2015N11句

November 01112015

 うぐいす張り刀引き寄す夜寒かな

                           西川悦見

円寺北口2分の所に、居酒屋「赤ちゃん」があります。現在の店主、赤川徹氏の尊父が歌人だった縁で、周辺に住む文人墨客が集った酒場で、店名は、井伏鱒二の命名です。映画・演劇・文学を好む客が多く、その流れで最近は、店で定期的に句会を開いていて、誰もが自由気ままに参加しています。また、店主が将棋好きとあって、腕自慢の酔客とカウンター越しに指すこともしばしばで、時折プロ棋士も立ち寄ります。先夜、久しぶりに将棋を指しに行ったところ、「第十八回赤ちゃん句会」の作品一覧三十余句を見せられて、「これは訳がわかんない」と断言したのが掲句です。他に「秘めごとの牛車を止める良夜かな」があって、これは蕪村の平安調の作りみたいだね、なんてしたり顔で喋っていたところ、掲句の作者が店に現れ私の横に座り、焼酎割りを呑み始めました。「西川さん、秘めごとの句は蕪村調で面白いけれど、うぐいす張りはチンプンカンプンだよ」。すると、「うぐいす張り」は、廊下を歩くと音が出る仕掛けのことで、武家屋敷の忍者除けであることを教えてくれました。そういえばそうだった、なるほど!これで俄然、寒夜の緊迫感が伝わってきました。「張る・引く・寄す」は、緊張つながりの縁語と言ってもよいのでしょう。西川氏は、蕪村の「宿かせと刀投げ出す吹雪哉」の歌舞伎的な作りが好きで、換骨奪胎の句を作ってみたかったといいます。蕪村の句は大音声の荒事で、西川氏の句は「引き寄す」動作が機敏で静かな侍のリアリズムです。これは、蕪村もほめてくれるでしょう。他に、「原発も紅葉もつぶしゴジラ征く」。この夜、西川氏の俳号が不損(ふそん)と決まりました。(小笠原高志)


November 02112015

 良寛堂ひとりやだれの杉鉄砲

                           松田ひろむ

はや「杉鉄砲」は死語かもしれない。私が子供だったころには、ごく普通のありふれた遊び道具だった。こんなふうに昔の遊具もどんどん姿を消してゆく。どんな道具だったかを知らない人に説明するのは、結構難しい。「良寛堂」は、生家橘屋の屋敷跡(に良寛の遺徳を顕彰し良寛を偲ぶために、郷土史家、佐藤耐雪が発案し、安田靭彦が設計して、大正年間に建立された。新潟県のこの地を、一度だけ訪れたことがあるる。良寛さんといえば子供たちとの交流が有名で、私の子供のころには教科書にも載っていた。杉鉄砲がそんな良寛堂に転がっていたのだろう。作者は森閑とした良寛堂の上がりがまちに腰掛けて、じいっと杉鉄砲を見つめている。遠く子供らと遊ぶ良寛像を思い見るうちに、みずからの子供時代に思いが及び、しばし往時を懐かしんでいるというところか。そして、いつの間にか良寛は消え、子供たちも消えて、良寛堂を後にしている。良寛の昔から、子供らの遊びは創意工夫に満ちていた。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


November 03112015

 ロボットの脚は空洞木の実落つ

                           椎野順子

付から介護支援など、近い将来の期待を一身に背負うロボット。なぜ人型である必要があるのかと疑問だったが、生活空間が人間のために設計されているため、ノブを回す、スイッチを入れるなど、人間のかたちを取るのがもっとも効率的なのだと聞いて納得した。人間に近づく滑らかな動きは、束ねられたケーブルの働きによるものだが、それを包む表面との間は空洞である。掲句はロボットが血や肉を持たない物体であることをさらりと述べている。降り注ぐ木の実が、なぜか実りの充実ではなく、満れば欠くる道理を思わせ、胸騒ぎを覚える。集中には〈信条はいつでも麦酒どこでもビール〉大いに同感(^^)『間夜』(2015)所収。(土肥あき子)


