2015N119句(前日までの二句を含む)

November 09112015

 骨壷を抱きしこと二度露の山

                           矢島渚男

二度」とあるから、父母をおくったときの骨壷だろう。二人の命日がたまたま露の季節であったのかもしれないが、そうでなくても別にかまわない。「露」は涙に通じるが、この場合には涙そのものというよりも、露のように生じてくる故人へのさまざまな思いのほうに力点がかかっている。つまり、この「露」は常識的な抒情の世界に流れていくのではなく、ある種の思念にたどり着くのだと読んだ。故人への思いから生ずる思念は、当たり前のことながら、人によってさまざまだ。天野忠の詩に「顔の記憶」がある。部分を引用しておく。「父親の顔ははっきりしている(私より少し若い) 母親の憂い顔は気の毒で思い出せない、 思い出せるけれど私は思いだしたくない」。このように、思い出さないようにして思い出すということだって起きてくる。私の体験から言っても、十分に納得できる。そのように複雑な思念がからみつく故人との関係ではあるけれど、思い出す源にある「骨壷を抱く」という行為の、なんと単純で素朴なそれであることか。しかしその単純素朴な行為の実感から流れ出てくる思念の不思議なありようを、作者は不思議のままに受けとめているのだろう。『梟』所収。(清水哲男)


November 08112015

 水底より冬立つ湖や諏訪の神

                           吉田冬葉

訪湖は、周囲約16km。諏訪市、上諏訪町、岡谷市の市街地に囲まれた、生活の場が近い湖です。湖畔には旅館や飲食店、民家も建ち並び、ジョギングコースを走るランナーや犬の散歩を楽しむ住民の憩いの場です。晴れた平日の夕方は、諏訪清陵高校のボート部員男女が、数艇、ボートを漕ぐかけ声が響き渡ります。八ヶ岳に抱かれながら、湖面に流れる雲をオールでかく青春がまばゆい。諏訪の町並みを歩くと、水流の音が聞こえてきます。これは、八ヶ岳から流れる水が、道下の水路を伝って諏訪湖に向かって流 れゆく音です。諏訪湖は、四方周囲の山々に降る雨を森がいったん保留して、その湧水から成っていることを物語っています。「諏訪の神」は、『古事記』にも出てくるように出雲大社の弟にあたり、兄と違って国譲りに賛成しなかったので、諏訪の地から出られない神とされています。ただ、興味深いのは、神話の記述よりもむしろ、この土地の人々の多くが、諏訪大社をはじめとするいくつかの神社の氏子であり続けていることです。来年は申年なので、七年に一度の御柱祭があります。山から樹齢約二百年の樅の巨木を十六本伐り、氏子たちは、山を曳き、坂を下り、川を越え、里を曳き、四社の社殿に四本の柱を立てる祭です。すでに、樹を伐採する神事はとどこおりなく行なわれており、その様子は諏訪のC ATVで日々、中継されています。古くから、諏訪大社の御神体は守屋山と言われてきましたが、この山をはじめとして、周辺の山林には人の手がよく入っていて、適度に間伐が行なわれています。私の見立てでは、「諏訪の神」は山の神、森の神、水の神といってよく、諏訪湖は、この地域全体が鎮守の杜であることを映し出す鏡池であると考えます。今日、標高759mの湖面には、冷たい立冬のさざ波が立っていることでしょう。来年の立春の頃には、湖が氷結して大音響を立ててせり上がる御神渡りが見られるでしょうか。『入門歳時記』(角川書店・1993)所載。(小笠原高志)


November 07112015

 秋灯に祈りと違ふ指を組む

                           能村研三

感の中でもっとも失われる可能性が低い、つまり生きていく上での優先順位が高いのが触覚で、特に手指の先に集中しているという。そう言われてみると、ヘレンケラーも指先に触れた水の感覚に何かを呼び覚まされたのだった。もし今光と音を失ったとしても、大切な人の頬を両手で包みそして包まれれば、そこには確かなものが通い合うだろう。そうやって生きている限り、手指は言葉以上に語り続ける。掲出句、気づいたら無意識に祈るような形に指を組んでいた、というだけなのかもしれない、そんな秋の夜。あるいは、その手指は二度とほどかれることはなく、その瞳も開かれることは無いのかもしれない。作者が見つめる組まれた指は、ひとつの人生を終えた持ち主と共に長い眠りにつく、とは、父の忌を修したことによる感傷的な解釈か、と思いつつ更けゆく秋の夜。『催花の雷』(2015)所収。(今井肖子)




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