阪神、待てば海路の日和あり。上がずるずる落っこちてきた。(哲




2015ソスN6ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1162015

 ぎりぎりの傘のかたちや折れに折れ

                           北大路翼

月11日は「傘の日」らしい。台風や雨交じりの強風が吹いたあと、道路の片隅にめちゃくちゃになったビニール傘が打ち捨てられているのを見かける。まさに掲句のように「ぎりぎりの傘のかたち」である。蛇の目でお母さんが迎えにくることも、大きな傘を持ってお父さんを駅に迎えに行くこともなくなり、雨が降れば駅前のコンビニやスーパーで500円のビニール傘を購入して帰る。強い衝撃にたちまちひしゃげてしまう安物の傘は便利さを求めて薄くなる今の生活を象徴しているのかもしれない。掲句を収録した句集は新宿歌舞伎町を舞台に過ぎてゆく季節が疾走感を持って詠まれているが、傘が傘の形をした別物になりつつあるように、実体を離れた本意で詠まれがちな季語そのものを歌舞伎町にうずまく性と生で洗い出してみせた試みに思える。「饐えかへる家出の臭ひ熱帯夜」「なんといふ涼しさ指名と違ふ顔」『天使の涎』(2015)所収。(三宅やよい)


June 1062015

 飛魚や隠岐へ隠岐へと海の風

                           渡部兼直

日、魚屋の店先にならんでいる、光っているイキのよい飛魚を見つけて買った。「飛魚」は夏の季語。南の種子島から、夏にかけては北海道南部まで北上して行くらしい。大きな胸鰭で海面すれすれに、先を競うように舳先をカッコよく飛ぶ。沖合でのあの姿には惚れ惚れと見とれてしまうし、格別旅情をかきたてる。飛魚が魚というよりも海風そのものになって、隠岐を目ざしてまっしぐらに飛ぶという句である。飛魚の干物のうまさはたまらないものがある。クサヤは最高。掲出句には思い出がある。九年前、東京からわれら詩人四人で、境港から出航して隠岐へ船旅をしたことがある。その際、米子在住の兼直さんが同行して案内してくれた。秋だったが、沖の強い海風を食らいながら島へ渡ったのだ。そのとき舳先を波しぶきあげて、スーイスイと飛魚が飛ぶのを目撃した。そのときの旅がモチーフになっている句かと思われる。お人柄もそうだが、自在で楽しい詩を書く兼直さんは俳句も作る。『続ぽえむかれんだあ』の序に「『俳』のない句では俳句にならない。ただ『短句』である」とある。むべなるかな。他に「飛魚の翅の雫や眉に風」がある。『渡部兼直全詩集2』(2015)所収。(八木忠栄)


June 0962015

 踏石の歩巾に合はぬ夕薄暑

                           松島あきら

などに一定の間隔で置かれた踏み石は基本的には歩幅に合わせて計算されているようだが、石の大きさが歩幅に加味されていない場合もあり、テンポ良く歩くのはなかなか難しい。小さく小刻みに渡ればいいのだが、なんだか踏み石に歩幅が制限されているようで面白くない。二つ三つ歩くうちに、タイミングをつかんでも、そのうちまたズレてくる。薄暑とはうっすら汗ばむ陽気という比較的新しい気分を表す季語である。これを心地よいと捉えるか、わずかに憂鬱と捉えるかは個人差によるところが大きい。そのあたりも含め、言葉にするほどでもなく発生する現代人のささやかないらだちに見事に一致するように思われる。『殻いろいろ』(2015)所収。(土肥あき子)




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