選挙権年齢を18歳以上に。期待できない気がしますデス。(哲




2015ソスN6ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1862015

 はんなりととろろあふひをかきわけて

                           冬野 虹

時記によるととろろ葵はまたの名を黄蜀葵(おうしょっき)その丈は1メートルから2メートルに及ぶときもあるという。平仮名の柔らかさと読み下したときの音のよろしさに詠む側もとろとろ溶けてしまいそうな句である。「とろろあふひ」は大きな黄色の花がうっとりと開くが、朝咲いて夕方頃萎んでしまう一日花だという。そのはかなさがこの句の雰囲気を夢の中の出来事のように淡くしている。「はんなり」は関西弁ではなやぎのある明るさを表すが、角ばった「華やか」とは違う独特なニュアンスがある。立葵とは佇まいが違うとろろあふひをはんなりとかき分けて出る先にはどんな景色が待っているのだろう。「風鈴をつるすこはい処にだけ」「こはさずに蛍を袖に胸に髪に」繊細な言葉で綴られた俳句の数々はやわらかく美しい。『冬の虹作品集成』第一巻『雪予報』(2015)所収。(三宅やよい)


June 1762015

 万緑に入れば万緑の面構え

                           原満三寿

緑の季語は、草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」の句に代表されるが、草田男は王安石の「万緑叢中紅一点」によっている。「万緑」は初夏に活発に繁茂する緑を表わしていて、掲出句でも力強い表現となっていて、下五の「面構え」が万緑のパワーを受けとめているようだ。いかにも男性的な響きを生み出している。万緑に入り、万緑と真正面から正々堂々と対峙している。すっかり万緑に浸り染まったたくましい「面構え」が、頼もしいものに感じられる。どんな事情あるいは用があって、万緑に分け入ったのかは、この際どうでもいいことである。「万緑の面構え」とはどのようなものか、わかるようでわからないけれど、勝手に想像をめぐらしてみるのも一興。万緑の句と言えば、私は「万緑や死は一弾を以て足る」という上田五千石の句が好きだ。満三寿(まさじ)はもともと詩人で詩集が多いけれど、俳論『いまどきの俳句』、句集『日本塵』などがある。春の句に「春の橋やたらのけ反りはずかしき」がある。『流体めぐり』(2015)所収。(八木忠栄)


June 1662015

 時鳥きよきよつと嗤ふ誤植文字

                           山元志津香

鳥(ほととぎす)の鳴き声の聞きなしは、「東京特許許可局」「てっぺんかけたか」など。私には舌足らず気味の「ここ許可局」と聞こえるが、掲句の作者には「きょきょ」が強調されているようだ。自身が関わっている冊子があると誤植は重大事である。活字時代は植字工が拾う活字の間違いが原因で起きたが、今ではパソコンでの変換ミスがもっとも多い。どちらにしても校閲段階で見つけられれば事なきを得るが、誤植というのはなぜか刷り上がった完成物で見つかる。発見したときの気持ちのさがりように反比例するように、誤植部分はめきめきと浮き上がり、紙面を飛び出すかのような勢いで目に飛び込む。作家半藤一利は「浜の真砂と本の誤植は尽きない」と嘆いたというが、ある程度の確率で発生するものとあきらめてはいても、あざけて嘲笑する「嗤ふ」が、自己嫌悪の度合いを象徴する。本欄でもたびたび発生するが、インターネットという流動的媒体の利点でこそっと修正し、翌日には幾分涼しい顔でいられる。それでも次からはご指摘のたび、時鳥の鳴き声が頭に響いてくるに違いない。『木綿の女』(2015)所収。(土肥あき子)




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