2015ソスN7ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1272015

 旅びとに夕かげながし初蛍

                           角川春樹

に出て何日経つだろうか。今日も日が暮れてゆく。旅に出ると、だんだんおのが身がむき出しになってきて、背負ってきた過去の時間は、夕影に長く伸びている。しかし、夕闇が深くなり始めて、この夏初めて見る蛍は光を発光してうつろっている。私にはうつろって見えるけれど、実際は、まっすぐに求愛している。けれども、人がそうであるように、蛍の恋も迷いさまようのではないだろうか。「源氏名の微熱をもちし恋蛍」。拙者のことをやけに艶っぽく詠んでくれました。源氏名とは洒落てい ます。われわれと同様に、人間界の恋も、微熱をともなうらしいですね。医学的には、風邪の症状と恋している症状は同等なので、将来的には恋する注射も開発可能と聞いたことがあります。ならば、失恋の鎮痛薬も出来そうですが、閑話休題。「夕蛍真砂女の恋の行方かな」。消えるとわかっていても光ろうとする。できないからやろうとする。かなわないから、さらに発光する。しかし、現実には、「手に触れて屍臭(ししゅう)に似たる蛍かな」ということも。人は、蛍の光に恋情を見ますが、作者は、その生臭い実態を隠しません。掲句に戻ります。中七まで多用されているひらがなが流れつく先に、初蛍が光っています。旅人と夕影と初蛍の光の情景から、音楽が生まれてもおかしくない気がします。引用句も含めて『存在と時間』(1997)所収。(小笠原高志)


July 1172015

 花柘榴雨きらきらと地を濡らさず

                           大野林火

榴の花の赤は他のどの花にもない不思議な色だ。近所に、さほど大きくない柘榴の木が門のすぐ脇に植えられている家がある。今年も筒状の小さい花が、ことさら主張することなくそちこち向きつつ葉陰に咲いていたが、自ずと光って通りがかりの人の目を引いていた。その光る赤を表現したい、と思ったことは何度もあるのだが今ひとつもやもやしたまま過ごしていた時この句を知った。細かい雨の中、柘榴の花が咲いている。きらきら、は柘榴の花そのものが放つ光の色であり、雨は光を溜めて静かに花を包んでいる。その抒情を、地を濡らさず、という言い切った表現が際立たせており、作者の深く観る力に感じ入る。『季寄せ 草木花 夏』(1981・朝日新聞社)所載。(今井肖子)


July 1072015

 大瑠璃や岸壁すでに夜明けたる

                           石野冬青

字どおり瑠璃色の鮮やかな鳥である。ただしこれはオスの色で、メスはぐっと地味なスズメ色(オリーブ褐色)である。九州以北の低山の林に夏鳥として渡来する。特に渓流に沿った林を好み、飛んでくる虫を空中で捕えては枝にもどる。繁殖期の初夏になると、ピーリーピーリリ、ジジッと、必ず最後にジジッと言う声を響かせて鳴く。この鳴き声の美しさは、コマドリの「ヒンカラカラカラ」、ウグイスの「ホーホケキョー」と共に日本三鳴鳥と讃えられている。驚くほど星の美しい渓に寝付かれぬ夜を明かす。テントから顔を出せば夜も白々と明けて清らかな水の流れが聞こえてくる。うっすらと白んだ岸壁には「ピーリーピーリリ、ジジッ」が鳴き響いている。<瑠璃鳴くる方へ総身傾けぬ>(加藤耕子)では無いが、耳だけでなく全身で聴きたくなる声である。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(藤嶋 務)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます