2015N8句

August 0182015

 悲しさを漢字一字で書けば夏

                           北大路翼

の句集『天使の涎』(2015)を手にした時は春だった。そして付箋だらけになった句集はパソコン横の「夏の棚」に積まれ今日に至った。悲しさは、悲しみより乾いていて、淋しさより深い。夏の思い出は世代によって人によって様々に違いないが、歳を重ね立ち止まって振り返ることが多くなって来た今そこには、ひたすら暑い中太陽にまみれている夏のど真ん中で、呆然と立ち尽くしている自分がいる。暦の上では今年の夏最後の土曜日、来週には秋が立つ。他に〈冷奴くづして明日が積みあがる〉〈三角は全て天指す蚊帳の中〉〈拾ひたる石が蛍になることも〉〈抱くときの一心不乱蟬残る〉。(今井肖子)


August 0282015

 雲の峯通行人として眺む

                           永田耕衣

景の句として読めます。「雲の峯」に「通行人」を連ねたところに意外性があります。凡庸な発想なら、「行人」や「旅人」としたくなるところですが、遠方上空に沸き立つ大自然と都市生活者を対置したところに、大と小、聖と俗、自然と人間の違いをくっきりと浮かび上がらせています。雄大な自然を形容する季語に、平凡な日常語をぶつけることによって、お互いが言葉の源義に立ち戻りはじめます。なお、この通行人の行動を、耕衣が目指した超時代性として読むことも可能です。すると、「雲の峯」という季節の標識を、季節の通行人が眺めて通り過ぎる意となり、実景は心象風景へと転化します。『非佛』(1973)所収。(小笠原高志)


August 0382015

 火薬工場の真昼眼帯の白現われ

                           杉本雷造

ういう句に出会うと、おそらくは人一倍反応してしまうほうだ。父親の仕事の関係でしばらく、花火工場の寮に暮していたことがあるからだ。花火といえば、この時季がかき入れ時。と同時に、事故の多発期。いまよりもずっと脆弱な管理体制下にあった昔の花火工場では、真夏の事故には、いわば慣れっこ、ああまた「ハネたか」という具合であったが、ときには死者も出る。飛び散った肉片を集めるために、警官達が割りばしをもって右往左往していた姿は忘れられない。そんな環境の工場に白い眼帯をした者が現れたら、誰しもが事故と結びつけて反応してしまう。このような反応は、その職場によってさまざまだろうが、その怪我が工場とは無関係なことがわかったあとでも、「よせやい、この暑いのに」と笑ってすますまでにはちょっと時間がかかる。無季に分類せざるを得ないが、私の中では夏の句として定着している。『現代俳句歳時記・無季』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


August 0482015

 そしてみんな大人になりぬ灸花

                           村上喜代子

五の「そしてみんな」の「みんな」と括られたなかには、作者自身に加え、親しい誰彼、そしてわが子も含まれるだろう。やりとげた充実感に満たされつつ、手が離れてゆくさみしさが押し寄せる。胸に空いたがらんとした空間がじわじわと広がる思いに途方に暮れる。どこかでアガサ・クリスティーの名作「そして誰もいなくなった」の、登場人物がひとりずつ減っていく恐怖も引き連れているように思われるのは、大人になることで失ってしまうものの大きさを大人である作者、そして読者もじゅうぶん知っているからだろう。喜ぶべき成長の早さを嘆いてはならぬと思いながらも抱いてしまう複雑な心情を映し、花弁の芯に燃えるような紅紫色を宿す灸花が赤々と灯る。現代俳句文庫77『村上喜代子句集』(2015)所収。(土肥あき子)


