残暑お見舞い申し上げます。まだまだ暑いですね。ふうっ。(哲




2015ソスN8ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1882015

 この山の奥に星月夜はあるわ

                           矢野玲奈

月夜とは星が月夜のごとく照り輝く夜。しかし、掲句には存在しない星空である。それは山の向こうにあるという。見に行こうとする者を誘うような、拒むような妖しい口調に底知れない魅力がある。山の奥の夜空には満天に貼り付くような星が競い輝いているのだろう。この世のものとは思えないほどの美しさは、決して見てはいけないものだと匂わせる。まるで「開けてはいけない」と言われた扉を必ず開いてしまう昔話のように。句集には会社員として働く姿を骨法正しく詠む〈百歩ほど移る辞令や花の雨〉がある一方で、掲句や〈また同じ夢を見たのよ青葉木菟〉のような幻想的な口語調も見られる。時折ふっと夢見心地に招かれるような加減が絶妙で心地よい。『森を離れて』(2015)初収。(土肥あき子)


August 1782015

 ビヤガーデン話題貧しき男等よ

                           吉田耕史

はさまざまだなあ。この句を読んだときに、思わずつぶやいてしまった。作者にはまことに失礼な言い方になるが、ビヤガーデンに何か話題を求めて、「男等」は集うものなのだろうか。たしかにビヤホールでの話は、ろくなものじゃないだろう。でも、そのろくなものじゃない話題が、逆にビールの美味さを盛り上げていくのであって、これがろくなものだったら、そんな話はどこか別の場所でやってくれと言いたくなってしまう。岡本眸に「嘘ばかりつく男らとビール飲む」があるが、そうなのだ、貧しき話題に「嘘」がどんどん入り込む。それがあのただ飲むだけの殺風景な場所を輝かすちっぽけな起爆剤のような役割を担っているのでもある。そして男等の束の間の「宴」が終わってしまうと、それこそ嘘のようにあの殺風景なただ飲むだけの場所は霧散してしまう。何事もなく霧の彼方へと消えていくのみである。それで、よいのである。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


August 1682015

 盆のともしび仏眼よろこびて黒し

                           飯田龍太

の本堂でしょうか。「盆のともしび」の字余りが、そのまま細長く伸びる灯明の光になっています。その光には、槍の剣先のような鋭い緊張がありますが、それは同時に仏像の切れ長の眼を照らし、微笑しているように見えてきます。漆黒の仏像は盆のともしびを得て、見る角度によって、また、見る者の心模様によって喜びや慈悲の表情を見せるのでしょう。ふだん、寺の本堂に足を運ぶことはなく、最近の葬儀はセレモニー会場で行なわれることがほとんどなので、観光や展示以外で仏像を見ることは 少なくなりました。しかし、仏像は常に在って不動です。夜は、闇の中に同化して、その存在も無に等しくなっているのでしょうが、陽が射し始めるとふたたびその存在は顕在し始めます。灯明が点火されると多様なコントラストを得て、仏像は、見る者の心のあり様を見せてくれるのでしょう。そう思うと、盆には仏事らしきことの一つでもしておかなくてはという気持ちにさせられました。仏像を見ていないのに、仏像の句を読み、少し心おだやかになりました。『麓の人』(1965)所収。(小笠原高志)




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