戦後70年とマスコミはかまびすしい。戦後はマスコミのものじゃない。




2015ソスN6ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2162015

 影を出ておどろきやすき蟻となる

                           寺山修司

影から日向に出て、おどろきやすい蟻となっている。光と熱の変化に、蟻は驚いているのかもしれない。しかし、蟻に、驚くという感性があるのだろうか。また、蟻の驚きを、作者は見たというのだろうか。中七下五が引っかかります。作者は寺山修司だから、これは写生のふりをした虚構であることは十分に考えられます。寺山は、現実と虚構を反転させることを得意としたからです。例えば、現実には生きている母の死亡広告を出したり、劇画「あしたのジョー」の作中で死んだ力石徹の葬式を現実に取り仕切ったりして、現実と虚構の境界を無化する企てを試み続けました。もし、掲句の「蟻」を「人」に入れ替えたらどうでしょう。「影を出ておどろきやすき人となる」。 家を出て 、町に出て、驚きやすい人になる。これなら、『家出のすすめ』『書を捨てよ、町へ出よう』の作者の句として筋は通ります。『花粉航海』(1975)所収。(小笠原高志)


June 2062015

 あかるさや蝸牛かたくかたくねむる

                           中村草田男

日、自宅で飼っているというカタツムリが夜、人参を食べている映像を見た。おろし金のようなたくさんの歯を持っている蝸牛だが、かなり大きな良い音を立てていた、真夜中にどこからともなく聞こえて来たらちょっと怖い。よく見かける身近な蝸牛だが、美しい螺旋形の殻と流動的な柔らかい体を持ち、雌雄同体の謎めいた生き物だ。掲出句の、蝸牛、は、ででむし、と読んだ。殻に全身を閉じ込めて蓋をしてしまうこともあるというのでそんな姿で梅雨晴のある日、葉陰かどこかの片隅でじっとしていたのだろう。日差しが明るければ明るいほど、小さな貝殻となって動かない蝸牛の持つ闇がその螺旋に沿って果てしなく深くなっていくようでこれもちょっと怖くなる。『草田男季寄せ 夏』(1985・萬緑発行所)所載。(今井肖子)


June 1962015

 海鵜憂し光まみれであるがゆえ

                           高野ムツオ

は全身光沢のある黒色で、嘴の先がかぎ状になっている。潜水が上手で魚を捕食し水から上がると翼を広げて乾かす習性がある。主に川鵜と海鵜が知られる。川鵜は東京上野の不忍池でよく見られる。海鵜の方は長良川の鵜飼いで有名である。掲句の海鵜はきらきらと光が眩しい岩礁に体を曝して羽を休めているのであろう。波の飛沫の光りの中に黒い体を沈めている。黒い体は黒い闇に抱かれた時心休まる。そんな我身が今白日の下に晒されて、光まみれとなり、ふいと憂鬱に襲われている。他に<わが恋は永久に中古や昼の虫><死際にとっておきたき春の雨><大志なら芋煮を囲み語るべし>など。『満の翅』(2013)所収。(藤嶋 務)




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