August 0582015

 子狐の風追ひ回す夏野かな

                           戸川幸夫

夫が動物小説の第一人者だったことは、よく知られている。『戸川幸夫動物文学全集』15巻があるほどだ。彼の場合は愛玩動物ではなく、地の涯へ徐々に追いやられている野生動物に対する、優しいまなざしが深く感じられる文学である。掲出句も例外ではない。風に戯れている子狐に向けられる、やさしいまなざしにあふれている。野生に対するまなざし。「狐」は冬の季語だが、晩春のころに生まれて成長した子狐が、警戒心もまだ薄く夏の野原に出てきて、無心に風を追い回し戯れている光景を目撃したのであろう。加藤楸邨が狐を詠んだ句に「狐を見てゐていつか狐に見られてをり」がある。幸夫は戦前に取材の折に出会ったある俳人に、その後手ほどきを受けて俳句を作るようになったという。句文集『けものみち』の後書には、「物言はぬ友人たちのことを一人でも多くの方々に知っていただきたい…(略)…俳句もその一つ」とある。幸夫には他に「乳房あかく死せる狐に雪つもる」がある。内藤好之『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


August 0682015

 広島に生まれるはずはなかったのだ

                           武馬久仁裕

季句。1945年8月6日 午前8時15分。原爆が投下された直後、その悲劇に遭遇した人の口からこの言葉がうめきごえと共に洩らされたかもしれない。あの戦争では偶然のなりゆきで生死を分け、家族と離ればなれになって筆舌に尽くしがたい苦労を背負い続けた人が何万人もいたことだろう。広島、長崎と引き起こされた悲劇。人は生まれる場所を自分で決めることは出来ない。広島に生まれるはずはなかったけど広島に生を受け、原爆にさらされた人。亡くなった人。今は戦後であるが、次に始まる戦争前だと捉える人も多い。憲法をないがしろにする安全保障関連法案が衆議院で強行採決され、きな臭い匂いが高まっている。小さな火種をきっかけに戦争はある日突然始まり、争いはたちまちのうちに拡大してゆく。いまこそ自分が生まれた場所が再び戦争の惨禍に巻き込まれないよう小さな声でも発言していくことが必要なのだろう。『武馬久仁裕全集』(2015)所収。(三宅やよい)


August 0782015

 山深し語尾しつかりと三光鳥

                           有馬朗人

き声が独特で「ツキ(月)・ヒー(日)・ホシ(星)、ホイホイホイ」と聞こえるので三光鳥と名付けられた。ホイホイホイが馬を追う様にも聞こえ、別に馬追鳥という名もある。一般に鳥類ではオスが目立つ色彩や形態をとるが三光鳥ではくちばしと目の周囲がコバルト色でとても長い尾羽を引いている。夏鳥として東南アジアから日本に渡来してくる。夏休みは海へ山へと出掛けて何時もと違う生活が多くなる。そんないっ時、普段の人間関係から離れて自然に目を遣り耳を貸していると珍しい鳴き声が聞こえてきた。目の先には深い山、佇んでいるとまたしても遠くより「月日星、ホイホイホイ」の語尾ホイホイホイの最後まで聞き取れる澄んだ鳴き声がした。自分がめったに無い非日常の深山幽谷に立っているのだと思うと身が洗われたような気がするのだった。人間たまには非日常に身を置くのも良いものだ。「俳句」(2014年8月号)所載。(藤嶋 務)


August 0882015

 新涼や白寿へ向かふよき寝息

                           船橋とし

則的で安らかな寝息をたててぐっすり眠っている方は、向かふ、ということなので御年九十八歳ということになる。その穏やかな眠りを傍らで見守っている作者の気持ちに寄り添うように、窓から運ばれてくる新涼の風は心地よくやさしい。この句を読んでふと父を看取ったときのことを思い出した。それは静かで規則的な寝息なのだが少しずつ間遠になりながら、確実に終わりに向かっていった。縁起でもない連想で申し訳ないけれどその記憶が、よりいっそうこの句の、よき寝息、の健やかさを実感させた。毎年のことではあるけれど、暦とはうらはらに猛暑続きの毎日、新涼、の心地よさを実感できる日が待たれる。『輪唱』(2014)所収。(今井肖子)


