首位阪神も強くないが、今季の巨人は弱いなあ。(哲




2015ソスN7ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0272015

 台形の面積のこと蛇のこと

                           中谷仁美

形の面積?小学校のときに習ったけど思い出せない。ネットで検索すればすぐに公式は出て来るけど、丸暗記した記憶は頭の片隅にも残っていない。「こんなこと勉強しても仕方がない」苦手な理数科系の教科の試験の前にはいつでもそんな不満が頭を渦巻いていた。そんな台形の面積と蛇が並列においてあるってことは句の裏の気持ちはどちらも苦手っていうことか。で、なくとも台形の面積を学んだあとに蛇のからだの仕組みの授業なのかも。唐突に台形の面積と公式と蛇が並ぶこの並びかたがおかしい。田畑の多い田舎では夏場の蛇はありふれたものだったが、最近は青大将も動物園の爬虫類館でみる有様、蛇も公式と同じように今や観念的存在なのかも。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)


July 0172015

 夏を病む静脈に川の音を聞く

                           岸田今日子

だから半袖の薄い部屋着で臥せっているのだろう。病んで白っぽくなってしまった自分の腕をよくよく見ると、静脈が透けて見えるようだ。そこを流れる血の音までが、頼りなくかすかに聞こえてくるようでさえある。病む人の気の弱りも感じられる。静脈の流れを「川の音」と聞いたところに、この句の繊細な生命が感じられるし、繊細にとがった神経が同時に感じられて、思わずしんとしてしまう。身は病んでも、血は淀んでいるわけではなく生きて音たてて流れている。今さらながら、女性特有の細やかさには驚くばかりである。今日子は童話やエッセイ、小説にも才能を発揮した女優。俳号を「眠女」と名乗り、冨士眞奈美や吉行和子らが俳句仲間であった。三人はよく旅もした仲良しだった。昔あるとき、父國士が言い出して家族句会が始まった。そのとき一等賞に輝いたのが、今日子の句「黒猫の影は動かず紅葉散る」だったという。他に「春雨を髪に含みて人と逢う」がある。いずれも独自な世界がひそんでいる。内藤好之『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


June 3062015

 形代のたぶん男の沈みをり

                           舟まどひ

日6月の晦日は夏越しの祓い。一年のちょうど真ん中にあたる日に前半期の罪や穢れを祓い、後半期の無病息災を祈願する昔ながらの風習。なにごとも半分あたりになると気を抜きやすくなりがちでもあり、大きな節目なのである。形代(かたしろ)は人の形をした紙に名前と年齢を書き、息を吹きかけたりしたのち、川などに流す。身代わりとなっている以上、分身として行方が気になる。早々に沈んだからどうかというものではないが、罪が重いほど早く沈んでしまうようにも思われる。作者が目にしているのは「たぶん」からして、複数の形代を流している。同じかたちでもう文字も見えるはずもなく、どれが自身のものかは分からないが、ここで即座にあれはおそらく男のものだと得心している。この無邪気で健やかな視線の持ち主に、のこり半年も幸多かれと願わずにはいられない。『これがかうなる』(2013)所収。(土肥あき子)




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