破産寸前のギリシャ。今週は目が放せない。(哲




2015N629句(前日までの二句を含む)

June 2962015

 僕が訛って冷し中華を食う獏なり

                           原子公平

人かで昼下がりの食堂に入る。それぞれが注文していく過程で、「ぼくは冷し中華」と言うべきところを、「ばくは冷やし…」と訛ってしまった。「ぼくは」と「ばくは」のわずかな差異。その場にいた仲間は、別に気にもせずに、あるいは気がつかずに、別の話をしている。ところが、作者はひとりそのことを気に病んでいる。最近、そうしたちょっとした言い間違いが多いからだ。トシのせいかなと気に病み、やっぱりそうだろうなと自己納得している。言い間違いに限らず、老人の域にさしかかってくると、そんな些細な間違いが気になって仕方がない。運ばれてきた冷し中華に箸をはこびながら、「ぼく」と「ばく」、「僕」と「獏」か。となればさしずめ今の俺は夢を食う「獏」のように冷し中華を食っているわけだ…。その場の誰も気づいてはいないけれど、俺だけは半ば夢のなかで食事をしていることになる。そう思えば、ひとりでに笑えてくるのでもあり、逆に切ない気持ちのなかに沈み込むようでもある。『夢明り』(2001)所収。(清水哲男)


June 2862015

 この街に生くべく日傘購ひにけり

                           西村和子

がスタートしています。前向きな明るさに、元気をいただきました。作者は横浜育ちのようですが、たぶんご主人の仕事の都合で大阪の暮らしが始まったのでしょう。句集には「上げ潮の香や大阪の夏が来る」「大阪の暑に試さるる思ひかな」があり、そのように推察します。「生くべく」で語調も強く意志を示し、「購(か)ひにけり」で行動をきっぱり切る。動詞を二語、助動詞を三語使用しているところにこの句の能動性が表れています。それにしても「日傘購ひ」は、男にはほとんどない季語の使い方で、いいですね。素敵な日傘を購入したことでしょう。句集では「羅(うすもの)のなよやかに我を通さるる」が続き、大阪の街を白い日傘をさして、女性らしい張りをもって歩く姿を読みとります。『かりそめならず』(1993)所収。(小笠原高志)


June 2762015

 茄子漬の色移りたる卵焼

                           藤井あかり

供の頃から茄子の漬物が好きだった。糠漬けの茄子は、祖父母、父母、妹との六人家族時代、祖母と二人だけの好物で、よく台所の片隅でこそこそ食べた。その頃紫陽花の花を見て、茄子の漬物みたいな色だよね、と母に言って、あなたは俳句には向いていないわね、と言われたことも思い出す。あの美しい茄子色も、卵焼きに移ってしまうとやや残念ではあるが、黄色い卵焼きを染めてしまった茄子漬の紫がどれだけ鮮やかか、ということがよくわかる。そして、お弁当箱を開いた時の、あ、というこんな瞬間も俳句にしてしまう作者は今まさに、眼中のもの皆俳句、なのだろう。〈足元の草暮れてゆく端居かな〉〈万緑やきらりと窓の閉まりたる〉〈遥かなるところに我や蝉時雨〉。『封緘』(2015)所収。(今井肖子)




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