August 0982015

 たいようは空であそんで海でねる

                           てづか和代

日記の一行のような句です。夏休みに、海水浴に行った思い出でしょうか。童女は、波にたわむれ、海にただよい、砂浜のパラソルの下で寝ころんで、雲の流れを追います。太陽は、強烈な光を放射していて、目をつぶっても瞼の薄皮を突き抜けて、目の中はオレンジ色の光です。午後になって再び、波にたわむれ、海にただよい、砂浜のパラソルの下で寝ころんで、雲の流れを追います。さっきはまぶしくて目をつぶってしまったけれど、いまは、わきあがり始めた入道雲をじっと見続けることができます。午前中にパラソルの前方にあった太陽は、今、パラソルの後方にあるからです。このとき、8才のてづか和代さんは、たいようは空であそんでいることをしりました。夕方、民宿の窓から海に沈む夕日を見て、和代さんも、すっかり眠くなりました。またあしたあそびましょう。なお、掲句は、各国の児童が参加したハイク・コンテストから優秀作品をまとめた『地球歳時記』(1995)所載で、英訳も付記しておきます。The sun Plays in the sky and Goes to sleep in the ocean(小笠原高志)


August 1082015

 青梅や昔どこにも子がをりし

                           甲斐羊子

しかに、子供の姿をあまり見かけなくなった。全国的な少子化という客観的な裏づけもあるけれど、昔のように子供らの遊び場が一定しなくなったせいもあるだろう。昔は、子供らの集まる場所はほぼ決まっていた。青梅など実のなる木の周辺なども、その一つだった。餓えていたころには、食べられるものがどんな季節にどこにあるのか。恐ろしいほどに、よく知っていたっけ。しかし飢餓の時代であっても、青梅を口にすることは親から禁じられていた。中毒をおこすので、厳禁だという。しかし子供らは、そんなことに頓着はしない。中毒よりも満腹である。そんな子供らと親とのせめぎあいが長くつづけられている間に、気がつけば世の中は掲句の世界へと移ってしまっていた。青梅か、あんまり美味しいものじゃなかったな。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


August 1182015

 鶏頭の俄かに声を漏らしけり

                           曾根 毅

には植物というより、生きものに近いような存在感を持つものがある。鶏頭もそのひとつ。花の肌合いが生きものそのものといった感じもあり、個人的には少々苦手。生命力も旺盛な花で、真夏の暑さでもぐんぐん成長し、直射日光の下で深紅や黄色の鮮やかな花を付ける。その鶏頭が声を漏らすという。「俄かに」とは、急に、だしぬけに、という意味。同句集が東日本大震災の作品が多く収められているということを踏まえると、掲句は強靭な鶏頭が見た惨状への声と思わせる。鶏頭が生きものめいているだけに声を持つことに一瞬なんの躊躇もなかったが、それはいかにも不気味で禍々しい。作者は四十歳未満であることが応募資格の第4回芝不器男俳句新人賞受賞。震災ののちの現状を平素の景色のなかで詠む。副賞が句集上梓というのも若い俳人へのエールにふさわしい。〈滝おちてこの世のものとなりにけり〉〈桐一葉ここにもマイクロシーベルト〉『花修』(2015)所収。(土肥あき子)


August 1282015

 蝉鳴くや隣の謡きるゝ時

                           二葉亭四迷

つて真夏に山形県の立石寺を訪れたとき、蝉が天を覆うがごとくうるさく鳴いていた。芭蕉の句「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」どころか、岩を転がし砕かんばかりの圧倒的な声に驚嘆したことが忘れられない。ごく最近、海に近い拙宅で一回だけうるさく鳴く蝉の声で、早朝目覚めたことがあった。幸い天変地異は起こらなかったが、いつからか気象は狂ってしまっているらしい。掲出句の蝉は複数鳴いているわけではあるまい。隣家で謡(うたい)の稽古をしているが、あまりうまくはない。その声が稽古中にふと途切れたとき、「出番です」と誘われたごとく一匹の蝉がやおら鳴き出した。あるいは謡の最中、蝉の声はかき消されていたか。そうも解釈できる。「きるゝ時」だから、つっかえたりしているのだろう。意地悪くさらに言うならば、謡の主より蝉のほうがいい声で鳴いていると受け止めたい。そう解釈すれば、暑い午後の時間がいくぶん愉快に感じられるではないか。徳川夢声には「ソ連宣戦はたと止みたる蝉時雨」という傑作がある。四迷には他に「暗き方に艶なる声す夕涼」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


