薬を盛られているような感じを受ける。実際の涼風のなかを流れてくる「自然の癒し効果」には太刀打ちできないのだ。この句の音楽はクラシックだが、眠くなるのはクラシックに限らない。かつて草森紳一は「ビートルズは眠くなる」と書いて、秀抜な音楽鑑賞論を展開した。彼に言わせれば、世の名曲はすべて私たちに催眠効果を及ぼすというのである。『翼の上に』所収。(清水哲男)


June 0962015

 踏石の歩巾に合はぬ夕薄暑

                           松島あきら

などに一定の間隔で置かれた踏み石は基本的には歩幅に合わせて計算されているようだが、石の大きさが歩幅に加味されていない場合もあり、テンポ良く歩くのはなかなか難しい。小さく小刻みに渡ればいいのだが、なんだか踏み石に歩幅が制限されているようで面白くない。二つ三つ歩くうちに、タイミングをつかんでも、そのうちまたズレてくる。薄暑とはうっすら汗ばむ陽気という比較的新しい気分を表す季語である。これを心地よいと捉えるか、わずかに憂鬱と捉えるかは個人差によるところが大きい。そのあたりも含め、言葉にするほどでもなく発生する現代人のささやかないらだちに見事に一致するように思われる。『殻いろいろ』(2015)所収。(土肥あき子)


June 1062015

 飛魚や隠岐へ隠岐へと海の風

                           渡部兼直

日、魚屋の店先にならんでいる、光っているイキのよい飛魚を見つけて買った。「飛魚」は夏の季語。南の種子島から、夏にかけては北海道南部まで北上して行くらしい。大きな胸鰭で海面すれすれに、先を競うように舳先をカッコよく飛ぶ。沖合でのあの姿には惚れ惚れと見とれてしまうし、格別旅情をかきたてる。飛魚が魚というよりも海風そのものになって、隠岐を目ざしてまっしぐらに飛ぶという句である。飛魚の干物のうまさはたまらないものがある。クサヤは最高。掲出句には思い出がある。九年前、東京からわれら詩人四人で、境港から出航して隠岐へ船旅をしたことがある。その際、米子在住の兼直さんが同行して案内してくれた。秋だったが、沖の強い海風を食らいながら島へ渡ったのだ。そのとき舳先を波しぶきあげて、スーイスイと飛魚が飛ぶのを目撃した。そのときの旅がモチーフになっている句かと思われる。お人柄もそうだが、自在で楽しい詩を書く兼直さんは俳句も作る。『続ぽえむかれんだあ』の序に「『俳』のない句では俳句にならない。ただ『短句』である」とある。むべなるかな。他に「飛魚の翅の雫や眉に風」がある。『渡部兼直全詩集2』(2015)所収。(八木忠栄)


June 1162015

 ぎりぎりの傘のかたちや折れに折れ

                           北大路翼

月11日は「傘の日」らしい。台風や雨交じりの強風が吹いたあと、道路の片隅にめちゃくちゃになったビニール傘が打ち捨てられているのを見かける。まさに掲句のように「ぎりぎりの傘のかたち」である。蛇の目でお母さんが迎えにくることも、大きな傘を持ってお父さんを駅に迎えに行くこともなくなり、雨が降れば駅前のコンビニやスーパーで500円のビニール傘を購入して帰る。強い衝撃にたちまちひしゃげてしまう安物の傘は便利さを求めて薄くなる今の生活を象徴しているのかもしれない。掲句を収録した句集は新宿歌舞伎町を舞台に過ぎてゆく季節が疾走感を持って詠まれているが、傘が傘の形をした別物になりつつあるように、実体を離れた本意で詠まれがちな季語そのものを歌舞伎町にうずまく性と生で洗い出してみせた試みに思える。「饐えかへる家出の臭ひ熱帯夜」「なんといふ涼しさ指名と違ふ顔」『天使の涎』(2015)所収。(三宅やよい)


