巨人選手の賭博疑惑。なんか、よくわかりませぬ。(哲




2015ソスN10ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 10102015

 人の灯を離れて神の月となり

                           内原弘美

もいよいよ細くなり本日の月の出は午前三時過ぎだが、今年は佳い月が楽しめた。ことに満月、自宅ベランダから見ていると、新宿のビル群とその先の東京タワーの間に見え始めてからしばらくの間妖しいほどに赤かった。〈ビルにぶつかりながら月昇りけり〉(内原弘美)。ゆらりゆらりと街の灯を脱ぎ捨てながら昇ってゆく月は、濃い闇の中で次第に強く白く、孤高の存在となっていった。地上にゆらめく灯はそこに生きとし生けるものと共に存在し、天心に輝く月は変わらず神々しい光を放ち続ける。人の灯、神の月、短い一句の中にある確かな表現が大きい景を生み、人と月との長く親しい関係をも思わせる。掲出句はいずれも『花鳥諷詠』(2015年10月号)所載。(今井肖子)


October 09102015

 色鳥やおざぶごと母ひつぱつて

                           山本あかね

になると色々な小鳥が渡って来る。庭木も疎らになって枝々の輪郭が露わである。あら今日はこんな鳥が庭先にと、出入りする様々に色付いた小鳥たちの観察も楽しい。こんな小鳥たちが色鳥と言はれる。居間には何時もの様に母がお茶を飲んでいる。近頃は置物の様にちゃぶ台の指定席には母が鎮座している。あら、尉鶲かしら、もうちょっと縁に寄れば母にも見える。つと衝動的に見せたい!と座布団ごと母を縁側に引きずった。背負わずとも母は軽かった。秋の空は底なしに青く明るい。他にも<たくあんをこまかくきざみ大文字><年忘いづれはみんな死ぬる顔><いもうとに薄荷パイプの赤を買ふ>と鋭く日常を切り取る。『あかね』(1995)所収。(藤嶋 務)


October 08102015

 コスモスや死ぬには丁度いい天気

                           仲 寒蟬

川の昭和公園のコスモス、小金井公園のコスモス。毎年見ごろになると見に出かける。秋晴れの丘陵にコスモスが咲く様子はとても気持ちがいい。腰が弱くてひょろひょろしていて、それでいて群れて咲くとどんどん広がってゆく。町中ではプランターや花壇で育てるより空き地や駅の塀など路傍に咲いているのが似合いの花だ。明らかに澄み切った秋の昼にコスモスが咲いて、ほんとうに死ぬには丁度良さそうだ。私もじめじめ雨が降る夜に死ぬより、とびきり天気が良くてコスモスが見ごろのころがいい。歳時記でコスモスの項目を見ると飯田龍太が「やや古めかしいモダニズムといった感じの花である」と解説をしていたが、そのニュアンスのコスモスに掲載句の措辞はぴったりに思える。掲載句のようにあっけらかんと明るく死ねるのは願望なのだけど、現実ははて、どうだろう。『巨石文明』(2014)所収。(三宅やよい)




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