August 1382015

 曇天や遠泳の首一列に

                           曾根 毅

泳と言えば平泳ぎ、波に浮き沈みする頭が沖へ沖へと連なっているのだろう。私が若い頃赴任した山口県秋穂の中学校では遠泳大会があり、湾を囲むように突き出た岬から岬へ1年から3年まで全員が泳いだ。もちろん先生が舟に乗って監視をしながらではあるが。都会育ちで金槌の私は役立たずということで砂浜に座って沖へ連なる頭を見ているしかなかった。ここでは「首一列に」という表現に胴体から切り離された打ち首が並んでいる様子を想像せざるを得ない。空は夏の明るさはなくどんよりと曇っている。その色を映して海も灰色で夏の明るさはないだろう。夏の眩しさと対照的に日本の夏は原爆と敗戦と同時に加害者としての戦争の記憶を拭い去ることは出来ないだろう。一列に続く遠泳の首のイメージはその暗さを象徴しているように思える。『花修』(2015)所収。(三宅やよい)


August 1482015

 飯盒の蓋に鳥の餌終戦日

                           望月紫晃

盒(はんごう)は、キャンプ・登山など野外における調理に使用する携帯用調理器具・ 食器である。平和な日本の今では趣味のキャンプ等に登場するが、臨戦態勢の戦時中では水筒とともに命を繋ぐ欠かせない容器であった。南方戦線を渡り歩いた私の父はさして威力も無い銃と飯盒一つを携えて投降したと言う。その時、一瞬一瞬に怯える命から開放された。命あることの喜びに包まれて、作者は今飯盒の蓋で鳥に餌をやっている。小鳥よ楽しく囀れよ、もう戦争は懲り懲りだ。明日は八月十五日。他に森功氏の<小さな駅で一人の兵士が泣いていた>、若月恵子氏の<今日よりは帯解く眠り蚊帳青し>、八住利一氏の<なげ出した三八銃に赤とんぼ>など戦争の1,000句が所載されている。『十七文字の禁じられた想い(塩田丸男編)』(1995)所載。(藤嶋 務)


August 1582015

 手花火の小さく闇を崩しけり

                           蔵本聖子

ち上げ花火ならお腹に響くくらいに大きい単純なのが、手花火なら線香花火が好ましい、というのは勝手な私見である。もちろんよくフィナーレに使われる連発の花火も美しいし、手で持ってくるくる回したりするのも楽しくはあるのだが。いずれにしても闇あってこその花火、この句の花火は線香花火だろう。小さく闇を崩す、と感じさせるのは牡丹が終わって大きい火の玉ができて、すこし沈黙した後の松葉が始まるあたりか。あの独特の音と細かく繊細な火花は、一瞬そこにある闇とぶつかってその闇を崩したかと思ううちに、すぐ弱まり雫になって燃えおちる。そんな線香花火とその後ろにある大きな闇を、少し離れたところから見ている作者なのだろう。『手』(2015)所収。(今井肖子)


August 1682015

 盆のともしび仏眼よろこびて黒し

                           飯田龍太

の本堂でしょうか。「盆のともしび」の字余りが、そのまま細長く伸びる灯明の光になっています。その光には、槍の剣先のような鋭い緊張がありますが、それは同時に仏像の切れ長の眼を照らし、微笑しているように見えてきます。漆黒の仏像は盆のともしびを得て、見る角度によって、また、見る者の心模様によって喜びや慈悲の表情を見せるのでしょう。ふだん、寺の本堂に足を運ぶことはなく、最近の葬儀はセレモニー会場で行なわれることがほとんどなので、観光や展示以外で仏像を見ることは 少なくなりました。しかし、仏像は常に在って不動です。夜は、闇の中に同化して、その存在も無に等しくなっているのでしょうが、陽が射し始めるとふたたびその存在は顕在し始めます。灯明が点火されると多様なコントラストを得て、仏像は、見る者の心のあり様を見せてくれるのでしょう。そう思うと、盆には仏事らしきことの一つでもしておかなくてはという気持ちにさせられました。仏像を見ていないのに、仏像の句を読み、少し心おだやかになりました。『麓の人』(1965)所収。(小笠原高志)


