November 082015
水底より冬立つ湖や諏訪の神
吉田冬葉
諏訪湖は、周囲約16km。諏訪市、上諏訪町、岡谷市の市街地に囲まれた、生活の場が近い湖です。湖畔には旅館や飲食店、民家も建ち並び、ジョギングコースを走るランナーや犬の散歩を楽しむ住民の憩いの場です。晴れた平日の夕方は、諏訪清陵高校のボート部員男女が、数艇、ボートを漕ぐかけ声が響き渡ります。八ヶ岳に抱かれながら、湖面に流れる雲をオールでかく青春がまばゆい。諏訪の町並みを歩くと、水流の音が聞こえてきます。これは、八ヶ岳から流れる水が、道下の水路を伝って諏訪湖に向かって流 れゆく音です。諏訪湖は、四方周囲の山々に降る雨を森がいったん保留して、その湧水から成っていることを物語っています。「諏訪の神」は、『古事記』にも出てくるように出雲大社の弟にあたり、兄と違って国譲りに賛成しなかったので、諏訪の地から出られない神とされています。ただ、興味深いのは、神話の記述よりもむしろ、この土地の人々の多くが、諏訪大社をはじめとするいくつかの神社の氏子であり続けていることです。来年は申年なので、七年に一度の御柱祭があります。山から樹齢約二百年の樅の巨木を十六本伐り、氏子たちは、山を曳き、坂を下り、川を越え、里を曳き、四社の社殿に四本の柱を立てる祭です。すでに、樹を伐採する神事はとどこおりなく行なわれており、その様子は諏訪のC ATVで日々、中継されています。古くから、諏訪大社の御神体は守屋山と言われてきましたが、この山をはじめとして、周辺の山林には人の手がよく入っていて、適度に間伐が行なわれています。私の見立てでは、「諏訪の神」は山の神、森の神、水の神といってよく、諏訪湖は、この地域全体が鎮守の杜であることを映し出す鏡池であると考えます。今日、標高759mの湖面には、冷たい立冬のさざ波が立っていることでしょう。来年の立春の頃には、湖が氷結して大音響を立ててせり上がる御神渡りが見られるでしょうか。『入門歳時記』(角川書店・1993)所載。(小笠原高志)
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