暖かい日がつづきますね。なんだか季節に切れ味がなくなってきた。(哲




2015ソスN11ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 04112015

 十一月やぎ座と南の魚座のしっぽ

                           飯田香乃

年は小学生や中学生たちがさかんに俳句を作っているから、おじいちゃん・おばあちゃんたちもうかうかしてはいられない。ああでもない、こうでもない、と思案しているうちに、彼らはさらりヒョイと詠んでしまいかねない。香乃さんは酒井弘司の「朱夏」に属している中学二年生。幼稚園の年長さんのときから俳句を始めたという。おじいちゃん(弘司さん)に手ほどきを受けたらしい。あとがきに「私の俳句は、良く言うと大器晩成、悪く言うとなかなか上達しません」とある。やあ、末恐ろしいなあ。「頭にパッと良い句が浮かぶと、ハッピーになります」とも書いている。そのハッピーを経験したくて、大のオトナは四苦八苦しているわけです。でもなかなか……。魚座は晩秋の夕暮れに南中する。とにかく「やぎ」と「魚座のしっぽ」の取り合わせが少女らしく可愛くて、秋の夜空がいっそう美しく感じられる。字余りもこの際元気でいいなあ。他に「柚子風呂の柚子を蹴り蹴り温まる」の句も活発です。『魚座のしっぽ』(2015)所収。(八木忠栄)


November 03112015

 ロボットの脚は空洞木の実落つ

                           椎野順子

付から介護支援など、近い将来の期待を一身に背負うロボット。なぜ人型である必要があるのかと疑問だったが、生活空間が人間のために設計されているため、ノブを回す、スイッチを入れるなど、人間のかたちを取るのがもっとも効率的なのだと聞いて納得した。人間に近づく滑らかな動きは、束ねられたケーブルの働きによるものだが、それを包む表面との間は空洞である。掲句はロボットが血や肉を持たない物体であることをさらりと述べている。降り注ぐ木の実が、なぜか実りの充実ではなく、満れば欠くる道理を思わせ、胸騒ぎを覚える。集中には〈信条はいつでも麦酒どこでもビール〉大いに同感(^^)『間夜』(2015)所収。(土肥あき子)


November 02112015

 良寛堂ひとりやだれの杉鉄砲

                           松田ひろむ

はや「杉鉄砲」は死語かもしれない。私が子供だったころには、ごく普通のありふれた遊び道具だった。こんなふうに昔の遊具もどんどん姿を消してゆく。どんな道具だったかを知らない人に説明するのは、結構難しい。「良寛堂」は、生家橘屋の屋敷跡(に良寛の遺徳を顕彰し良寛を偲ぶために、郷土史家、佐藤耐雪が発案し、安田靭彦が設計して、大正年間に建立された。新潟県のこの地を、一度だけ訪れたことがあるる。良寛さんといえば子供たちとの交流が有名で、私の子供のころには教科書にも載っていた。杉鉄砲がそんな良寛堂に転がっていたのだろう。作者は森閑とした良寛堂の上がりがまちに腰掛けて、じいっと杉鉄砲を見つめている。遠く子供らと遊ぶ良寛像を思い見るうちに、みずからの子供時代に思いが及び、しばし往時を懐かしんでいるというところか。そして、いつの間にか良寛は消え、子供たちも消えて、良寛堂を後にしている。良寛の昔から、子供らの遊びは創意工夫に満ちていた。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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