November 04112015

 十一月やぎ座と南の魚座のしっぽ

                           飯田香乃

年は小学生や中学生たちがさかんに俳句を作っているから、おじいちゃん・おばあちゃんたちもうかうかしてはいられない。ああでもない、こうでもない、と思案しているうちに、彼らはさらりヒョイと詠んでしまいかねない。香乃さんは酒井弘司の「朱夏」に属している中学二年生。幼稚園の年長さんのときから俳句を始めたという。おじいちゃん(弘司さん)に手ほどきを受けたらしい。あとがきに「私の俳句は、良く言うと大器晩成、悪く言うとなかなか上達しません」とある。やあ、末恐ろしいなあ。「頭にパッと良い句が浮かぶと、ハッピーになります」とも書いている。そのハッピーを経験したくて、大のオトナは四苦八苦しているわけです。でもなかなか……。魚座は晩秋の夕暮れに南中する。とにかく「やぎ」と「魚座のしっぽ」の取り合わせが少女らしく可愛くて、秋の夜空がいっそう美しく感じられる。字余りもこの際元気でいいなあ。他に「柚子風呂の柚子を蹴り蹴り温まる」の句も活発です。『魚座のしっぽ』(2015)所収。(八木忠栄)


November 05112015

 立冬の水族館の大なまず

                           星野麥丘人

まずはの表記は魚編+夷、一般には鯰と書くことが多いがこの句ではずんぐりとした大なまずを強調する意味でこの漢字を用いているのだろう。水族館の暗い水槽に沈んでいる大なまずは季節の変化はほとんど関係がない。昨日、今日、明日同じ状態が持続していくだけである。「ひたすらに順ふ冬の来りけり」という句も並んでいる。身を切る寒さ、足元の危うい雪や凍結の道路。年を経るにしたがって、耐え忍ぶ冬を超えて春を待ちのぞむ気持ちは強くなる。いよいよ立冬。動き回ることが少なくり炬燵に立てこもる姿は大なまずと同じということか。さて今年の冬の寒さはどんなものだろう。『雨滴集』(1996)所収。(三宅やよい)


November 06112015

 音読の東歌の碑へ紋鶲

                           関口喜代子

外のとある場所に歌碑あり、東歌とある。「つくばねに・ゆきかもふらむ・いなおかも・・・」何やら声を出して歌を読んでいる。百人一首でもないしと耳を傾ける、筑波嶺、ああこれが万葉集か何かに出てきそうな調べ東歌だったのか。と、心も和んで辺りに眼をやれば色鮮やかな小鳥が枝を渡っている。つと歌碑に飛び移ったのを眺めればこれは翼に白い紋を付けた紋鶲であった。いつもこの頃になると同じ縄張りを巡ってくる。ヒッツ、ヒッツと火打石を打つような鳴き声から「火焚き(ビタキ)」と言われるとか。「いとしきころが・にぬほさるかも・・・」の音読に拍子をとるかのように、ヒッツヒッと鳴いて飛び去った。秋も長けた。他に<夫と描く初冠雪の夜明富士><騎馬戦へ太鼓の連打運動会><流木に座して友待つ秋日傘>などあり。俳誌「百鳥」(2015年1月号)所載。(藤嶋 務)


November 07112015

 秋灯に祈りと違ふ指を組む

                           能村研三

感の中でもっとも失われる可能性が低い、つまり生きていく上での優先順位が高いのが触覚で、特に手指の先に集中しているという。そう言われてみると、ヘレンケラーも指先に触れた水の感覚に何かを呼び覚まされたのだった。もし今光と音を失ったとしても、大切な人の頬を両手で包みそして包まれれば、そこには確かなものが通い合うだろう。そうやって生きている限り、手指は言葉以上に語り続ける。掲出句、気づいたら無意識に祈るような形に指を組んでいた、というだけなのかもしれない、そんな秋の夜。あるいは、その手指は二度とほどかれることはなく、その瞳も開かれることは無いのかもしれない。作者が見つめる組まれた指は、ひとつの人生を終えた持ち主と共に長い眠りにつく、とは、父の忌を修したことによる感傷的な解釈か、と思いつつ更けゆく秋の夜。『催花の雷』(2015)所収。(今井肖子)