August 1782015

 ビヤガーデン話題貧しき男等よ

                           吉田耕史

はさまざまだなあ。この句を読んだときに、思わずつぶやいてしまった。作者にはまことに失礼な言い方になるが、ビヤガーデンに何か話題を求めて、「男等」は集うものなのだろうか。たしかにビヤホールでの話は、ろくなものじゃないだろう。でも、そのろくなものじゃない話題が、逆にビールの美味さを盛り上げていくのであって、これがろくなものだったら、そんな話はどこか別の場所でやってくれと言いたくなってしまう。岡本眸に「嘘ばかりつく男らとビール飲む」があるが、そうなのだ、貧しき話題に「嘘」がどんどん入り込む。それがあのただ飲むだけの殺風景な場所を輝かすちっぽけな起爆剤のような役割を担っているのでもある。そして男等の束の間の「宴」が終わってしまうと、それこそ嘘のようにあの殺風景なただ飲むだけの場所は霧散してしまう。何事もなく霧の彼方へと消えていくのみである。それで、よいのである。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


August 1882015

 この山の奥に星月夜はあるわ

                           矢野玲奈

月夜とは星が月夜のごとく照り輝く夜。しかし、掲句には存在しない星空である。それは山の向こうにあるという。見に行こうとする者を誘うような、拒むような妖しい口調に底知れない魅力がある。山の奥の夜空には満天に貼り付くような星が競い輝いているのだろう。この世のものとは思えないほどの美しさは、決して見てはいけないものだと匂わせる。まるで「開けてはいけない」と言われた扉を必ず開いてしまう昔話のように。句集には会社員として働く姿を骨法正しく詠む〈百歩ほど移る辞令や花の雨〉がある一方で、掲句や〈また同じ夢を見たのよ青葉木菟〉のような幻想的な口語調も見られる。時折ふっと夢見心地に招かれるような加減が絶妙で心地よい。『森を離れて』(2015)初収。(土肥あき子)


August 1982015

 一寸一寸帯解いてゆく梨の皮

                           加藤 武

かな秋の夜だろうか。皮をむくかすかな音だけを残して、初秋の味覚梨の実が裸にされてゆく。一寸(ちょっと)ずつ帯を解くごとくむかれてゆく、それを追うまなざしがやさしくもあやしい。それは梨の皮をむくことで、白くてみずみずしい実があらわになってゆく実景かもしれないし、あるいは“別の実景”なのかもしれない。皮が途中で切れることなく器用に連続してむかれてゆく果物の皮、いつもジッと見とれずにはいられない。それが実際に梨の実であれ、林檎であれ何であれ、その実はおいしいに決まっている。7月31日にスポーツ・ジムで急逝した加藤武、とても好きな役者だった。映画「釣りバカ日誌」での愛すべき専務役はトボケていて、いつも笑わせてくれたし、金田一耕助シリーズでの「わかった!」と早合点する警部役も忘れがたい。「加藤武 語りの世界」という舞台も時々やっていた。私は見そこなってしまったが、7月19日にお江戸日本橋亭での「語りの世界」が観客を前にした最後の公演となったようだ。残念! 東京やなぎ句会のメンバーも、近年、小沢昭一、桂米朝、入船亭扇橋、そして加藤武が亡くなって寂しくなってきた。武(俳号:阿吽)には、他に「一声を名残に蝉落つ秋暑かな」がある。『楽し句も、苦し句もあり、五七五』(2011)所載。(八木忠栄)


August 2082015

 金魚泳ぐ一本の茎となるまで

                           松本恭子

魚鉢の金魚が丸い金魚玉の側面に沿ってくるくる同じところを回っている。作者の目には同じところを回る金魚がらせん状に巻き上がって柔らかい緑の茎になっていくように思えたのだろう。句の背後には狭い水に閉じ込められて回転している金魚への哀れみが感じられる。木ではなく茎としたのは水槽にゆらぐ藻の色、金魚の柔らかさが映し出されているのだろう。茎となりその先端からはこぼれるように赤い花が開くかもしれない。詩的な隠喩は言葉を視覚的なイメージに昇華させ今まで見たこともない像を描き出す。「胸濡らす中国民謡黒金魚」この句集に収められている金魚の句は鑑賞の対象ではなく、作者の情感と深く結びついている。金魚を見つめる目は同時に自分の内部へ向けられ夢幻の世界に泳ぐ金魚そのものになっているのだ。『花陰』(2015)所収。(三宅やよい)


