今年もあと四ヶ月とはなりにけり。どんどん時が流れてゆく。(哲




2015ソスN8ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 3182015

 コスモスのあたりに飛べばホームラン

                           浜崎壬午

近はシンプルで作為のない句にあこがれる。掲句もその一つだが、人間傘寿も近くなってくると、少々の技巧をめぐらせた句などには、何の感懐も覚えなくなってくるようだ。ただ「小生意気」に写るだけで、そのこ生意気さがわずらわしいだけだ。どうせ技巧を仕掛けるのなら、あっと驚くようなものであってほしい。しかしそんな句は、余程の天才でないと無理だろう。考えてみれば、天才には作為なんぞはなさそうである。結局人間は、作為なしでスタートして、いろいろとあがいた末に、出発点に戻るようにできているのかもしれない。明日から九月。草野球には良いシーズンがやってくる。エンジョイ。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


August 3082015

 遠浅や月にちらばる涼舟

                           村上鬼城

浅の海が、一枚の扇のように広がっています。その中心には月が光り、幾艘かの納涼舟がちらばっています。納涼の舟遊びの客たちは、お月見を先取りしているのでしょうか。それとも、花火とは違った夏の夜空を楽しんでいるのでしょうか。おだやかな波に揺られ舟べりに当たる波音を聞きながら、涼風を受けています。しかし、そんな風情を想像しながら眺める作者の視点は、海岸から見た情景です。満月なら、遠浅の海は凪のさざ波に月光が広がっていて、月の光の波の上に幾艘かの納涼舟がちらばっているだけです。天空の月と、海面上の月光に点在する涼舟。一枚の扇の絵のようです。なお、季語は「涼舟(すずみぶね) 」で夏ですが、「月」に秋を予感します。『定本鬼城句集』(1940)所収。(小笠原高志)


August 2982015

 真つ直ぐに闇を上つてゆく花火

                           岸田祐子

見何ということのない句だが、打ち上げられてから花開くまでのわずかな時間を見つめている、作者を含めた多くの花火見の人々の緊張感がうまく表現されている。虚子の句に〈空に伸ぶ花火の途の曲りつゝ 〉があり、実際は微妙に揺らぎながら上っていくが、真っ直ぐ、の語の勢いが読み手に大輪の花火の輝きと全身に響く音の爽快感を感じさせる。八月も終盤、七月に始まったそちこちの花火大会ももう終わりだなと関東の花火大会を検索すると意外にも、九月、十月と結構予定されている。確かに空気が澄んできてくっきり見えるのかもしれないが、なんとなく気持ちがのらないような気がするがどうなのだろう。『南日俳壇』(「南日本新聞」2015年8月27日付)所載。(今井肖子)




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