November 08112015

 水底より冬立つ湖や諏訪の神

                           吉田冬葉

訪湖は、周囲約16km。諏訪市、上諏訪町、岡谷市の市街地に囲まれた、生活の場が近い湖です。湖畔には旅館や飲食店、民家も建ち並び、ジョギングコースを走るランナーや犬の散歩を楽しむ住民の憩いの場です。晴れた平日の夕方は、諏訪清陵高校のボート部員男女が、数艇、ボートを漕ぐかけ声が響き渡ります。八ヶ岳に抱かれながら、湖面に流れる雲をオールでかく青春がまばゆい。諏訪の町並みを歩くと、水流の音が聞こえてきます。これは、八ヶ岳から流れる水が、道下の水路を伝って諏訪湖に向かって流 れゆく音です。諏訪湖は、四方周囲の山々に降る雨を森がいったん保留して、その湧水から成っていることを物語っています。「諏訪の神」は、『古事記』にも出てくるように出雲大社の弟にあたり、兄と違って国譲りに賛成しなかったので、諏訪の地から出られない神とされています。ただ、興味深いのは、神話の記述よりもむしろ、この土地の人々の多くが、諏訪大社をはじめとするいくつかの神社の氏子であり続けていることです。来年は申年なので、七年に一度の御柱祭があります。山から樹齢約二百年の樅の巨木を十六本伐り、氏子たちは、山を曳き、坂を下り、川を越え、里を曳き、四社の社殿に四本の柱を立てる祭です。すでに、樹を伐採する神事はとどこおりなく行なわれており、その様子は諏訪のC ATVで日々、中継されています。古くから、諏訪大社の御神体は守屋山と言われてきましたが、この山をはじめとして、周辺の山林には人の手がよく入っていて、適度に間伐が行なわれています。私の見立てでは、「諏訪の神」は山の神、森の神、水の神といってよく、諏訪湖は、この地域全体が鎮守の杜であることを映し出す鏡池であると考えます。今日、標高759mの湖面には、冷たい立冬のさざ波が立っていることでしょう。来年の立春の頃には、湖が氷結して大音響を立ててせり上がる御神渡りが見られるでしょうか。『入門歳時記』(角川書店・1993)所載。(小笠原高志)


November 09112015

 骨壷を抱きしこと二度露の山

                           矢島渚男

二度」とあるから、父母をおくったときの骨壷だろう。二人の命日がたまたま露の季節であったのかもしれないが、そうでなくても別にかまわない。「露」は涙に通じるが、この場合には涙そのものというよりも、露のように生じてくる故人へのさまざまな思いのほうに力点がかかっている。つまり、この「露」は常識的な抒情の世界に流れていくのではなく、ある種の思念にたどり着くのだと読んだ。故人への思いから生ずる思念は、当たり前のことながら、人によってさまざまだ。天野忠の詩に「顔の記憶」がある。部分を引用しておく。「父親の顔ははっきりしている(私より少し若い) 母親の憂い顔は気の毒で思い出せない、 思い出せるけれど私は思いだしたくない」。このように、思い出さないようにして思い出すということだって起きてくる。私の体験から言っても、十分に納得できる。そのように複雑な思念がからみつく故人との関係ではあるけれど、思い出す源にある「骨壷を抱く」という行為の、なんと単純で素朴なそれであることか。しかしその単純素朴な行為の実感から流れ出てくる思念の不思議なありようを、作者は不思議のままに受けとめているのだろう。『梟』所収。(清水哲男)


November 10112015

 木の化石木の葉の化石冬あたたか

                           茨木和生

竜や昆虫以外にも化石はある。木にも木の葉にも、時代を超えて化石となって残っているものがある。思わぬタイミングで残ってしまったものの悲しみを冬の始めのあたたかな日差しが包む。それはまるで、生まれたての赤ちゃんを包むおくるみのように、やわらかで清潔な太陽のぬくもり。長い時間をさかのぼり、化石が木であり、青葉だった時代にも、同じように太陽は頭上に輝いていた。その頃の木はなにを見てきたのだろうか。山は盛大に噴火を繰り返し、見慣れない鳥が枝に羽を休めていたのだろうか。それぞれの時間がそれぞれのなかでゆっくりと流れていく。『真鳥』(2015)所収。(土肥あき子)


