かくも自民政権を増長させた有権者のノー天気さをなんとせむ。(哲




2015蟷エ9譛17譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

September 1792015

 雲海を抜けて時計の統べる国

                           黒岩徳将

い山に登ったときに頂上から見下ろす雲海は夏の季語であるが掲載句の「雲海」は飛行機で飛行するときの「雲海」を表しているように思う。この場合は無季の扱いになろうか。例えば海外リゾートの常夏の島や秘境と呼ばれる国を飛行機で訪れると、雲海を抜けて眼下に広がる国は日本のように何もかもがスケジュール通りではなくのんびりと時間が流れている。反対にそうした国から日本に帰ってくるとき、朝の出勤から会社の退社時間まで、はては人生の予定表まで時間で運行される国だと思うと雲海を抜けて人間がぎっしり詰まった街が見えてくるとちょっとうんざりかも。ミヒャエル・エンデの「モモ」に出てくる時間どろぼうを思う。一度日本の外に出ると日本の輪郭がかえってくっきりする。確かに私が生まれ育った国は「時計の統べる国」であるなぁ。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)


September 1692015

 秋虫の声に灯ともすおしゃれ町

                           伊藤信吉

虫にもいろいろあるけれど、この場合はコオロギなのかマツムシなのかカネタタキを指しているのか、それははっきりしない。限定する必要はないし、いや,それら何種類もの虫がきっといっせいに鳴いているのだろう。おそらくそうなのだ。秋は灯ともし頃ともなれば、さまざまな虫の声であちこちの闇がにぎやかにふくらむ。おしゃれな町が、一段とおしゃれに感じられるということ。添書に「東京原宿、その通りにわが好むヒレカツの店あり」とある。1977年の作だから、原宿がいわゆる若者の町になって、おしゃれになってきた時代が舞台である。信吉は当時77歳。老年にして原宿へお気に入りのヒレカツを食べに行っていたのだから、町のみならず信吉もおしゃれではないか。老いてなお茶目っ気を失わなかった詩人の句として頷ける。夕刻、虫の声に押されるようにして、お気に入りのトンカツ屋さんの暖簾をうれしそうにくぐる様子が見えてくるようだ。他に「九月はやさびさびとして木枯しや」がある。『たそがれのうた』(2004)所収。(八木忠栄)


September 1592015

 ブロンズの少女が弾く木の実かな

                           山本 菫

ず、誰もが木蔭に置かれたブロンズ像を想像する。容赦ない夏の日差しから葉を茂らせ、ブロンズ像の少女を守ってきた大きな木。季節はめぐり、思いを告げるように梢はポツリポツリと木の実をこぼす。固いブロンズにぶつかっては転がっていく木の実が、冷たく思いをはねつけているようにも見えるだろうか。それとも、あどけない少女がどれほど手を差し出して受け止めたいと、ブロンズの身を嘆いていると見るだろうか。たったひとコマの描写のなかに、静があり、動がある。物語が凝縮された作品を前に思いを巡らせ、結末をひもとく幸福な時間もまた、俳句の楽しみのひとつである。〈向日葵を切つて真昼を手中にす〉〈遠雷や柩にこの世覗く窓〉『花果』(2015)所収。(土肥あき子)




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