十月もあとわずか。なんだか切なくなるなあ。(哲




2015ソスN10ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 27102015

 どうせなら月まで届くやうに泣け

                           江渡華子

うしようもなく泣く赤子に焦燥する母の姿というと竹下しづの女の〈短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎〉があるが、いくら反語的表現とはいえ世知辛い現代では問題とされてしまう可能性あり。ひきかえ、掲句のやけっぱちなつぶやきは、おおらかでユーモアのある母の姿として好ましいものだ。赤ん坊の夜泣きとの格闘は、白旗をあげようと、こちらが泣いて懇願しようと許されない過酷な時間だ。愛しいわが子がそのときばかりは怪獣のように見えてくるのだと皆、口を揃えるのだから、今も昔も変わらぬ苦労なのである。続けて〈「来ないで」も「来て」も泣き声夏の月〉や〈笑はせて泣かせて眠らせて良夜〉にも母の疲労困憊の姿は描かれる。とはいえ、子のある母は若いのだ。健やかな右上がりの成長曲線は子のものだけではなく、母にも描かれる。100日経ったらきっと今よりずっと楽。がんばれ、お母さん。『笑ふ』(2015)所収。(土肥あき子)


October 26102015

 大部分宇宙暗黒石蕗の花

                           矢島渚男

蕗の花は、よく日本旅館の庭の片隅などに咲いている。黄色い花だが、春の花々の黄色とは違って、沸き立つような色ではない。ひっそりとしたたたずまいで、見方によっては陰気な印象を覚える花だ。それでも旅館に植えられているのは、冬に咲くからだろう。この季節には他にこれというめぼしい花もないので、せめてもの「にぎやかし」にといった配慮が感じられる。そんな花だけれど、それは地球上のほんの欠片のような日本の、そのまた小さな庭などという狭い場所で眺めるからなのであって、大部分が暗黒世界である宇宙的視座からすれば、おのずから石蕗の花の評価も変わってくるはずだ。この句は、そういうことを言っているのだと思う。大暗黒の片隅の片隅に、ほのかに見えるか見えないかくらいの微小で地味な黄色い花も、とてもけなげに咲いているという印象に変化してくるだろう。宇宙の闇がどういうものかは想像するしかないし、想像の根拠には私たちが見慣れた闇を置き、それを延長拡大してみるしかない。ただそうするとき、現在の日本の闇はもはや想像の根拠にはなりえないと言ってよいかもしれない。とくに東京などの都会では、もう「鼻をつままれてもわからない」闇などは存在しないから、私たちの想像力は物理的にも貧弱になってしまっている。この句を少しでも理解するためには、人里離れた山奥にでも出かけてみるしか方法はなさそうである。『延年』所収。(清水哲男)


October 25102015

 銀河逆巻くその十指舞ひやまぬ

                           黒田杏子

書に「大野一雄公演 パークタワーにて」とあります。大野一雄の舞踏を観た人なら、「銀河逆巻く」は比喩でも誇張でもなく、嘱目ととらえるでしょう。私は20回ほど大野氏の舞台を観、また、数回、舞踏の稽古に参加させていただきました。稽古の前には十数名程の研究生と紅茶を飲み、クッキーを食べながら、生命と宇宙の話をされるのが常でした。「卵子と精子が結合すると、卵子は回転を始めます。それが、ワルツの始まりです。」30分ほど話されてから、「あなたたちは、宇宙的な舞踏家になってください」と、いったん話が終わり、「では、今日もフリーにフリーにいきましょう」のひと言で、研究生たちは各々それぞれの位置で立ち止まり、動き始めます。フリーな動きの中にも三つの要諦があります。一つは、爪先立ちであること。二つ目は、屈む姿勢であること。三つ目は、身体の一箇所は必ず天を向いていること。地に対して向かう屈みの姿勢こそが、土方巽が創出した地の舞いである舞踏であり、大野一雄の独創は、その姿勢を保ちながら天に引っ張られるような垂直の意識を志向するところにあります。たとえば、バレリーナは、身体の軸が天に向かっていますが、大野の舞踏は、地と天に対して同時に向かう意識に特徴があります。大野氏はこれを「together」と言いました。天と地の両方に引っ張られている緊張に舞踏家の立ち居があり、それは、植物が根を張らすために地中をまさぐっていると同時に、天の光に向かって伸びようとしている意志と同じです。この姿を「宇宙的な舞踏家」と言ったのだと思います。大野一雄は、痩身で小柄でしたが、掌が大きく指が長く、同時代の他の舞踏家、例えば息子の大野慶人、笠井叡、麿赤児と比較しても、十指の動きが複雑で、表情が豊かでした。それは、時に昆虫の脚の動きのように見えることもあれば、饒舌な手話にも見え、指で地を天をまさぐり宇宙をつかもうとする強情でした。ですから、「銀河逆巻くその十指」は、比喩でも誇張でもなく、現実です。『花下草上』(2007)所収。(小笠原高志)




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