November 11112015

 駅おりて夜霧なり酒場あり

                           久米正雄

んな辺鄙な土地であっても、駅をおりるとたいてい居酒屋があるものだ。呑兵衛にとってはありがたいことである。お店はきたなくても、少々酒がまずくても、ぴたりとこない肴であっても、お酌するきれいなネエちゃんがいなくても、霧の深い夜にはなおのこと、駅近くに寂しげにぶらさがっている灯りは何よりもうれしい。馴染みの店ならば、暖簾くぐると同時に「いらっしゃい!」という一声。知らぬ土地ならばなおいっそう、そのうれしさありがたさは一入である。夜霧よ、今夜もありがとう。中七の字たらず「夜霧なり」で切れて、下五へつながるあたりのうまさは、さすがに三汀・久米正雄である。五・五・五が奇妙なリズムを生んでいる。夜霧がいっそう深さを増し、あらためてそのなかに浮きあがってくる「酒場」が印象的である。暖簾をくぐったら、店内はどうなっているのだろうか? 勝手な想像にまかされているのもうれしい。正雄は俳誌「かまくら」を出して、鎌倉文士たちと俳句を楽しんだ。「かなぶんぶん仮名垣魯文徹夜かな」など、俳句をたくさん残している。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


November 12112015

 ヒップホップならば毛糸は編みにくし

                           岡田由季

枯らしが吹いて、そろそろ厚いセーターやマフラーが恋しい季節になった。以前は電車の中や病院の待合室でも編み棒をせっせと動かしてセーターやマフラーを編んでいる人を見かけたが、軽くて安くて暖かい冬の衣料がいくらでも手に入る昨今、とんと見かけなくなった。ただひたすらに記号に沿いながら編み針をうごかしている時間は無心になれて楽しいものである。そこにクラッシックでも流れていれば編み針もスムーズに進むのだろうが、ヒップホップで調子がついてしまうとさぞ編みにくかろう。ヒップホップのリズムで身体を跳ね上げながら編み物をしている姿を想像しておかしくなってしまった。こういうユーモアを持った俳句、とてもいい。『犬の眉』(2014)所収。(三宅やよい)


November 13112015

 蹲踞をよぎる日月火焚鳥

                           原 朝子

踞(つくばい)は茶室に入る前に、手を清めるために置かれた背の低い手水鉢に役石をおいて趣を加えたもの。手水で手を洗うとき「つくばう(しゃがむ)」ことからその名がある。この手水を使う日月もいつしか永らえて人生の一部となってしまった。この季節に決まって渡ってくるジョウビタキが今日もヒィーッ、カチカチと鳴いている。日月に続くヒタキの表記に火の字の火焚鳥とは何とお洒落なことだろう。日常は今週も日月火と繋がってゆく。<夜長人火を足す如く言葉継ぐ><代代の器用貧乏蔦紅葉><山茶花や日輪忽と雲を割る>。「俳壇」(2015年1月号)所載。(藤嶋 務)


November 14112015

 想像力欠けた男のくしやみかな

                           椿屋実梛

中、この句の三句前に〈 B型の男くぢらのごと怒る〉とある。同一人物か否かはわからないがいずれも、やや冷めた目で目の前の男性をしっかり観ている作者である。想像力に欠ける、とは具体的にどういうことなのかと考えると、相手の立場を思いやることができない、自己中心的である、というのもその一つだろう。そろそろ解放されたいなと思っていた作者の前でひたすらマイペースでしゃべり続けていた男が、ハクションチキショー、みたいな大きいクシャミをする。我に返ったかのように、お、もうこんな時間か、オレ帰るわ、などと言って歩き出す彼は、クシャミも含めデリカシーの感じられない存在である。ちなみに同集中に〈蛞蝓のやうな男に好かれをり〉という句もある。鋭い観察眼と巧みな表現力に感心しつつ、作者の幸せを願っている。『ワンルーム白書』(2015)所収。(今井肖子)


