国会中継がつまらない。議員の質の低下は目を覆うばかり。(哲




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June 2762015

 茄子漬の色移りたる卵焼

                           藤井あかり

供の頃から茄子の漬物が好きだった。糠漬けの茄子は、祖父母、父母、妹との六人家族時代、祖母と二人だけの好物で、よく台所の片隅でこそこそ食べた。その頃紫陽花の花を見て、茄子の漬物みたいな色だよね、と母に言って、あなたは俳句には向いていないわね、と言われたことも思い出す。あの美しい茄子色も、卵焼きに移ってしまうとやや残念ではあるが、黄色い卵焼きを染めてしまった茄子漬の紫がどれだけ鮮やかか、ということがよくわかる。そして、お弁当箱を開いた時の、あ、というこんな瞬間も俳句にしてしまう作者は今まさに、眼中のもの皆俳句、なのだろう。〈足元の草暮れてゆく端居かな〉〈万緑やきらりと窓の閉まりたる〉〈遥かなるところに我や蝉時雨〉。『封緘』(2015)所収。(今井肖子)


June 2662015

 青葉木莵沼に伝説ありにけり

                           高木加津子

に棲む青葉木莵それに沼とくれば伝説の一つや二つはありそうである。私の住む柏市の手賀沼にも数々の伝説がある。藤姫伝説という悲恋物語は沼の遊歩道に石碑となって今も残っている。河童伝説などは水上での生業に明け暮れすれば水に命を落とす者が多くそれに纏わって河童なるものを生み出したのだろう。往時手賀沼も鬱蒼たる樹林や田畑に囲まれていた。青葉木莵などの生息地には今野鳥博物館があり剥製が飾ってある。沼の中にはおおらかに河童の像が遊んでいる。他に<濃あぢさゐ滲んで葉書届きをり><ため息のごとく蛍の点りけり><青鬼灯秘めたる夢を語り初む>など。俳誌「百鳥」(2012年10月号)所載。(藤嶋 務)


June 2562015

 飲み干して重くなりたるビアジョッキ

                           平石和美

ールがおいしい季節になった。仕事が終わり「ちょっと飲みに行こうか」と誘われてのまずは最初の一杯。本当に生きていてよかった、と思う瞬間でもある。家だと小さい缶を一本空けるにも持て余し気味なのに、外で飲むとビアジョッキ2杯ぐらいは軽くいけてしまうのはなぜだろう?残り少なくなったビールを飲み干したあと、それまでは軽々と持ち上げていたビアジョッキが右手にずしんと重くなる。空になっているはずなのに…。書かれて初めて気づく感覚もある。このように微妙な勘どころを押させて表現するのは俳句の得意とするところ。この季節ビアジョッキでビールを空けるたび、この句が頭をかけめぐりそうである、『蜜豆』(2014)所収。(三宅やよい)




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