August 2182015

 羽抜鶏走れ痛いの痛いの飛んで行け

                           正木海彦

になると多くの鳥は冬羽から夏羽へと抜け替わる。この頃の抜けた後羽のまだ整わない鶏が羽抜け鶏。時期は種類により異なる。鴨や雁は秋口になって風切羽や尾羽も完全に抜け替わる。夏場、とりわけ鶏などは暫しのあいだ威厳を無くした滑稽な姿を晒すことになる。元々飛べるはずも無い鶏が赤い素肌を露出して地面を走っている。おお痛そうとは思うが、鶏冠の色まで艶がうせてしょぼしょぼ歩く姿にどこか頬笑みたくなってしまう。滑稽とはいえ第三者である人間から見ればその痛た痛さには思わず幼児言葉で呟いてしまうのだ。他に堀越せい子氏の<眼光はピカソのごとし羽抜鶏>加藤富美子氏の<羽抜鶏なほも律儀に産卵す>成田照男氏の<羽抜鶏男は無口通しけり>などなどあり。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣)所載。(藤嶋 務)


August 2282015

 桔梗の蕾の中は砂嵐

                           冬野 虹

角形の鋭角を見せながらふっくらと閉じている桔梗の蕾。花弁が重なり合って文字通りつぼんでいる多くの他の花の蕾とは違い、桔梗の蕾の中には明らかに空間が存在する。咲けば消えてしまうその閉ざされた空間に、宇宙のような無限を感じるというのならありがちな発想かもしれないが、砂嵐、と言われるとふと立ち止まってしまう。砂嵐でまず頭に浮かんだのはなぜか本物の砂の嵐ではなく、アナログテレビから出ていたいわゆるスノーノイズと呼ばれるものだった。あの無機質でモノクロの世界に続いている単調な雑音にしても、本当の砂嵐の混沌にしても、ぽん、と花が咲いた瞬間に消え去り、そこには凛とした桔梗の姿が生まれるのだ。『冬の虹作品集成』第一巻『雪予報』(2015)所収。(今井肖子)


August 2382015

 空蟬のかなたこなたも古来かな

                           永田耕衣

語辞典によると、「空蝉」は「ウツシオミ=現臣」が転じた言葉です。よって、第一義はこの世の人という意味です。また、「空蝉の」は「世」にかかる枕詞で、「万葉集482」に「空蝉の世の事なればよそに見し山をや今はよすかと思はむ」があります。奈良時代には、はかないという意味は必ずしも持っていなかったけれど、平安時代以後は、蟬の脱け殻の意と解したので、はかないという意味になったといいます。以上、大野晋氏の解説によりました。これをふまえて掲句を読むと、二通りの読み方ができ そうです。一つ目は、「空蝉の」を枕詞として読みます。すると、枕詞の意味は考えないで読むことが常套なので、中七下五だけの意味になります。二つ目は、「空蝉」を蟬の脱け殻として即物的に読みます。すると、蟬の脱け殻は、古来から遍在しているという意味になります。それが無常観だととることもできますが、いずれも句を読みとった手応えが残りません。ただし、有季定型に納まっていて、中七以下「カ行音」と「ナ」音の韻律が調べを出しているので、口になじみやすい句になっています。何度も口ずさんでいると軽やかな気持ちにもなります。作意がどこにあるのかは不明ですが、軽みは確かです。「空蝉」は、実体として軽く、「かなた」「こなた」「古来」は、実体のない抽象語として、空っ ぽの軽さがあるからでしょうか。そういう遊びなのかもしれないし、まったく的外れなのかもしれません。なお、句集では掲句の前に「空蝉を出して来るなり高めにぞ」があり、これも意味不明です。意味不明だけど面白い。「天才バカボン」みたいなものか。なお、ここまで書き終えて、句集「後記」を読みました。「私は思った。彫刻、絵画、文学でさえ、超秀作というものは、論理思考を優に超越して、真実<在って無き>魅力を窮極とするものだ。ソレはソノ魅力が<虚空的>であるが故である、というのが現在私の生涯的決断である。」『泥ん』(1992)所収。(小笠原高志)


