子供時代に使った唐傘。新品のときの油のにおいが嬉しかった。(哲




2015ソスN6ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0462015

 約束はただのあじさいだったのに

                           なかはられいこ

陽花の花がだいぶ色付いてきた。紫陽花は家の戸口に裏庭に何気なく植えられて雨のしとしと降る時期に花期を迎える。薔薇のような華やかさはないが、親しみやすい普段着の花だ。俳句の季語としての紫陽花は変化する色や生活の一風景として詠まれることが多い。「紫陽花や家居の腕に腕時計」波多野爽波、「紫陽花のあさぎのままの月夜かな」鈴木花蓑。掲載句では約束の内容はわからないが「ただの」という表現に紫陽花の性質が強調されている。庭の紫陽花を切って新聞紙にくるんで持ってくる約束がお金を出してあつらえた豪華な花束を手渡されたのか。読み手は「あじさい」をめぐる「約束」に想像をめぐらすことになる。紫陽花を捉える角度が俳句と川柳では違う。掲載句は川柳、作者は川柳作家。『脱衣場のアリス』(2001)所収。(三宅やよい)


June 0362015

 青嵐父は歯を剝き鎌を研ぐ

                           車谷長吉

夏の頃、よく使われる季語である。手もとの歳時記には「五月から七月頃、万緑を吹く風で、強い感じの風にいう」と説明されている。そういう一般的な季語を使いながらも、「歯を剝き鎌を研ぐ」と長吉らしい展開の仕方をして、わがものにしているのはさすが。嵐雪の「青嵐定まる時や苗の色」のようにはすんなりと「定め」てはいない。強く吹きつける青嵐に抗するように、この「父」は「歯」と「鎌」という鋭いものをつらねて向き合っているのだ。剥き出している「歯」が研がれる「鎌」のように、青嵐に敢然と対向しているような緊張感を生み出している。風が強く吹くほどに、「父」の表情は険しくなり、「鎌」はギラギラと研ぎあがっていくのだろう。デビュー時から異才を放って注目されてきた長吉は、俳句もたくさん作った。残念ながら先月十七日に急逝してしまった。生前の彼とかかわりのあったあれこれが思い出される。合掌。雑誌等に発表された俳句は、「因業集」として『業柱抱き』(1998)に収められ、のち『車谷長吉句集改訂増補版』(2005)に収められた。他に「雨だれに抜け歯うづめる五月闇」がある。(八木忠栄)


June 0262015

 芍薬の蕾のどれも明日ひらく

                           海野良子

薬はしなやかでやさしい姿を表す「綽約(しゃくやく)」に由来するともいわれ、美人のたとえである「立てば芍薬」はすらりと伸びた茎の先に花を付ける様子を重ねている。咲ききった満開の美しさもさることながら、「明日、咲きます」のささやきが聞こえるほどのほころびは艶然と微笑む唇を思わせ、やわらかなつぼみの隙間から幾重の花びらがほどかれるきざしに、詰まった襟元をゆるめるようななんともいえない色気を感じさせる。約束された満開という幸福を待つ、このうえない幸せの時間。芍薬はつぼみの頃から蜜をこぼし、虫たちを招くという。これもまた芍薬のあやしい魅力のひとつなのかもしれない。『時』(2015)所収。(土肥あき子)




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