November 15112015

 花嫁を見上げて七五三の子よ

                           大串 章

んな句評があります。「着飾った子どもを連れて、神社に参詣に出かけた。親の目からすれば、当然この日の主役はわが子なのだが、子どもにしてみれば主役の意識などはいささかもない。したがって、折しも神社で結婚式という花嫁を見かけた途端に、子どもは口あんぐりと花嫁姿に見惚れてしまったというわけだ。お前だって主役なんだよ。そう言いたい気持ちもあるけれど、親としてはただ苦笑しているしかないという場面である。主役意識のない七五三の子どもの句は多いが、着飾った者同士の対比から 描いた句は珍しい。」講談社『新日本大歳時記 冬』(1999)所載で、清水哲男の署名があります。句も評も見事なので七五三の今日、紹介させていただきました。十一月は秋の結婚シーズンでもあるので、掲句のような微笑ましい光景は、どこかの神社で見られそうです。この子どもは、男の子でも女の子でもありうるでしょう。けれども、花婿ではなく、花嫁に視線が集まるのが世の常で、老若男女みな然りです。あらためて、結婚式の主役は花嫁なんですね。花嫁がみんなの視線を持って行く。他に「タクシーに顔がいっぱい七五三」(青山丈)があり、祖父母も交えた三世代が揃って、孫を膝に乗せている姿です。子どもが主役のハレの日は、おだやかな小春日和が似合います。(小笠原高志)


November 16112015

 大学祭テントに落葉降りつもる

                           池田順子

の通った大学では「11月祭」といって、学園祭は毎年恒例で秋に開かれていた。まさに落葉の季節である。それなりににぎわうのだが、日暮れ近くともなると、そぞろ冷たい風も吹いてきて、どこか物悲しく、しかしそれはそれで捨てがたい味わいがあった。テントに降り積もる落葉もそのひとつだ。私が入学したころの学園祭の総合テーマは「平和と民主主義、よりよき学園生活のために」という当時の全学連のスローガンをそのまま流用したもので、これはほとんどの大学に共通していた。ところが二回生のときだったか、「これではつまらん」と上級生が言い出して、まことにもって唖然とするようなスローガンを打ち出した。曰く「独占資本主義下におけるサディズムとマゾヒズム」というのである。何のことかさっぱりわからなかったが、さすがに「大学であるな」とこれが妙に気に入ってしまった。以後、いろいろな大学から独自のテーマが生まれてきて今日に至るというわけだ。『彩・円虹例句集』(2008)所収。(清水哲男)


November 17112015

 たのしくてならぬ雀ら初しぐれ

                           坂本謙二

る日、外出先で猫じゃらしを踏み台にして飛び比べをする4〜5羽の雀を目撃した。遊びに夢中でしばらく私が見ていることにも気づかぬ様子で、ピチピチと鳴き声をあげながら、順番に猫じゃらしに飛び移る。ああ、その頃スマホがあればこっそり動画を撮っていたのに、と悔やんでいた。しかし掲句を見て、そんな機会はたびたび訪れるのかもしれないと思い直した。欣喜雀躍という言葉もあるではないか。私事ながら先日引越しをして、多摩川の堤を散策するのが日課となった。遊び好きの雀たちに会える日も近いような気がする。『良弁杉』(2015)所収。(土肥あき子)


November 18112015

 秋地獄ぺらぺらまはる風車

                           井口時男

獄とはこの場合、下北半島の霊場恐山を指している。私も二回ほど訪ねたことがある。広い境内には賽の河原と呼ばれる、子ども供養の荒涼たる岩場がある。色とりどりの可愛い風車(かざぐるま)が風を受けて盛んにまわり、小石が積まれ、お菓子が供えられている。供花のかわりに、あちこちに差されたセルロイドの風車が「ぺらぺら」と、どこやらもの悲しく寂しい風情で秋風を受けてまわっているのである。「ぺらぺら」は儚く寂しい響きをこぼしている。ブルーの色鮮やかな宇曽利湖を背景にして、亜硫酸ガスで硫黄臭く、白い岩場が広がる光景が見えてくる。これはこれでこの世の地獄。境内にはひそやかな温泉小屋があって、寒々しさは拭いようがない。イタコによる口寄せも行われている。一度は訪ねてみたい霊場である。句集には「恐山五句」として、掲出句と「口寄せを盗み聴くときすすき揺れ」他がならぶ。文芸批評家の第一句集である。『天來の獨樂』(2015)所収。(八木忠栄)