August 2482015

 なりすぎの胡瓜を煮るや煮詰めたる

                           小澤 實

瓜を煮るという発想は、あまり一般的ではないだろう。したがって、この句も事実を述べたものではないと思う。煮詰まったのは、アタマの中の鍋でである。情景を想像すると、なんとも暑苦しく鬱陶しい。ここがこの句の眼目だろう。胡瓜はナマで食べるもの。私にもこの固定観念があるけれど、いま、思い出してはっとしたことがある。正確には「煮る」という感じではないが、私が子供だったころに、毎日のように胡瓜の味噌汁を食べていたことだ。食料難で母も味噌汁の具に困ったすえの工夫だったのだろう。もう半世紀以上も前の話だが、子供にもこれがなかなか美味だった。大人になってから、友人にこの話をすると、みなびっくりすると同時に「ウソだろう」と本気にしてくれなかった。それほどに胡瓜のナマ神話は強力なのだ。どなたか、胡瓜の味噌汁を食べたことがある方はいらっしゃらないでしょうか。「俳句」(2015年9月号)所載。(清水哲男)


August 2582015

 法師蝉鳴くわ赤子の泣き出すわ

                           きくちきみえ

の「〜わ」の「わ」は詠嘆を表す終助詞。例には「泣くわ喚くわ」やら「殴るわ蹴るわ」など物騒な文字が並ぶ。たしかにあまり愉快なことには使われないようだ。掲句もまた法師蝉と赤子、さらにおそらく残暑厳しい中となると、そのやりきれなさは計り知れない。大わらわ、てんやわんや、法師蝉のBGMまで背負ってわが子が怪獣となって襲いかかってくる感じ。もうへとへと、なにもかも放り出してしまいたい。それでも人生の盛りの時代はなんとか乗り切ることができるもの。法師蝉は秋の始まりに鳴く蝉。空にはもう夏の雲の間に刷毛で掃いたような秋の雲も流れているはず。もうすぐ過ごしやすい秋が待っている。がんばれ、お母さん。『港の鴉』所収(2015)。(土肥あき子)


August 2682015

 秋刀魚焼く夕べの路地となりにけり

                           宇野信夫

ともなれば、なんと言っても秋刀魚である。七輪を屋外に持ち出して、家ごとに秋刀魚をボーボー焼くなどという下町の路地の夕景は、遠いものがたりとなってしまった。だいいち秋刀魚は干物などで年中食卓にあがるし、台所のガスレンジで焼きあげられてしまう。佐藤春夫の「秋刀魚の歌」も遠くなりにけりである。とは言え、秋になって店頭にぴんぴんならんで光る新秋刀魚は格別である。「今年は秋刀魚が豊漁」とか「不漁で高い」とか、毎年秋口のニュースとして報道される。何十年か前、秋刀魚が極端に不漁で、塩竈の友人を訪ねたおりに、気仙沼港まで脚をのばした。本場の秋刀魚も、がっかりするほどしょぼかった。しょぼい秋刀魚にやっとたどり着いて食した、という苦い思い出が忘れられない。まさしく「さんま苦いか塩っぱいか」であった。かつての路地は住人たちの生活の場として機能していた。今や生活も人も文化も、みな屋内に隠蔽されて、あの時の秋刀魚と同様に、しょぼいものになりさがってしまった。信夫には「噺家の扇づかひも薄暑かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


August 2782015

 キリンでいるキリン閉園時間まで

                           久保田紺

リンや象を檻の前のベンチに座ってぼーっと見ているのが好きだ。檻の内部にいる象やキリンは餌の心配がないとはいえ狭い敷地に押し込められて飼い殺しの身ではある。もう出られないことはわかっていてもキリンはキリン、象は象、の姿で人間の目にさらされる。キリンらしいふるまいを求める人間には付き合いきれない「キリンでいるのは閉園時間までさ」ともぐもぐ口を動かしながら人間を見下ろすキリンの心の声を聞きとっているようだ。キリンを見る人間と見られるキリンの関係に批評が入っている。同時に少し横にずらせば、「医者でいるのは病院にいる時間だけさ」「先生でいるのは学校にいる間だけ」と私たちの日常の比喩になっているようにも思える。「尻尾までおんなじものでできている」「別嬪になれとのりたまかけまくる」日常につかりながらも日常から少し浮き上がって自分も含めた世界の在り方を見る、川柳の視線の置きどころが面白い。『大阪のかたち』(2015)所収。(三宅やよい)


