マイナンバー法改正案、採決当面見送り。当たり前であります。(哲




2015ソスN6ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1062015

 飛魚や隠岐へ隠岐へと海の風

                           渡部兼直

日、魚屋の店先にならんでいる、光っているイキのよい飛魚を見つけて買った。「飛魚」は夏の季語。南の種子島から、夏にかけては北海道南部まで北上して行くらしい。大きな胸鰭で海面すれすれに、先を競うように舳先をカッコよく飛ぶ。沖合でのあの姿には惚れ惚れと見とれてしまうし、格別旅情をかきたてる。飛魚が魚というよりも海風そのものになって、隠岐を目ざしてまっしぐらに飛ぶという句である。飛魚の干物のうまさはたまらないものがある。クサヤは最高。掲出句には思い出がある。九年前、東京からわれら詩人四人で、境港から出航して隠岐へ船旅をしたことがある。その際、米子在住の兼直さんが同行して案内してくれた。秋だったが、沖の強い海風を食らいながら島へ渡ったのだ。そのとき舳先を波しぶきあげて、スーイスイと飛魚が飛ぶのを目撃した。そのときの旅がモチーフになっている句かと思われる。お人柄もそうだが、自在で楽しい詩を書く兼直さんは俳句も作る。『続ぽえむかれんだあ』の序に「『俳』のない句では俳句にならない。ただ『短句』である」とある。むべなるかな。他に「飛魚の翅の雫や眉に風」がある。『渡部兼直全詩集2』(2015)所収。(八木忠栄)


June 0962015

 踏石の歩巾に合はぬ夕薄暑

                           松島あきら

などに一定の間隔で置かれた踏み石は基本的には歩幅に合わせて計算されているようだが、石の大きさが歩幅に加味されていない場合もあり、テンポ良く歩くのはなかなか難しい。小さく小刻みに渡ればいいのだが、なんだか踏み石に歩幅が制限されているようで面白くない。二つ三つ歩くうちに、タイミングをつかんでも、そのうちまたズレてくる。薄暑とはうっすら汗ばむ陽気という比較的新しい気分を表す季語である。これを心地よいと捉えるか、わずかに憂鬱と捉えるかは個人差によるところが大きい。そのあたりも含め、言葉にするほどでもなく発生する現代人のささやかないらだちに見事に一致するように思われる。『殻いろいろ』(2015)所収。(土肥あき子)


June 0862015

 涼風の一楽章を眠りたり

                           矢島渚男

者は、一楽章を聞き落としたことを、少しも残念には思っていない。むしろ逆にそれをよしとしている。これもまた、音楽鑑賞の醍醐味なのだ。私にも覚えがあるが、この眠りは実に快適だ。そもそも野外音楽堂などでのコンサートは、周囲の環境をひっくるめて音楽を楽しもうという意図があるのだから、はじめから聴衆の眠りを拒否などしていないのである。このことから言うと、ひところ注目された「ヒーリング・ミュージック(癒しの音楽)」などとは、似て非なる世界だろう。こちらは、いわば強引に人工的に眠りを誘いだそうとする企みの上に存在していて、なんだか睡眠薬を盛られているような感じを受ける。実際の涼風のなかを流れてくる「自然の癒し効果」には太刀打ちできないのだ。この句の音楽はクラシックだが、眠くなるのはクラシックに限らない。かつて草森紳一は「ビートルズは眠くなる」と書いて、秀抜な音楽鑑賞論を展開した。彼に言わせれば、世の名曲はすべて私たちに催眠効果を及ぼすというのである。『翼の上に』所収。(清水哲男)




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