2015N1113句(前日までの二句を含む)

November 13112015

 蹲踞をよぎる日月火焚鳥

                           原 朝子

踞(つくばい)は茶室に入る前に、手を清めるために置かれた背の低い手水鉢に役石をおいて趣を加えたもの。手水で手を洗うとき「つくばう(しゃがむ)」ことからその名がある。この手水を使う日月もいつしか永らえて人生の一部となってしまった。この季節に決まって渡ってくるジョウビタキが今日もヒィーッ、カチカチと鳴いている。日月に続くヒタキの表記に火の字の火焚鳥とは何とお洒落なことだろう。日常は今週も日月火と繋がってゆく。<夜長人火を足す如く言葉継ぐ><代代の器用貧乏蔦紅葉><山茶花や日輪忽と雲を割る>。「俳壇」(2015年1月号)所載。(藤嶋 務)


November 12112015

 ヒップホップならば毛糸は編みにくし

                           岡田由季

枯らしが吹いて、そろそろ厚いセーターやマフラーが恋しい季節になった。以前は電車の中や病院の待合室でも編み棒をせっせと動かしてセーターやマフラーを編んでいる人を見かけたが、軽くて安くて暖かい冬の衣料がいくらでも手に入る昨今、とんと見かけなくなった。ただひたすらに記号に沿いながら編み針をうごかしている時間は無心になれて楽しいものである。そこにクラッシックでも流れていれば編み針もスムーズに進むのだろうが、ヒップホップで調子がついてしまうとさぞ編みにくかろう。ヒップホップのリズムで身体を跳ね上げながら編み物をしている姿を想像しておかしくなってしまった。こういうユーモアを持った俳句、とてもいい。『犬の眉』(2014)所収。(三宅やよい)


November 11112015

 駅おりて夜霧なり酒場あり

                           久米正雄

んな辺鄙な土地であっても、駅をおりるとたいてい居酒屋があるものだ。呑兵衛にとってはありがたいことである。お店はきたなくても、少々酒がまずくても、ぴたりとこない肴であっても、お酌するきれいなネエちゃんがいなくても、霧の深い夜にはなおのこと、駅近くに寂しげにぶらさがっている灯りは何よりもうれしい。馴染みの店ならば、暖簾くぐると同時に「いらっしゃい!」という一声。知らぬ土地ならばなおいっそう、そのうれしさありがたさは一入である。夜霧よ、今夜もありがとう。中七の字たらず「夜霧なり」で切れて、下五へつながるあたりのうまさは、さすがに三汀・久米正雄である。五・五・五が奇妙なリズムを生んでいる。夜霧がいっそう深さを増し、あらためてそのなかに浮きあがってくる「酒場」が印象的である。暖簾をくぐったら、店内はどうなっているのだろうか? 勝手な想像にまかされているのもうれしい。正雄は俳誌「かまくら」を出して、鎌倉文士たちと俳句を楽しんだ。「かなぶんぶん仮名垣魯文徹夜かな」など、俳句をたくさん残している。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます