2015N1127句(前日までの二句を含む)

November 27112015

 城近き茶店の池の浮寝鳥

                           同前悠久子

光や散歩で人々が訪れる名所旧跡に茶店はつきものである。そしてお堀とか池とか噴水など水が風景を飾る。その水の風景のアクセントとなって様々な鳥たちが人々の目を楽しませている。どんな鳥か暫く観察する。白鳥、鴨、鳰、鴛鴦などを発見。秋に渡って来てここで越冬し春には帰っていくものもいれば、ここに居着いた鳥も居る。水に潜ったり翼に嘴をさし入れたり様々な姿態で点在している。水上に浮かんで寝ているものが居る、浮き寝鳥という。鴨ならば浮き寝鴨とでもいうところ。一杯の珈琲の寛ぎタイムも流れさって、人間はそれぞれの持ち場に帰ってゆく。鳥たちはのんびりと眠り続ける。他に<花枇杷を待つ日々は佳し恋に似て><足元にかすかに揺るる黄千両><玉子酒ふと作りたしひとり居の>などあり。俳誌「ににん」(2015年冬号)所載。(藤嶋 務)


November 26112015

 空色にからまりからまり鶴来たる

                           こしのゆみこ

路で見る丹頂鶴はその大きさも美しさもずばぬけているが渡りはしない。全体が黒っぽいなべ鶴の飛来地は鹿児島県出水、山口県八代で、縁あってその両方で鶴が来るのを見たことがある。昔日本各地のどこにでも来ていた鶴は狩猟でとりつくされ、一時は絶滅の危機になったが、飛来地の農家が餌付けしながら増やし、今では相当数は増えたと聞く。なべ鶴は丹頂鶴ほど大きく美しくもないが、数羽連れだって冬空を飛んでくる様は力強い。雲のない青空をじっと見つめていると細かい無数の点がだんだんと大きくなってきて、羽がからまりそうな近さで羽ばたきながら数羽の鶴が飛んでくる。「空色にからまる」まさにそんな様子で鶴は遥かシベリアから真っ青な空を渡ってやってくるのだ。『コイツァンの猫』(2009)所収。(三宅やよい)


November 25112015

 炭はぜる沈黙の行間埋めている

                           藤田弓子

のように「炭はぜる」場面は、私たちの日常のなかで喪われつつある光景である。炭は生活のなかで必需品だった。質の悪い炭ほどよくはぜたものだ。パチン!ととんでもない音と火の粉を飛ばしてはぜる、そんな場面を何度も経験してきた。火鉢の炭だろうか。ひとり、あるいは二人で火鉢をはさんで、炭が熾きるのを待ちながら、しばしの沈黙。炭のはぜる音だけが沈黙を破る。「沈黙の行間」という表現はうまい。その場のひと時を巧みにとらえた。その「行間」の次にはどんな言葉が連ねられたのだろうか。月一回開催の「東京俳句倶楽部」で、弓子は「チャーミングな人達との会話を愉しみ、おいしいお酒を愉しむ」そうだ。ハイ、俳句の集まりはいつでもそうでありたいもの。酒豪で知られる女優さんである。「生涯の伴侶とも言いたいほど、俳句に惚れている」ともはっきりおっしゃる。他に「秋深し時計こちこち耳を噛む」「時雨きて唐変木の背をたたけ」などがある。俳号は遊歩。「俳句αあるふぁ」(1994年7月号)所載。(八木忠栄)




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