June 1262015

 翼あるものみな飛べり夏の夕

                           井上弘美

類は空中を飛ぶために前足を発達させ翼を得たと言われる。翼あるものみな飛ぶ、飛行機だって両翼を持っている。ギリシャ神話のイカロスは鳥の羽を集めて、大きな翼を造った。高く、高く飛んでしまったため太陽に近づくと、羽をとめた蝋(ろう)が溶けてしまったそうだ。とある夏の夕暮れにねぐらへ帰る鴉を飽きることなく見送って妄想を燻らせる。わが人体を如何に浮遊させんか、、、さてそれからの吾が夢は一体どこへ羽ばたくのやら、夜が短い。他に<母の死のととのつてゆく夜の雪><月の夜は母来て唄へででれこでん><花食つて鳥は頭を濡らしけり>などあり。『井上弘美句集』(2012)所収。(藤嶋 務)


June 1362015

 入梅を告ぐオムレツの黄なる朝

                           山田弘子

の時期に雨が降らなければ水不足になるしあれこれ育たないし困るのだ、と分かってはいる。それでも〈世を隔て人を隔てゝ梅雨に入る〉(高野素十)、これからしばらくは雨続きですよ、と宣言されてなんとはなしに気分が沈むのが梅雨入りだろう。掲出句で入梅を告げているのは朝のテレビ、作者はちょうど朝食のオムレツの前に座ったところだ。雨模様の窓を見つつ、当分はこの雨が続くのかやれやれ、と思いテーブルのオムレツに目をやると、光を思わせる卵色とあっけらかんと赤いケチャップがいつにもまして鮮やかに見え、よし、という気分になる。そして、隔てるどころかその日もたくさんの人に明るい笑顔を見せて過ごしたにちがいない。『彩 円虹例句集』(2008)所載。(今井肖子)


June 1362015

 入梅を告ぐオムレツの黄なる朝

                           山田弘子

の時期に雨が降らなければ水不足になるしあれこれ育たないし困るのだ、と分かってはいる。それでも〈世を隔て人を隔てゝ梅雨に入る〉(高野素十)、これからしばらくは雨続きですよ、と宣言されてなんとはなしに気分が沈むのが梅雨入りだろう。掲出句で入梅を告げているのは朝のテレビ、作者はちょうど朝食のオムレツの前に座ったところだ。雨模様の窓を見つつ、当分はこの雨が続くのかやれやれ、と思いテーブルのオムレツに目をやると、光を思わせる卵色とあっけらかんと赤いケチャップがいつにもまして鮮やかに見え、よし、という気分になる。そして、隔てるどころかその日もたくさんの人に明るい笑顔を見せて過ごしたにちがいない。『彩 円虹例句集』(2008)所載。(今井肖子)


June 1462015

 神にませばまこと美はし那智の滝

                           高浜虚子

は夏の季語です。しかし実際は、昭和8年4月、南紀に遊んだ時の作句です。参道の脇には句碑が建っています。一方、山口誓子は昭和43年、前書を那智として「鳥居立つ大白滝を敬へと」と詠みました。私も初めて那智に行ったとき、鳥居をくぐると本殿・社殿はなく、じかに大白滝を拝むことに驚きました。それまで神道にはほとんど関心がなかったのですが、「那智の滝が枯れる時は世界が終わる時」という言い伝えは聞き及んでいたので、たしかに、この滝が枯れたら那智川流域の植物も枯れてしまうと思いました。ここ、飛瀧神社は、那智の滝を中心にして成り立っている鎮守の森の生態系それ自体を聖域とみて、鳥居で俗界と区切り、滝の下り口には注連縄を渡して神さ まであることを示 しています。那智の滝は、植物にも動物にも人にも水を与え、元気にしてくれます。それが、神さまのはたらきなのでしょう。また、鳥居をくぐり抜けて滝をおがむ者は、133mの落差のなか、水が多様に変化しながら落ちていく様を見ます。滝壺からは轟音がこだまして、風は涼しい飛沫(しぶき)を運び参拝する者を包みます。この動態を、虚子は「美(うる)はし」の一語で切ります。日本の神さまは、このように直接的な自然現象を人に与えている場合が多く、人々は、山や岩や海や樹や稲など、それぞれの土地の恵みを崇拝してきました。それにしても、滝そのものをご神体にしている事例は、ここ以外に知りません。ご存知の方がいたら、教えてください。『虚子五句集』(岩波文庫・1996)所収。(小笠原高志)


June 1562015

 百姓の朝のたばこや蓮開く

                           上野 泰

の農村育ちだから、この情景はお馴染だ。蓮が開きはじめるのは今頃くらいからだから、初夏の朝である。田植えも終わって、早朝から植田を見回って一服つけているところだろう。世の中が動きだす前の平和で静かな時間。良い香りの紫煙が流れてゆく。子供心にも、この煙草は実に美味そうに思えた、いや、実際にも美味かったのだろう。こうした情景は当然、子供の好奇心にも火をつけた。遊び仲間とかたらって、何度か煙草を吸おうとチャレンジしようとしたが、本物の煙草が手に入らない、仕方がないので藁しべに火をつけて吸ってはみたものの、ただいがらっぽくて「朝のたばこ」どころてはなかった。たいていの人は映画の影響などで煙草に目覚めるようだけれど、私(たち)の場合には、フィクションではなくて現実に根ざしていたわけだ。最近は嫌煙の波が都会といわず農村にも押し寄せているけれど、健康第一のかわりに人間が失うものも大きいよ、などと思ったりしている。『花神コレクション・上裡泰』(1994)所収。(清水哲男)


June 1662015

 時鳥きよきよつと嗤ふ誤植文字

                           山元志津香

鳥(ほととぎす)の鳴き声の聞きなしは、「東京特許許可局」「てっぺんかけたか」など。私には舌足らず気味の「ここ許可局」と聞こえるが、掲句の作者には「きょきょ」が強調されているようだ。自身が関わっている冊子があると誤植は重大事である。活字時代は植字工が拾う活字の間違いが原因で起きたが、今ではパソコンでの変換ミスがもっとも多い。どちらにしても校閲段階で見つけられれば事なきを得るが、誤植というのはなぜか刷り上がった完成物で見つかる。発見したときの気持ちのさがりように反比例するように、誤植部分はめきめきと浮き上がり、紙面を飛び出すかのような勢いで目に飛び込む。作家半藤一利は「浜の真砂と本の誤植は尽きない」と嘆いたというが、ある程度の確率で発生するものとあきらめてはいても、あざけて嘲笑する「嗤ふ」が、自己嫌悪の度合いを象徴する。本欄でもたびたび発生するが、インターネットという流動的媒体の利点でこそっと修正し、翌日には幾分涼しい顔でいられる。それでも次からはご指摘のたび、時鳥の鳴き声が頭に響いてくるに違いない。『木綿の女』(2015)所収。(土肥あき子)


June 1762015

 万緑に入れば万緑の面構え

                           原満三寿

緑の季語は、草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」の句に代表されるが、草田男は王安石の「万緑叢中紅一点」によっている。「万緑」は初夏に活発に繁茂する緑を表わしていて、掲出句でも力強い表現となっていて、下五の「面構え」が万緑のパワーを受けとめているようだ。いかにも男性的な響きを生み出している。万緑に入り、万緑と真正面から正々堂々と対峙している。すっかり万緑に浸り染まったたくましい「面構え」が、頼もしいものに感じられる。どんな事情あるいは用があって、万緑に分け入ったのかは、この際どうでもいいことである。「万緑の面構え」とはどのようなものか、わかるようでわからないけれど、勝手に想像をめぐらしてみるのも一興。万緑の句と言えば、私は「万緑や死は一弾を以て足る」という上田五千石の句が好きだ。満三寿(まさじ)はもともと詩人で詩集が多いけれど、俳論『いまどきの俳句』、句集『日本塵』などがある。春の句に「春の橋やたらのけ反りはずかしき」がある。『流体めぐり』(2015)所収。(八木忠栄)


