東京地方に晴れの予報。青空がやっと見られるぞ。(哲




2015蟷エ9譛11譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

September 1192015

 鳩吹けばふる里歩み来るごとし

                           今村征一

吹くは両手を合わせた間に息を吹き、ハトの鳴き声を出すこと。猟師がシカを呼んだり武士や忍者が仲間の合図に用いたりした。子供たちも成長過程で吹けることを自慢しあったものである。吹けなかった私はずいぶん悔しい思いもした。そう言えば指笛も未だに吹けない。級長だったがその事で餓鬼大将にはなれなかったのである。吹ける連中でも図太く吹けるとか音がか細いとか些細な事が自慢と落胆の原因を作った。今久々に鳩を吹いてみるとあのふる里のあの頃の記憶がどっと甦ってくる。あの頃へ戻りたいけどもう戻れない。押し寄せる想い出は甘くて切ない。他に<定かなる記憶終戦日の正午><野の風を摘んで束ねて秋彼岸><干柿のやうな齢となりにけり>などなど氏の句が多数所載されている。『朝日俳壇2013』(2013)。(藤嶋 務)


September 1092015

 広げたる指すみずみに秋の風

                           守屋明俊

のうだるような暑さがひどかったせいか、とりわけ秋の風がありがたく感じられる。秋を知らせる初秋の風をとくに「初秋風」と言うことがあったと山本健吉解説の「大歳時記」にはある。日が衰え、秋風は次第に冷たくなり寂しさも増してくる。秋のあわれさを感じさせる中心に秋風があることは間違えないようだ。まだ暑さが完全に行き過ぎない九月はとりわけ吹き抜ける風に敏感になるころ。広げた五本の指のすみずみにひんやりとした秋の風が通ってゆく、指を吹きとおってゆく風は春風でも寒風でもなく、秋の風でなければならない。単純で当たり前なように思えるけど身体で感じる秋をなかなかこうは表現できない。『守屋明俊句集』(2014)所収。(三宅やよい)


September 0992015

 あたらしき電信ばしらならぶ秋

                           松本邦吉

上から電信柱は年々減ってきている。とくに市街地では電線は地中に移設されつつあり、この点、地上はちょっと淋しくなってきた。電線を電信柱で走らせない、そんな文化は私にはあまり望ましいとは思えない。そんな思いでいるから「あたらしき電信ばしら」はうれしい。子どものころから、田舎でも道路沿いにずらりと立っていた丸木を削っただけの、コールタールが塗られた電信柱はお馴染みだった(およそ30メートル間隔なんだそうだ)。その下あたりで、われらガキどもはかくれんぼや陣取りなどをしてよく遊んだ。この電線と電信柱は、どこからきてどこまで続いているのだろうかと考えると、いっとき気が遠くなりそうになった。電信柱に器用にのぼる電気工夫には、憧憬さえ覚えたものだ。この句の「電信ばしら」は木なのか鉄材なのかわからないが、何かしら幸せを運んでゆくにちがいない。電信柱が初めて東京〜横浜間に設置されたのは1869年だという。秋は空気が澄みきっているから、「あたらしき電信ばしら」がどこまでもずっと見わたせる、そんな光景。邦吉の『しずかな人 春の海』(2015)には、詩と一緒に春〜冬・新年の句が何句も収められている。他に「秋の空ながめてをれば無きごとし」など。(八木忠栄)




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