九月もおしまいか。やっと体調が戻ってきた。(哲




2015蟷エ9譛30譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

September 3092015

 蚊帳の穴むすびむすびて九月哉

                           永井荷風

月も今日で終りである。「蚊帳」は夏の季語だが、ここでは「九月哉」で秋。かつて下町では蚊が特に多いから、九月になってもまだ蚊帳を吊っていたのだろう。今はもう蚊帳というものは、下町でも見られなくなったのではないか。私などはいなかで子どものころ、夏は毎晩寝部屋の蚊帳吊りをさせられたっけ。木綿の重たい蚊帳だった。掲出句は荷風の「濹東綺譚」のなかに八句あげられている蚊の句のうちの一句。他に「残る蚊をかぞへる壁や雨のしみ」がならぶ。「溝(どぶ)の蚊の唸る声は今日に在つても隅田川を東に渡つて行けば、どうやら三十年前のむかしと変りなく、場末の町のわびしさを歌つてゐる」と書いて、八句が「旧作」として掲げられている。ここでの「場末の町」は寺島町をさしている。「家中にわめく蚊の群は顔を刺すのみならず、口の中へも飛込まうとする」とも書かれている。「わめく蚊の群」は、すさまじい。「むすびむすびて」だから、蚊帳の破れは一つだけではなく幾つもあるのだ。そんな破れ蚊帳で今年の夏は過ごしたことよ。ーーそんな町があり、時代があった。『現代日本文學大系24・永井荷風集(二)』(1971)所載。(八木忠栄)


September 2992015

 この椅子にさっき迄居た穴惑い

                           西村亜紀子

き嫌いの差こそあれ、蛇ほど強い印象を与える生きものはいないだろう。穴惑いとは、春の彼岸に出、秋の彼岸に入るといわれる蛇が彼岸を過ぎてもまだうろうろと地上に姿を見せている様子。掲句は「さっき迄」というが、その姿はありありと作者の目に焼き付いている。と、まだこの辺にいるのではないかという恐怖が作者を動揺させているが、いないものは、いるものより怖い。椅子の上に刻印された蛇の輪郭はいつまでも煌煌と光りを発している。同著は船団所属同世代女性三人の合同句集。北村恭久子〈ちゃんちゃんこいつもどこかがほころびて〉、室展子〈システムのかすかな軋み星流る〉など三者三様の個性が光る。あ、今ようやく書名の理由に気がついた。『三光鳥』(2015)所収。(土肥あき子)


September 2892015

 雀らの友となりたる捨案山子

                           矢島渚男

作農家の子のくせに、案山子とはほとんど縁がなかった。我が家に限らず、私の田舎では、案山子を立てる家は少なかった。おそらくは案山子によって追い払われる純情な雀らなど、もはや存在しなかったからだろう。鳥たちには鳥たちの学習能力があって、最初は人間の形にだまされても、だんだんと動かない案山子が無害であることに気づき、平気で無視して飛び回るようになったのだ。だから人間の側にしても一工夫も二工夫も重ねる必要があり、鳴子を使ってけたたましい音を発することにより、ときどき驚かしては追い払ったりすることなどを試みていた。我が田舎では、この鳴子方式が主流だったように思う。それでも一種のおまじないのように立てられていた案山子がなかったわけではない。人間にしてみれば、どうせまじないなのだからと、案山子の衣裳も顔も素朴なもので、子供の目にも「やっつけ仕事」で作られたように思えた。例の「へのへのもへじ」顔の案山子である。したがって、収穫のシーズンが終わっても大切にしまわれることもなく、そのままうっちゃっておかれる「捨案山子」がほとんどだった。『越年』所収。(清水哲男)




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