June 1862015

 はんなりととろろあふひをかきわけて

                           冬野 虹

時記によるととろろ葵はまたの名を黄蜀葵(おうしょっき)その丈は1メートルから2メートルに及ぶときもあるという。平仮名の柔らかさと読み下したときの音のよろしさに詠む側もとろとろ溶けてしまいそうな句である。「とろろあふひ」は大きな黄色の花がうっとりと開くが、朝咲いて夕方頃萎んでしまう一日花だという。そのはかなさがこの句の雰囲気を夢の中の出来事のように淡くしている。「はんなり」は関西弁ではなやぎのある明るさを表すが、角ばった「華やか」とは違う独特なニュアンスがある。立葵とは佇まいが違うとろろあふひをはんなりとかき分けて出る先にはどんな景色が待っているのだろう。「風鈴をつるすこはい処にだけ」「こはさずに蛍を袖に胸に髪に」繊細な言葉で綴られた俳句の数々はやわらかく美しい。『冬の虹作品集成』第一巻『雪予報』(2015)所収。(三宅やよい)


June 1962015

 海鵜憂し光まみれであるがゆえ

                           高野ムツオ

は全身光沢のある黒色で、嘴の先がかぎ状になっている。潜水が上手で魚を捕食し水から上がると翼を広げて乾かす習性がある。主に川鵜と海鵜が知られる。川鵜は東京上野の不忍池でよく見られる。海鵜の方は長良川の鵜飼いで有名である。掲句の海鵜はきらきらと光が眩しい岩礁に体を曝して羽を休めているのであろう。波の飛沫の光りの中に黒い体を沈めている。黒い体は黒い闇に抱かれた時心休まる。そんな我身が今白日の下に晒されて、光まみれとなり、ふいと憂鬱に襲われている。他に<わが恋は永久に中古や昼の虫><死際にとっておきたき春の雨><大志なら芋煮を囲み語るべし>など。『満の翅』(2013)所収。(藤嶋 務)


June 2062015

 あかるさや蝸牛かたくかたくねむる

                           中村草田男

日、自宅で飼っているというカタツムリが夜、人参を食べている映像を見た。おろし金のようなたくさんの歯を持っている蝸牛だが、かなり大きな良い音を立てていた、真夜中にどこからともなく聞こえて来たらちょっと怖い。よく見かける身近な蝸牛だが、美しい螺旋形の殻と流動的な柔らかい体を持ち、雌雄同体の謎めいた生き物だ。掲出句の、蝸牛、は、ででむし、と読んだ。殻に全身を閉じ込めて蓋をしてしまうこともあるというのでそんな姿で梅雨晴のある日、葉陰かどこかの片隅でじっとしていたのだろう。日差しが明るければ明るいほど、小さな貝殻となって動かない蝸牛の持つ闇がその螺旋に沿って果てしなく深くなっていくようでこれもちょっと怖くなる。『草田男季寄せ 夏』(1985・萬緑発行所)所載。(今井肖子)


June 2162015

 影を出ておどろきやすき蟻となる

                           寺山修司

影から日向に出て、おどろきやすい蟻となっている。光と熱の変化に、蟻は驚いているのかもしれない。しかし、蟻に、驚くという感性があるのだろうか。また、蟻の驚きを、作者は見たというのだろうか。中七下五が引っかかります。作者は寺山修司だから、これは写生のふりをした虚構であることは十分に考えられます。寺山は、現実と虚構を反転させることを得意としたからです。例えば、現実には生きている母の死亡広告を出したり、劇画「あしたのジョー」の作中で死んだ力石徹の葬式を現実に取り仕切ったりして、現実と虚構の境界を無化する企てを試み続けました。もし、掲句の「蟻」を「人」に入れ替えたらどうでしょう。「影を出ておどろきやすき人となる」。 家を出て 、町に出て、驚きやすい人になる。これなら、『家出のすすめ』『書を捨てよ、町へ出よう』の作者の句として筋は通ります。『花粉航海』(1975)所収。(小笠原高志)


June 2262015

 同じ女がいろんな水着を着るチラシ

                           北大路翼

ざめである。チラシを見るのが男である場合には、べつに水着のあれこれを比較するわけじゃない。したがって、「なあんだい」ということになる。けれども、かつて広告などの小さなプロダクションで働いた身には、なんとも切ない読後感が残る。要するにモデルを何人も雇う資金的余裕がないので、同じ女性を使いまわすことになってしまう。これが一流のモデルであったら話は別なのだけれど、哀しいかな、声をかけられるモデルの質には限界がある。つまりは貧すれば鈍するとなる理屈で、チラシの製作段階から仕上がりのみじめさが読めてしまうのだから、どうしようもない。この句を読んで、そんな若き日の苦い感情を思い出した。この句の作者には、いわば全焦点レンズで押さえたスナップ写真のような作品が多い。それがしばしば奇妙な味つけとなる。『天使の涎』(2015)所収。(清水哲男)


