2015ソスN11ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 17112015

 たのしくてならぬ雀ら初しぐれ

                           坂本謙二

る日、外出先で猫じゃらしを踏み台にして飛び比べをする4〜5羽の雀を目撃した。遊びに夢中でしばらく私が見ていることにも気づかぬ様子で、ピチピチと鳴き声をあげながら、順番に猫じゃらしに飛び移る。ああ、その頃スマホがあればこっそり動画を撮っていたのに、と悔やんでいた。しかし掲句を見て、そんな機会はたびたび訪れるのかもしれないと思い直した。欣喜雀躍という言葉もあるではないか。私事ながら先日引越しをして、多摩川の堤を散策するのが日課となった。遊び好きの雀たちに会える日も近いような気がする。『良弁杉』(2015)所収。(土肥あき子)


November 16112015

 大学祭テントに落葉降りつもる

                           池田順子

の通った大学では「11月祭」といって、学園祭は毎年恒例で秋に開かれていた。まさに落葉の季節である。それなりににぎわうのだが、日暮れ近くともなると、そぞろ冷たい風も吹いてきて、どこか物悲しく、しかしそれはそれで捨てがたい味わいがあった。テントに降り積もる落葉もそのひとつだ。私が入学したころの学園祭の総合テーマは「平和と民主主義、よりよき学園生活のために」という当時の全学連のスローガンをそのまま流用したもので、これはほとんどの大学に共通していた。ところが二回生のときだったか、「これではつまらん」と上級生が言い出して、まことにもって唖然とするようなスローガンを打ち出した。曰く「独占資本主義下におけるサディズムとマゾヒズム」というのである。何のことかさっぱりわからなかったが、さすがに「大学であるな」とこれが妙に気に入ってしまった。以後、いろいろな大学から独自のテーマが生まれてきて今日に至るというわけだ。『彩・円虹例句集』(2008)所収。(清水哲男)


November 15112015

 花嫁を見上げて七五三の子よ

                           大串 章

んな句評があります。「着飾った子どもを連れて、神社に参詣に出かけた。親の目からすれば、当然この日の主役はわが子なのだが、子どもにしてみれば主役の意識などはいささかもない。したがって、折しも神社で結婚式という花嫁を見かけた途端に、子どもは口あんぐりと花嫁姿に見惚れてしまったというわけだ。お前だって主役なんだよ。そう言いたい気持ちもあるけれど、親としてはただ苦笑しているしかないという場面である。主役意識のない七五三の子どもの句は多いが、着飾った者同士の対比から 描いた句は珍しい。」講談社『新日本大歳時記 冬』(1999)所載で、清水哲男の署名があります。句も評も見事なので七五三の今日、紹介させていただきました。十一月は秋の結婚シーズンでもあるので、掲句のような微笑ましい光景は、どこかの神社で見られそうです。この子どもは、男の子でも女の子でもありうるでしょう。けれども、花婿ではなく、花嫁に視線が集まるのが世の常で、老若男女みな然りです。あらためて、結婚式の主役は花嫁なんですね。花嫁がみんなの視線を持って行く。他に「タクシーに顔がいっぱい七五三」(青山丈)があり、祖父母も交えた三世代が揃って、孫を膝に乗せている姿です。子どもが主役のハレの日は、おだやかな小春日和が似合います。(小笠原高志)




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