2015N827句(前日までの二句を含む)

August 2782015

 キリンでいるキリン閉園時間まで

                           久保田紺

リンや象を檻の前のベンチに座ってぼーっと見ているのが好きだ。檻の内部にいる象やキリンは餌の心配がないとはいえ狭い敷地に押し込められて飼い殺しの身ではある。もう出られないことはわかっていてもキリンはキリン、象は象、の姿で人間の目にさらされる。キリンらしいふるまいを求める人間には付き合いきれない「キリンでいるのは閉園時間までさ」ともぐもぐ口を動かしながら人間を見下ろすキリンの心の声を聞きとっているようだ。キリンを見る人間と見られるキリンの関係に批評が入っている。同時に少し横にずらせば、「医者でいるのは病院にいる時間だけさ」「先生でいるのは学校にいる間だけ」と私たちの日常の比喩になっているようにも思える。「尻尾までおんなじものでできている」「別嬪になれとのりたまかけまくる」日常につかりながらも日常から少し浮き上がって自分も含めた世界の在り方を見る、川柳の視線の置きどころが面白い。『大阪のかたち』(2015)所収。(三宅やよい)


August 2682015

 秋刀魚焼く夕べの路地となりにけり

                           宇野信夫

ともなれば、なんと言っても秋刀魚である。七輪を屋外に持ち出して、家ごとに秋刀魚をボーボー焼くなどという下町の路地の夕景は、遠いものがたりとなってしまった。だいいち秋刀魚は干物などで年中食卓にあがるし、台所のガスレンジで焼きあげられてしまう。佐藤春夫の「秋刀魚の歌」も遠くなりにけりである。とは言え、秋になって店頭にぴんぴんならんで光る新秋刀魚は格別である。「今年は秋刀魚が豊漁」とか「不漁で高い」とか、毎年秋口のニュースとして報道される。何十年か前、秋刀魚が極端に不漁で、塩竈の友人を訪ねたおりに、気仙沼港まで脚をのばした。本場の秋刀魚も、がっかりするほどしょぼかった。しょぼい秋刀魚にやっとたどり着いて食した、という苦い思い出が忘れられない。まさしく「さんま苦いか塩っぱいか」であった。かつての路地は住人たちの生活の場として機能していた。今や生活も人も文化も、みな屋内に隠蔽されて、あの時の秋刀魚と同様に、しょぼいものになりさがってしまった。信夫には「噺家の扇づかひも薄暑かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


August 2582015

 法師蝉鳴くわ赤子の泣き出すわ

                           きくちきみえ

の「〜わ」の「わ」は詠嘆を表す終助詞。例には「泣くわ喚くわ」やら「殴るわ蹴るわ」など物騒な文字が並ぶ。たしかにあまり愉快なことには使われないようだ。掲句もまた法師蝉と赤子、さらにおそらく残暑厳しい中となると、そのやりきれなさは計り知れない。大わらわ、てんやわんや、法師蝉のBGMまで背負ってわが子が怪獣となって襲いかかってくる感じ。もうへとへと、なにもかも放り出してしまいたい。それでも人生の盛りの時代はなんとか乗り切ることができるもの。法師蝉は秋の始まりに鳴く蝉。空にはもう夏の雲の間に刷毛で掃いたような秋の雲も流れているはず。もうすぐ過ごしやすい秋が待っている。がんばれ、お母さん。『港の鴉』所収(2015)。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます