「立秋」でやんす。かの「ケムンパス」のように急に出てきたアキ。(哲




2015ソスN8ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0882015

 新涼や白寿へ向かふよき寝息

                           船橋とし

則的で安らかな寝息をたててぐっすり眠っている方は、向かふ、ということなので御年九十八歳ということになる。その穏やかな眠りを傍らで見守っている作者の気持ちに寄り添うように、窓から運ばれてくる新涼の風は心地よくやさしい。この句を読んでふと父を看取ったときのことを思い出した。それは静かで規則的な寝息なのだが少しずつ間遠になりながら、確実に終わりに向かっていった。縁起でもない連想で申し訳ないけれどその記憶が、よりいっそうこの句の、よき寝息、の健やかさを実感させた。毎年のことではあるけれど、暦とはうらはらに猛暑続きの毎日、新涼、の心地よさを実感できる日が待たれる。『輪唱』(2014)所収。(今井肖子)


August 0782015

 山深し語尾しつかりと三光鳥

                           有馬朗人

き声が独特で「ツキ(月)・ヒー(日)・ホシ(星)、ホイホイホイ」と聞こえるので三光鳥と名付けられた。ホイホイホイが馬を追う様にも聞こえ、別に馬追鳥という名もある。一般に鳥類ではオスが目立つ色彩や形態をとるが三光鳥ではくちばしと目の周囲がコバルト色でとても長い尾羽を引いている。夏鳥として東南アジアから日本に渡来してくる。夏休みは海へ山へと出掛けて何時もと違う生活が多くなる。そんないっ時、普段の人間関係から離れて自然に目を遣り耳を貸していると珍しい鳴き声が聞こえてきた。目の先には深い山、佇んでいるとまたしても遠くより「月日星、ホイホイホイ」の語尾ホイホイホイの最後まで聞き取れる澄んだ鳴き声がした。自分がめったに無い非日常の深山幽谷に立っているのだと思うと身が洗われたような気がするのだった。人間たまには非日常に身を置くのも良いものだ。「俳句」(2014年8月号)所載。(藤嶋 務)


August 0682015

 広島に生まれるはずはなかったのだ

                           武馬久仁裕

季句。1945年8月6日 午前8時15分。原爆が投下された直後、その悲劇に遭遇した人の口からこの言葉がうめきごえと共に洩らされたかもしれない。あの戦争では偶然のなりゆきで生死を分け、家族と離ればなれになって筆舌に尽くしがたい苦労を背負い続けた人が何万人もいたことだろう。広島、長崎と引き起こされた悲劇。人は生まれる場所を自分で決めることは出来ない。広島に生まれるはずはなかったけど広島に生を受け、原爆にさらされた人。亡くなった人。今は戦後であるが、次に始まる戦争前だと捉える人も多い。憲法をないがしろにする安全保障関連法案が衆議院で強行採決され、きな臭い匂いが高まっている。小さな火種をきっかけに戦争はある日突然始まり、争いはたちまちのうちに拡大してゆく。いまこそ自分が生まれた場所が再び戦争の惨禍に巻き込まれないよう小さな声でも発言していくことが必要なのだろう。『武馬久仁裕全集』(2015)所収。(三宅やよい)




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