November 19112015

 冬銀河鍵一本の街ぐらし

                           荒井みづえ

会ではなかなか見ることのできない冬銀河であるが、冬はきりっと引き締まった冷気に星の光が一段と輝く季節。掲句では銀河が鍵と響きあって、カチッと回転させる音まで聞こえてきそう。出歩くときは必ず持ち歩く住まいの鍵。一軒家は出るときの戸締りが大変で帰宅してからも何かと防犯の心配がつきないが、マンション暮らしは気楽なもので、分厚いベランダの窓を閉め、スチールのドアを閉めて鍵を回すだけで完了する。密閉性が高いマンションは孤立しやすいともいえるが、街ぐらしの気楽さに孤独はつきものである、一つ一つの星の瞬きが光の帯になる冬銀河と同様に孤独の灯が連なり銀河のようにまたたく都会の冬の夜である。『絵皿』(2015)所収。(三宅やよい)


November 20112015

 雪の野の鵟の止まる古木かな

                           大島英昭

の仲間の猛禽類である鵟(ノスリ)。大きさはトビよりも小さくハシブトガラス位いである。農耕地や草原に棲み、両翼を浅いV字形に保って羽ばたかずに飛ぶことが多い。低空飛翔をしながらノネズミなどの獲物を見つけると急降下して捕獲する。枯枝、杭、電柱に長い時間とまって休む。折しも雪の野原に一際高い古木があってよく見るとノスリが休んでいる。野生の動物たちは冷たくとも餌が乏しくともその厳しさに耐えて生き延びねばならぬ。食べる事、生殖することに太古からの知恵が引き継がれてゆく。他に<留守の家に目覚ましの音日脚伸ぶ><日陰から径は日向へゐのこづち><無住寺の地蔵に菊とマッチ箱>などなど。『ゐのこづち』(2008)所収。(藤嶋 務)


November 21112015

 向き合うて顔忘らるる冬泉

                           飯田冬眞

々無事に生きていることが奇跡に近いような気もしてくる昨今だが、生きているからこその悲しみもある。人の記憶のメカニズムはまだまだはっきりしていない部分が多い上、個々の心の中に秘められたものは記憶も含め永遠に本人以外にはわからない。大切な人が目の前にいてじっと見つめ合っていても、その人の眼差しは自分に向けられていながら自分を認識してはくれない。でもそこにはぽつりぽつりと会話がかわされ穏やかな時間が続いているのだろう。好きだった人から先に記憶から消えるという説もあるが、愛情を注いだ存在だという本能的な感覚はきっと残る。冬の泉はしんとさびしいけれど、白い光を静かに抱きながらいつまでも涸れることなく水を湛えている。『時効』(2015)所収。(今井肖子)


November 22112015

 落葉焚き人に逢ひたくなき日かな

                           鈴木真砂女

に会いたくない日があります。寝過ぎ寝不足で顔が腫れぼったい日もあれば、何となく気持ちが外に向かず、終日我が身を貝殻のように閉ざしていたい、そんな日もあります。長く生きていると、事々を完全燃焼して万事滞りなく過ごす日ばかりではありません。人と関わりながら生きていると、多かれ少なかれ齟齬(そご)をきたしていることがあり、心の中にはそれらが堆積していて、重たさを自覚する日があります。そういう日こそ、心の深いところにまで張り巡ぐらされていた根から芽が出て言の葉が生まれてくるのかもしれません。句では「逢ひ」の字が使われていることから、逢瀬の相手を特定しているとも考えられます。句集では前に「落葉焚く悔いて返らぬことを悔い」があるので、そのようにも推察できます。完全燃焼できなかった過去の悔いをせめて今、落葉を焚くことで燃焼したい。けれどもそれは心の闇をも照らし出し、過去と否応なく向き合うことになります。それでも焚火は、今の私を明るく照らし、暖をとらせてもらっています。句集では「焚火して日向ぼこして漁師老い」が続きます。これも、婉曲的な自画像なのかもしれません。『鈴木真砂女全句集』(2001)所収。(小笠原高志)


