セ・リーグの団子レースは最後までつづきそう。面白し。(哲




2015ソスN9ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0592015

 星月夜縄文土器にある指紋

                           矢野玲奈

供の頃屋根の上に寝転がっていつまでも星を見ていた夜、当時言葉は知らなかったがまさにあれが星月夜だった。星は、自分で輝いているもの、そうでないもの、今生きているもの、とっくに消えてしまったもの、とさまざまでありそんな夜は、無数に散りばめられた星という光の不思議な力に満ちていた。月への親しさとは異なり星には、ことに満天の星空には憧れや畏れや様々な感情が湧きおこる。隈なく照らしているようでいて幻想的な星明りのもとにある縄文土器を想像してみると、数千年かそれ以上前のヒトの指の跡がそこにあるという明瞭な真実に、時間というどこか不確かなものが見え隠れして星空への不安と呼応する。そんな美しいだけではない独特の星月夜の詩情がある一句だ。『森を離れて』(2015)所収。(今井肖子)


September 0492015

 早ミサへ急げば鵙の高鳴けり

                           景山筍吉

虔なクリスチャンのある日の一こま。一日世に塗れれば一日教えに背いた反省が募る。昨夜悶々と悩んだ身の汚れを一刻も早く払拭せんと早朝ミサへと急ぐ。ご自身の何人かの娘さんも全員も修院へ送ることとなる。神へ捧げた娘達へ、嫁がせて子を為すという幸せを捨てさせたのではないか。心臓の鼓動の高鳴りに呼応して鵙が耳をつんざく様な鋭い声で鳴いた。彼は中村草田男の奥様にクリスチャンの直子氏を推挙し媒酌を務めた。閑話休題、彼が唯一民間の株式会社の社長をされた時の新入社員が小生であった。「勤め人は毎日会社へ来る事が仕事だよ」「運転手君、暑いから日陰を通って呉れたまえ」の語録が記憶に残っている。筍吉句<熱燗や性相反し相許す><薔薇に雨使徒聖霊に降臨す><修院へ入る娘と仰ぐ天の川>は教徒としての真摯な日常が滲み出ている。万感の思いを込めて成した著作マリア讃歌にはちゃらちゃらした感傷的な場面はない。その「マリア讃歌」(1937)所収。(藤嶋 務)


September 0392015

 子規の忌のたたみの縁のふかみどり

                           冬野 虹

治三四年九月一九日、長塚節の小包に同封された手紙に「蕎麦の花もそろそろ咲き出し候 田の出来は申分なく秋蚕も珍しく当りに候」と書かれており「ちょっと往ってみたい」「母は稲の一穂を枕元の畳のへりにさされた」という記述が子規の「仰臥漫録」にある。子規が亡くなったのはちょうどこの一年後であるが、この句はそうした事情も踏まえ「たたみの縁のふかみどり」の音韻の響きと色が効いている。母がさした稲穂のふちの深緑は広がる山野の見立てでもあり臥して見る子規の心を田園に遊ばし、慰めた色でもあった。今でも日常何気なくみる畳の縁の深緑ではあるが、そのときの子規の心持を思うと、心に染みる思いがする。『雪予報』(2015)所収。(三宅やよい)




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