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January 1612016

 橙の灯いろしぼれり牡蠣の上

                           飴山 實

ともはやおいしそうな句だ、そして美しい。橙を牡蠣の上にきゅっとしぼった、と言っているだけなのだが、大ぶりの牡蠣にやさしい光をまとった橙の雫が数滴落ちて、牡蠣の身はよりいっそうふっくらと輝いている。牡蠣好きにはたまらないがやはり、灯いろ、の方が、灯色、より果汁のとろりとした自然な感じが出て、しぼれり、へのつながりも絶妙だ。生牡蠣にはレモンが添えられることが多いが、以前橙酢というのをいただいてそれがお刺身にとてもよく合ったことを思い出した。個人的には生牡蠣は何もかけずに塩味で食べるのが好みだが、今度橙を試してみたいと思う。『鳥獣虫魚歳時記 秋冬』(2000・朝日新聞社)所載。(今井肖子)


January 1512016

 可惜夜のわけても月の都鳥

                           黛まどか

惜夜(あたらよ)は明けてしまうのが惜しい夜という意味。余白に恋の一夜を感じさせる。川は大川(隅田川)の波間に岸辺の灯り、雲間には月光が辺りを照らしきらめいている。眠れないのか都鳥が乱舞している。因みに都鳥はユリカモメのこと。冬鳥で河口近くや海岸に生息し、春になると頭が黒くなる。伊勢物語の「名にし負はばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」と昔から恋にからめた鳥として知られる。語りても語り尽せぬ二人の夜が更けてゆく。月よ都鳥よ値千金の今宵の時を止めてくれ。可惜夜は可惜夜ゆえに尊さがあるのだが。他に<行きたい方へそれからのしゃぼん玉><さくらさくらもらふとすればのどぼとけ><さうしなければ凍蝶になりさうで>など所載。『忘れ貝』(2006)所収。(藤嶋 務)


January 1412016

 鏡餅開く僧侶の大頭

                           波戸辺のばら

開きは十五日だと思っていたが、関東では十一日という説もある。どちらにしても鏡開きをしてぜんざいを作る家も少なくなっているのではないか。だいたいがマンション暮らしだと床の間もなく鏡餅を飾る場所もない。カビが生えないようパック入りの鏡餅をテーブルに置くぐらいだが、この句の鏡餅は床の間に飾られた立派な鏡餅でないといけない。もとより僧侶の大頭で鏡餅をかち割るのではないけれどこう並列に並べられてみると、別別の事項であっても連想が結びついて笑ってしまう。僧侶の大頭でかち割られた鏡餅は豪快に砕けそうだ。『地図とコンパス』(2015)所収。(三宅やよい)




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