November 23112015

 声出すは声休むこともう冬か

                           小笠原和男

日は二十四節気の「小雪」。「しょうせつ」と読む。そろそろ冬になるのか。作者は思わず声に出して「もう冬か」とつぶやいてしまったのだろう。そういうことはよくあるけれど、句の「声休むこと」という発想はユニークだ。私などには、とても出てこない。どうなのだろう。一般的に「声休む」とは、どんな状態を指しているのか。いろいろと考えてみて、それは人が黙っているときのごく日常的な様子をさすのではないかと思われた。つまり、人間の頭脳には日頃さまざまな思念がランダムに詰まっていて、発語するとはそれらを私たちは他者に通じるように整理してから行っていると解釈できる。ところが句のような情況で他者に告げる意思もなく勝手に飛び出してきた言葉、強いて音声化しないでもよい言葉を発してしまったときに、声は休んだままになっている。つまり句の「声出すこと」とは、思わぬ拍子に出した声で、人間の物言うことの不思議さに気づいたということのようだ。いやあ、難しい句もあったものである。「俳句」(2015年12月号)所載。(清水哲男)


November 24112015

 いつも冬にあり木星の子だくさん

                           矢島渚男

宙情報センターによると、木星は太陽系のなかで最も大きな惑星であり、直径は地球の約11倍という。昔は汚れた雪だるまなどと呼ばれていた筋模様も、今ではハッブル宇宙望遠鏡のよりクリアな画像によって、美しい大理石のような縞模様であることが確認された。掲句の「子だくさん」たる所以は、衛星を67個も持つことによるもの。地球の衛星が月のひとつきりであることを思うと、11倍の大きさとはいえ、木星が肝っ玉母さんのように見えてくる。12月にかけて、空には明るい星がまたたく。明けの明星の金星に続き、木星、そして少し暗めの赤を放っているのが火星。宇宙の神秘を早朝味わうのもまた一興。『冬青(そよご)集』(2015)所収。(土肥あき子)


November 25112015

 炭はぜる沈黙の行間埋めている

                           藤田弓子

のように「炭はぜる」場面は、私たちの日常のなかで喪われつつある光景である。炭は生活のなかで必需品だった。質の悪い炭ほどよくはぜたものだ。パチン!ととんでもない音と火の粉を飛ばしてはぜる、そんな場面を何度も経験してきた。火鉢の炭だろうか。ひとり、あるいは二人で火鉢をはさんで、炭が熾きるのを待ちながら、しばしの沈黙。炭のはぜる音だけが沈黙を破る。「沈黙の行間」という表現はうまい。その場のひと時を巧みにとらえた。その「行間」の次にはどんな言葉が連ねられたのだろうか。月一回開催の「東京俳句倶楽部」で、弓子は「チャーミングな人達との会話を愉しみ、おいしいお酒を愉しむ」そうだ。ハイ、俳句の集まりはいつでもそうでありたいもの。酒豪で知られる女優さんである。「生涯の伴侶とも言いたいほど、俳句に惚れている」ともはっきりおっしゃる。他に「秋深し時計こちこち耳を噛む」「時雨きて唐変木の背をたたけ」などがある。俳号は遊歩。「俳句αあるふぁ」(1994年7月号)所載。(八木忠栄)


November 26112015

 空色にからまりからまり鶴来たる

                           こしのゆみこ

路で見る丹頂鶴はその大きさも美しさもずばぬけているが渡りはしない。全体が黒っぽいなべ鶴の飛来地は鹿児島県出水、山口県八代で、縁あってその両方で鶴が来るのを見たことがある。昔日本各地のどこにでも来ていた鶴は狩猟でとりつくされ、一時は絶滅の危機になったが、飛来地の農家が餌付けしながら増やし、今では相当数は増えたと聞く。なべ鶴は丹頂鶴ほど大きく美しくもないが、数羽連れだって冬空を飛んでくる様は力強い。雲のない青空をじっと見つめていると細かい無数の点がだんだんと大きくなってきて、羽がからまりそうな近さで羽ばたきながら数羽の鶴が飛んでくる。「空色にからまる」まさにそんな様子で鶴は遥かシベリアから真っ青な空を渡ってやってくるのだ。『コイツァンの猫』(2009)所収。(三宅やよい)


