安倍首相に何を質問しても無駄だ。まともに答える気がない。(哲




2015ソスN6ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1962015

 海鵜憂し光まみれであるがゆえ

                           高野ムツオ

は全身光沢のある黒色で、嘴の先がかぎ状になっている。潜水が上手で魚を捕食し水から上がると翼を広げて乾かす習性がある。主に川鵜と海鵜が知られる。川鵜は東京上野の不忍池でよく見られる。海鵜の方は長良川の鵜飼いで有名である。掲句の海鵜はきらきらと光が眩しい岩礁に体を曝して羽を休めているのであろう。波の飛沫の光りの中に黒い体を沈めている。黒い体は黒い闇に抱かれた時心休まる。そんな我身が今白日の下に晒されて、光まみれとなり、ふいと憂鬱に襲われている。他に<わが恋は永久に中古や昼の虫><死際にとっておきたき春の雨><大志なら芋煮を囲み語るべし>など。『満の翅』(2013)所収。(藤嶋 務)


June 1862015

 はんなりととろろあふひをかきわけて

                           冬野 虹

時記によるととろろ葵はまたの名を黄蜀葵(おうしょっき)その丈は1メートルから2メートルに及ぶときもあるという。平仮名の柔らかさと読み下したときの音のよろしさに詠む側もとろとろ溶けてしまいそうな句である。「とろろあふひ」は大きな黄色の花がうっとりと開くが、朝咲いて夕方頃萎んでしまう一日花だという。そのはかなさがこの句の雰囲気を夢の中の出来事のように淡くしている。「はんなり」は関西弁ではなやぎのある明るさを表すが、角ばった「華やか」とは違う独特なニュアンスがある。立葵とは佇まいが違うとろろあふひをはんなりとかき分けて出る先にはどんな景色が待っているのだろう。「風鈴をつるすこはい処にだけ」「こはさずに蛍を袖に胸に髪に」繊細な言葉で綴られた俳句の数々はやわらかく美しい。『冬の虹作品集成』第一巻『雪予報』(2015)所収。(三宅やよい)


June 1762015

 万緑に入れば万緑の面構え

                           原満三寿

緑の季語は、草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」の句に代表されるが、草田男は王安石の「万緑叢中紅一点」によっている。「万緑」は初夏に活発に繁茂する緑を表わしていて、掲出句でも力強い表現となっていて、下五の「面構え」が万緑のパワーを受けとめているようだ。いかにも男性的な響きを生み出している。万緑に入り、万緑と真正面から正々堂々と対峙している。すっかり万緑に浸り染まったたくましい「面構え」が、頼もしいものに感じられる。どんな事情あるいは用があって、万緑に分け入ったのかは、この際どうでもいいことである。「万緑の面構え」とはどのようなものか、わかるようでわからないけれど、勝手に想像をめぐらしてみるのも一興。万緑の句と言えば、私は「万緑や死は一弾を以て足る」という上田五千石の句が好きだ。満三寿(まさじ)はもともと詩人で詩集が多いけれど、俳論『いまどきの俳句』、句集『日本塵』などがある。春の句に「春の橋やたらのけ反りはずかしき」がある。『流体めぐり』(2015)所収。(八木忠栄)




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