世界的な異常気象。今度はメキシコに世界最大のハリケーンが。(哲




2015ソスN10ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 25102015

 銀河逆巻くその十指舞ひやまぬ

                           黒田杏子

書に「大野一雄公演 パークタワーにて」とあります。大野一雄の舞踏を観た人なら、「銀河逆巻く」は比喩でも誇張でもなく、嘱目ととらえるでしょう。私は20回ほど大野氏の舞台を観、また、数回、舞踏の稽古に参加させていただきました。稽古の前には十数名程の研究生と紅茶を飲み、クッキーを食べながら、生命と宇宙の話をされるのが常でした。「卵子と精子が結合すると、卵子は回転を始めます。それが、ワルツの始まりです。」30分ほど話されてから、「あなたたちは、宇宙的な舞踏家になってください」と、いったん話が終わり、「では、今日もフリーにフリーにいきましょう」のひと言で、研究生たちは各々それぞれの位置で立ち止まり、動き始めます。フリーな動きの中にも三つの要諦があります。一つは、爪先立ちであること。二つ目は、屈む姿勢であること。三つ目は、身体の一箇所は必ず天を向いていること。地に対して向かう屈みの姿勢こそが、土方巽が創出した地の舞いである舞踏であり、大野一雄の独創は、その姿勢を保ちながら天に引っ張られるような垂直の意識を志向するところにあります。たとえば、バレリーナは、身体の軸が天に向かっていますが、大野の舞踏は、地と天に対して同時に向かう意識に特徴があります。大野氏はこれを「together」と言いました。天と地の両方に引っ張られている緊張に舞踏家の立ち居があり、それは、植物が根を張らすために地中をまさぐっていると同時に、天の光に向かって伸びようとしている意志と同じです。この姿を「宇宙的な舞踏家」と言ったのだと思います。大野一雄は、痩身で小柄でしたが、掌が大きく指が長く、同時代の他の舞踏家、例えば息子の大野慶人、笠井叡、麿赤児と比較しても、十指の動きが複雑で、表情が豊かでした。それは、時に昆虫の脚の動きのように見えることもあれば、饒舌な手話にも見え、指で地を天をまさぐり宇宙をつかもうとする強情でした。ですから、「銀河逆巻くその十指」は、比喩でも誇張でもなく、現実です。『花下草上』(2007)所収。(小笠原高志)


October 24102015

 わが影と酌みゐる雨の十三夜

                           大野崇文

初めの帰り道、空を見上げると薄い月がひらりと浮いていた。日が落ちるとぐっと冷え込むこのところだがそう言えば明日は十三夜、南中時刻は午後十時少し前だという。十三夜はそれだけで風情があり、雨の十三夜となればいっそうもの淋しいはずだが、掲出句を読むと淋しさというより、ゆっくりと一人酒を酌みながら深まる秋の夜を楽しむ作者が見えてくる。雨の向こう側の少し欠けた月に自分自身の姿を重ねたりもしながら、そこには優しい時間が流れている。他に〈塗椀の手にひたと添ひ後の月〉〈   しづかなる水のこころに後の月〉。「月が遊んでくれているような思いもある」(句集あとがきより)という作者の月への思いは静かで、深い。『遊月抄』(2008)所収。(今井肖子)


October 23102015

 鵯鳴いて時間できざむ朝始まる

                           星川木葛子

ーよぴーよと騒々しい声が聞こえる季節になった。鵯(ヒヨドリ・ヒヨ)である。山から人里近くの雑木林に群れをなし現れ、それぞれが庭などに散って、南天・ヤツデ・青木などの色の実を啄む。山茶花や椿の花蜜も吸う。地上に下りることはほとんどなく、ピーヨ、ピーヨとやかましく鳴く。主婦の朝は早い。家族の食卓を整え会社や学校に送り出す作業はそれこそ秒刻み。甲高い鵯の声が聞こえ、その主婦の朝が始まる。とんとんとんと包丁が野菜を刻む。『合本・俳句歳時記(新版)』(1990角川書店)所載。(藤嶋 務)




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