November 27112015

 城近き茶店の池の浮寝鳥

                           同前悠久子

光や散歩で人々が訪れる名所旧跡に茶店はつきものである。そしてお堀とか池とか噴水など水が風景を飾る。その水の風景のアクセントとなって様々な鳥たちが人々の目を楽しませている。どんな鳥か暫く観察する。白鳥、鴨、鳰、鴛鴦などを発見。秋に渡って来てここで越冬し春には帰っていくものもいれば、ここに居着いた鳥も居る。水に潜ったり翼に嘴をさし入れたり様々な姿態で点在している。水上に浮かんで寝ているものが居る、浮き寝鳥という。鴨ならば浮き寝鴨とでもいうところ。一杯の珈琲の寛ぎタイムも流れさって、人間はそれぞれの持ち場に帰ってゆく。鳥たちはのんびりと眠り続ける。他に<花枇杷を待つ日々は佳し恋に似て><足元にかすかに揺るる黄千両><玉子酒ふと作りたしひとり居の>などあり。俳誌「ににん」(2015年冬号)所載。(藤嶋 務)


November 28112015

 小春日の人出を鴉高きより

                           上野章子

春には呼び合うように鳴きかわし、やがてつがいとなって繁殖期を迎え、子育てが終わると再び集団で森の中にねぐらを作って冬を越すという鴉だが、冬の鴉というと黒々と肩をいからせて木の枝に止まっている孤高なイメージがある。この句を引いた句集『桜草』(1991)の中にも〈鴉来てとまりなほさら枯木かな〉とある。まさに「枯木寒鴉図」といったところだが、そんな寒々とした鴉とは少し違った小春日の景だ。実際は作者が鴉を見上げているのだが、読み手は一読して鴉の視線になる。小春の日差しに誘われて青空の下を行きかう人間達を、見るともなく見ている鴉。その鳴き声がふと、アホ〜、と聞こえたりするのもこんな日かもしれない。(今井肖子)


November 29112015

 古家のゆがみを直す小春かな

                           与謝蕪村

春は小六月とともに、陰暦十月の異名です。現在なら、十一月中旬から十二月上旬あたりの期間を意味しますが、近現代の例句をみると、小春日や小春凪といったおだやかな日和の情景として詠んだ句がほとんどです。その点蕪村の句は、小春を本来の意味で使っています。この時期、田畑の収穫を終えた農家は、ようやく傾いた家の建て直しに手が回ります。一家総出で、隣人を助っ人に、余裕があれば大工の棟梁も招くことでしょう。この作業は、無事に冬を越すためでもあり、晴れやかに新春を迎えるためでもあります。家の中を大掃除する前に、まずは普請を万全にしようという季節のいとなみです。そう思うと、「小春かな」で切れるのも納得できます。なお、小春の初 出を調べて みたら六世紀半ばに中国の年中行事を記した『荊楚(けいそ)歳時記』に「小春」(ショウシュン)の項がありました。鎌倉末期の『徒然草』155段には「十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ」があり、江戸初期の『毛吹草』に冬の季語として定着しています。芭蕉は「月の鏡小春にみるや目正月」(続山井)の一句だけを残していて、これも陰暦十月として使っています。『蕪村俳句集』(岩波文庫・1989)所収。(小笠原高志)


November 30112015

 戦争がはじまる野菊たちの前

                           矢島渚男

メリカのブッシュ政権がアフガニスタンに侵攻した際、このニュースを知って、すぐに詠んだ句だという。……という注釈をつけなければ、いつ詠まれた句かわからないほどに、戦争は世界のどこかで絶え間なく勃発している。このときに「野菊」とは、実際の野生の花であると同時に、戦争などいささかも必要とせぬ無辜の民の象徴でもあるだろう。そんな「野菊たち」の「前」で、いきなり「はじまる」のが戦争だ。かつての大戦中、空爆や機銃掃射のなかを、ただおろおろと逃げ惑った子供時代を思い出さされた。日常が戦争であるとは、なんと悲惨なことであったか。そんな思い出をもつ世代も、いまや後期高齢者の仲間入りをし、戦争を知らない人々が大半を占めようとしている。今年は戦後七十年。この間、世界的に見てこの国は奇跡的と言ってよいほどに、戦争に巻き込まれることなくありつづけた。しかしながら。最近ではキナ臭い動きも頭をもたげようとしている。ふたたび、「野菊たち」の「前」に、不穏な風が吹こうとしている。これが私の杞憂に終わればよいのだが、とにかく昨今の政治的動静からは目がはなせない。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます