連日雷鳴とどろく日本列島。社会も自然までもが変である。(哲




2015ソスN6ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2462015

 母恋ひの舳倉(へくら)は遠く梅雨に入る

                           水上 勉

登半島の先端輪島の沖合に舳倉島はある。周囲5キロの小さな島である。一般にはあまり知られていないと思われる。近年は定住者もあり、アワビ、サザエ、ワカメ漁がさかんで、海士の拠点になっているという。野鳥観察のメッカとも言われるから、知る人ぞ知る小島である。私はもう40年ほど前に能登半島を一人旅したとき、輪島の浜から島を眺望したことがあった。鳥がたくさん飛び交っていた。作者は「雁の寺」や「越前竹人形」「越後つついし親不知」などで知られているが、母恋物を得意とした。梅雨の時季に淋しい輪島の浜にたたずんで、雨にけむる舳倉島をじっと眺めて感慨にふけっている様子が見えてくる。「母恋ひの舳倉」の暗さは、心憎いほどこの作家らしく決まっている俳句である。母への愛着恋着は時代の変遷にかかわりはあるまいけれど、「母恋ひ」などという言葉は近ごろ聞かれなくなった。作者には似た句で、他に「母恋ひの若狭は遠し雁の旅」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


June 2362015

 夏至の日を機械の手入れして終わる

                           恒藤滋生

日は夏至。太陽が夏至点を通過し、北半球では一年で昼がもっとも長く、夜がもっとも短くなる。冬至と比べると、昼間の時間差は4時間以上にもなる。太陽を生活の中心とした生活からずいぶんと離れてしまった現代でも、同じ午後5時でもまだこんなに明るいというように、時間を基本としつつ日の長さを実感する。掲句は正確が取り柄の機械と、一年のなかで伸び縮みする太陽の動きとの取り合わせがユニーク。しかも、終日機械の手入れに関わっていたことで、人間はもう太陽とともに生きる生活には戻れないことも示唆しているようにも思われる。そこには、自然が遠く離れてしまったようなさみしさや切なさも漂うのだ。『水分』(2014)所収。(土肥あき子)


June 2262015

 同じ女がいろんな水着を着るチラシ

                           北大路翼

ざめである。チラシを見るのが男である場合には、べつに水着のあれこれを比較するわけじゃない。したがって、「なあんだい」ということになる。けれども、かつて広告などの小さなプロダクションで働いた身には、なんとも切ない読後感が残る。要するにモデルを何人も雇う資金的余裕がないので、同じ女性を使いまわすことになってしまう。これが一流のモデルであったら話は別なのだけれど、哀しいかな、声をかけられるモデルの質には限界がある。つまりは貧すれば鈍するとなる理屈で、チラシの製作段階から仕上がりのみじめさが読めてしまうのだから、どうしようもない。この句を読んで、そんな若き日の苦い感情を思い出した。この句の作者には、いわば全焦点レンズで押さえたスナップ写真のような作品が多い。それがしばしば奇妙な味つけとなる。『天使の涎』(2015)所収。(清水哲男)




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