August 2882015

 蕗を負ふ母娘の下山夜鷹鳴く

                           皆吉爽雨

鷹は別名蚊吸鳥といって夜行性で夕刻から活動して飛びながら蚊や蛾などの昆虫を捕食する。その鳴き声はキョッキヨッキョッと忙しく、一種凄みのある鳴き方である。蕗は山では沢や斜面、河川の中洲や川岸、林の際などで多く見られる。郊外でも河川の土手や用水路の周辺に見られ、水が豊富で風があまり強くない土地を好み繁殖する。蕗は山菜として独特の香りがある薹や葉柄、葉を食用とする。蕗の薹は蕾の状態で採取したものを、天ぷらや煮物・味噌汁・蕗味噌に調理して食べられる。一般的には花が咲いた状態で食べる事は避けられるが、細かく刻んで油味噌に絡める「蕗味噌」などには利用可能。山村の女性の労働はきついが辛い山の仕事も日常となれば慣れっことなり、蕗摘みの母と娘のお喋りは尽きない。山の夜は早くて恐い。ほうら夜鷹が忙しく鳴き出した。『合本俳句歳時記』(1974・角川書店)所載。(藤嶋 務)


August 2982015

 真つ直ぐに闇を上つてゆく花火

                           岸田祐子

見何ということのない句だが、打ち上げられてから花開くまでのわずかな時間を見つめている、作者を含めた多くの花火見の人々の緊張感がうまく表現されている。虚子の句に〈空に伸ぶ花火の途の曲りつゝ 〉があり、実際は微妙に揺らぎながら上っていくが、真っ直ぐ、の語の勢いが読み手に大輪の花火の輝きと全身に響く音の爽快感を感じさせる。八月も終盤、七月に始まったそちこちの花火大会ももう終わりだなと関東の花火大会を検索すると意外にも、九月、十月と結構予定されている。確かに空気が澄んできてくっきり見えるのかもしれないが、なんとなく気持ちがのらないような気がするがどうなのだろう。『南日俳壇』(「南日本新聞」2015年8月27日付)所載。(今井肖子)


August 3082015

 遠浅や月にちらばる涼舟

                           村上鬼城

浅の海が、一枚の扇のように広がっています。その中心には月が光り、幾艘かの納涼舟がちらばっています。納涼の舟遊びの客たちは、お月見を先取りしているのでしょうか。それとも、花火とは違った夏の夜空を楽しんでいるのでしょうか。おだやかな波に揺られ舟べりに当たる波音を聞きながら、涼風を受けています。しかし、そんな風情を想像しながら眺める作者の視点は、海岸から見た情景です。満月なら、遠浅の海は凪のさざ波に月光が広がっていて、月の光の波の上に幾艘かの納涼舟がちらばっているだけです。天空の月と、海面上の月光に点在する涼舟。一枚の扇の絵のようです。なお、季語は「涼舟(すずみぶね) 」で夏ですが、「月」に秋を予感します。『定本鬼城句集』(1940)所収。(小笠原高志)


August 3182015

 コスモスのあたりに飛べばホームラン

                           浜崎壬午

近はシンプルで作為のない句にあこがれる。掲句もその一つだが、人間傘寿も近くなってくると、少々の技巧をめぐらせた句などには、何の感懐も覚えなくなってくるようだ。ただ「小生意気」に写るだけで、そのこ生意気さがわずらわしいだけだ。どうせ技巧を仕掛けるのなら、あっと驚くようなものであってほしい。しかしそんな句は、余程の天才でないと無理だろう。考えてみれば、天才には作為なんぞはなさそうである。結局人間は、作為なしでスタートして、いろいろとあがいた末に、出発点に戻るようにできているのかもしれない。明日から九月。草野球には良いシーズンがやってくる。エンジョイ。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)




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