June 2362015

 夏至の日を機械の手入れして終わる

                           恒藤滋生

日は夏至。太陽が夏至点を通過し、北半球では一年で昼がもっとも長く、夜がもっとも短くなる。冬至と比べると、昼間の時間差は4時間以上にもなる。太陽を生活の中心とした生活からずいぶんと離れてしまった現代でも、同じ午後5時でもまだこんなに明るいというように、時間を基本としつつ日の長さを実感する。掲句は正確が取り柄の機械と、一年のなかで伸び縮みする太陽の動きとの取り合わせがユニーク。しかも、終日機械の手入れに関わっていたことで、人間はもう太陽とともに生きる生活には戻れないことも示唆しているようにも思われる。そこには、自然が遠く離れてしまったようなさみしさや切なさも漂うのだ。『水分』(2014)所収。(土肥あき子)


June 2462015

 母恋ひの舳倉(へくら)は遠く梅雨に入る

                           水上 勉

登半島の先端輪島の沖合に舳倉島はある。周囲5キロの小さな島である。一般にはあまり知られていないと思われる。近年は定住者もあり、アワビ、サザエ、ワカメ漁がさかんで、海士の拠点になっているという。野鳥観察のメッカとも言われるから、知る人ぞ知る小島である。私はもう40年ほど前に能登半島を一人旅したとき、輪島の浜から島を眺望したことがあった。鳥がたくさん飛び交っていた。作者は「雁の寺」や「越前竹人形」「越後つついし親不知」などで知られているが、母恋物を得意とした。梅雨の時季に淋しい輪島の浜にたたずんで、雨にけむる舳倉島をじっと眺めて感慨にふけっている様子が見えてくる。「母恋ひの舳倉」の暗さは、心憎いほどこの作家らしく決まっている俳句である。母への愛着恋着は時代の変遷にかかわりはあるまいけれど、「母恋ひ」などという言葉は近ごろ聞かれなくなった。作者には似た句で、他に「母恋ひの若狭は遠し雁の旅」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


June 2562015

 飲み干して重くなりたるビアジョッキ

                           平石和美

ールがおいしい季節になった。仕事が終わり「ちょっと飲みに行こうか」と誘われてのまずは最初の一杯。本当に生きていてよかった、と思う瞬間でもある。家だと小さい缶を一本空けるにも持て余し気味なのに、外で飲むとビアジョッキ2杯ぐらいは軽くいけてしまうのはなぜだろう?残り少なくなったビールを飲み干したあと、それまでは軽々と持ち上げていたビアジョッキが右手にずしんと重くなる。空になっているはずなのに…。書かれて初めて気づく感覚もある。このように微妙な勘どころを押させて表現するのは俳句の得意とするところ。この季節ビアジョッキでビールを空けるたび、この句が頭をかけめぐりそうである、『蜜豆』(2014)所収。(三宅やよい)


June 2662015

 青葉木莵沼に伝説ありにけり

                           高木加津子

に棲む青葉木莵それに沼とくれば伝説の一つや二つはありそうである。私の住む柏市の手賀沼にも数々の伝説がある。藤姫伝説という悲恋物語は沼の遊歩道に石碑となって今も残っている。河童伝説などは水上での生業に明け暮れすれば水に命を落とす者が多くそれに纏わって河童なるものを生み出したのだろう。往時手賀沼も鬱蒼たる樹林や田畑に囲まれていた。青葉木莵などの生息地には今野鳥博物館があり剥製が飾ってある。沼の中にはおおらかに河童の像が遊んでいる。他に<濃あぢさゐ滲んで葉書届きをり><ため息のごとく蛍の点りけり><青鬼灯秘めたる夢を語り初む>など。俳誌「百鳥」(2012年10月号)所載。(藤嶋 務)


June 2762015

 茄子漬の色移りたる卵焼

                           藤井あかり

供の頃から茄子の漬物が好きだった。糠漬けの茄子は、祖父母、父母、妹との六人家族時代、祖母と二人だけの好物で、よく台所の片隅でこそこそ食べた。その頃紫陽花の花を見て、茄子の漬物みたいな色だよね、と母に言って、あなたは俳句には向いていないわね、と言われたことも思い出す。あの美しい茄子色も、卵焼きに移ってしまうとやや残念ではあるが、黄色い卵焼きを染めてしまった茄子漬の紫がどれだけ鮮やかか、ということがよくわかる。そして、お弁当箱を開いた時の、あ、というこんな瞬間も俳句にしてしまう作者は今まさに、眼中のもの皆俳句、なのだろう。〈足元の草暮れてゆく端居かな〉〈万緑やきらりと窓の閉まりたる〉〈遥かなるところに我や蝉時雨〉。『封緘』(2015)所収。(今井肖子)


June 2862015

 この街に生くべく日傘購ひにけり

                           西村和子

がスタートしています。前向きな明るさに、元気をいただきました。作者は横浜育ちのようですが、たぶんご主人の仕事の都合で大阪の暮らしが始まったのでしょう。句集には「上げ潮の香や大阪の夏が来る」「大阪の暑に試さるる思ひかな」があり、そのように推察します。「生くべく」で語調も強く意志を示し、「購(か)ひにけり」で行動をきっぱり切る。動詞を二語、助動詞を三語使用しているところにこの句の能動性が表れています。それにしても「日傘購ひ」は、男にはほとんどない季語の使い方で、いいですね。素敵な日傘を購入したことでしょう。句集では「羅(うすもの)のなよやかに我を通さるる」が続き、大阪の街を白い日傘をさして、女性らしい張りをもって歩く姿を読みとります。『かりそめならず』(1993)所収。(小笠原高志)


June 2962015

 僕が訛って冷し中華を食う獏なり

                           原子公平

人かで昼下がりの食堂に入る。それぞれが注文していく過程で、「ぼくは冷し中華」と言うべきところを、「ばくは冷やし…」と訛ってしまった。「ぼくは」と「ばくは」のわずかな差異。その場にいた仲間は、別に気にもせずに、あるいは気がつかずに、別の話をしている。ところが、作者はひとりそのことを気に病んでいる。最近、そうしたちょっとした言い間違いが多いからだ。トシのせいかなと気に病み、やっぱりそうだろうなと自己納得している。言い間違いに限らず、老人の域にさしかかってくると、そんな些細な間違いが気になって仕方がない。運ばれてきた冷し中華に箸をはこびながら、「ぼく」と「ばく」、「僕」と「獏」か。となればさしずめ今の俺は夢を食う「獏」のように冷し中華を食っているわけだ…。その場の誰も気づいてはいないけれど、俺だけは半ば夢のなかで食事をしていることになる。そう思えば、ひとりでに笑えてくるのでもあり、逆に切ない気持ちのなかに沈み込むようでもある。『夢明り』(2001)所収。(清水哲男)


June 3062015

 形代のたぶん男の沈みをり

                           舟まどひ

日6月の晦日は夏越しの祓い。一年のちょうど真ん中にあたる日に前半期の罪や穢れを祓い、後半期の無病息災を祈願する昔ながらの風習。なにごとも半分あたりになると気を抜きやすくなりがちでもあり、大きな節目なのである。形代(かたしろ)は人の形をした紙に名前と年齢を書き、息を吹きかけたりしたのち、川などに流す。身代わりとなっている以上、分身として行方が気になる。早々に沈んだからどうかというものではないが、罪が重いほど早く沈んでしまうようにも思われる。作者が目にしているのは「たぶん」からして、複数の形代を流している。同じかたちでもう文字も見えるはずもなく、どれが自身のものかは分からないが、ここで即座にあれはおそらく男のものだと得心している。この無邪気で健やかな視線の持ち主に、のこり半年も幸多かれと願わずにはいられない。『これがかうなる』(2013)所収。(土肥あき子)




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