December 162015
前のめりなる下駄穿いてわが師走
平木二六
師走と言っても、それらしい風情は世間から少なくなった。忘年会の風習は残っているけれど、街にはいたるところ過剰なイルミネーションが、夜を徹してパチクリしているといった昨近である。かなり以前から、「商戦の師走」といった趣きになってしまっている。師も足繁く走りまわることなく、電子機器上で走りまわっているのであろう。諸説あるけれど、昔は御師(でさえ)忙しく走っていた。「前のめり」になるほど歯が減ってしまった下駄を穿いて走りまわる、それが暮れの十二月ということだった。下駄は年末まで穿きつぶして新調するのは正月、という庶民の生活がまだ維持されていた時代が掲出句からは想像される。靴ではなくまだ下駄が盛んに愛用されていた、私などが子どもの時代には、平べったくなるまで穿きつぶして、正月とかお祭りといった特別のときに、新しい下駄を親が買って与えてくれた。前のめりになって、慌ただしく走りまわっている姿が哀れでありながら、どこか微笑ましくも感じられる。二六の句には他に「短日や人間もまた燃える薪」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)
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