2015N919句(前日までの二句を含む)

September 1992015

 頬ぺたに當てなどすなり赤い柿

                           小林一茶

規忌日ということで歳時記を見ていたら、子規の好物であった柿の項に掲出句があった。赤く熟した柿を手にとって頬に当てる、という仕草は一茶と似合っているようないないような、と思ったら前書きに「夢にさと女を見て」とある。さとは一茶と最初の妻との間に生まれた長女だが生後四百日で亡くなっている。夢の中でさとがその頬ぺたに赤い柿を当てたりしている、と読むのもかわいらしいが、この、頬ぺた、は作者自身の、頬の辺り、という気がする。たった一歳で別れた我が娘、思い出すのはいつもただ泣きただ笑うその顔の特に丸くて赤い頬であり、夢に出てきた我が娘の頬の赤が目覚めてからも眼裏にはっきり浮かんでいたのだ。ちょうど熟した柿が生っていたのか置かれていたのか、赤い柿を手に取って思わずそっと頬に当ててみるが、柿はその色とは裏腹にひんやりと固かったに違いない。それでも愛おしむ様にしばらく柿を手に夢の余韻の中にいた作者だったのではないだろうか。『新歳時記 虚子編』(1951・三省堂)所載。(今井肖子)


September 1892015

 待つことをやめし時より草雲雀

                           石井薔子

雲雀と言っても鳥ではなく昆虫である。コオロギ科に属し、体長六、七ミリと小さな虫。朝の涼しいときから鳴くので地方のよっては「朝鈴」というところもある。夏の盛りもようやく越えて心なしか夕風に涼しさも感じられる頃、作者は人を待っている。どうしても会いたい人、来てくれるのかやっぱり来ないのか気を揉んで待っている。人には待つことが沢山ある。合格通知を待つ、クラス会での再会を待つ、手術の結果を待つ、日出を待つ、始発列車の到着を待つ、定年を待つ、Xデーの到来を待つ、そして貴方は今何を待っていますか。辺りが昏くなり草雲雀が鳴き出した。もう来ないんだ、待つことを止める時が来た。恋はいつでも片想い。<指先で貌をほぐすや寒鴉><介護士の深き喫煙冬の鳥><霜の夜は胎児が母をあたためむ>。『夏の谿』(2012)所収。(藤嶋 務)


September 1792015

 雲海を抜けて時計の統べる国

                           黒岩徳将

い山に登ったときに頂上から見下ろす雲海は夏の季語であるが掲載句の「雲海」は飛行機で飛行するときの「雲海」を表しているように思う。この場合は無季の扱いになろうか。例えば海外リゾートの常夏の島や秘境と呼ばれる国を飛行機で訪れると、雲海を抜けて眼下に広がる国は日本のように何もかもがスケジュール通りではなくのんびりと時間が流れている。反対にそうした国から日本に帰ってくるとき、朝の出勤から会社の退社時間まで、はては人生の予定表まで時間で運行される国だと思うと雲海を抜けて人間がぎっしり詰まった街が見えてくるとちょっとうんざりかも。ミヒャエル・エンデの「モモ」に出てくる時間どろぼうを思う。一度日本の外に出ると日本の輪郭がかえってくっきりする。確かに私が生まれ育った国は「時計の統べる国」であるなぁ。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)




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