2016ソスN2ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0922016

 形なきものにぶつかりしやぼん玉

                           市川 葉

に浮いたしゃぼん玉がぱちんと割れる。それは単に埃がぶつかったのか、重力によって上部が薄くなって割れたのか、なにか理由があるはずだが、人はそこに不思議ななにかを求めてしまう。それはガラスなどのワレモノとは異なり、しゃぼん玉が一滴の液体から生まれた実体のおぼつかないものであることが大きい。今年は凍っていくしゃぼん玉の映像が評判となった。美しくはあったが、それに違和感を覚えたのはしゃぼん玉に形を与えてしまうことへの不自然さなのだと気づいた。しゃぼん玉は、無にもっとも近い存在でなければいけないのだと思う。空に放たれ、震えるようにはじけていく。それらはまるで壊れやすさまでもが美の一端となっている。〈雪兎勝手に溶けてしまひたる〉〈生ビールいつも地球のどこか夜〉『市川葉俳句集成』(2016)所収。(土肥あき子)


February 0722016

 春林の遠空を見つ帯を解く

                           飯田龍太

書に、四万温泉三句とある一句目です。男の句だなと思います。それは、「春林」に漢詩っぽい語感があり、「遠空」に青年的な眼差しがあり、「見つ」「解く」にきっぱりとした切れ味があるからです。いまだ寒き早春の空の下で、素っ裸になっていざ湯に入らんとする無邪気な意気込みがあります。それは、二句目につながります。「娼婦らも溶けゆく雪の中に棲み」。昭和三十年の作で、売春防止法が施行される二年前なので、娼婦という言葉も存在も、とくに温泉地ではふつうのことだったのでしょう。娼婦たちが雪の中の温泉で浄化されているであろう様を、男目線で描いています。三句目は、「男湯女湯の唄睦み合ふ雪解川」です。板塀で仕切られた露天も、女湯からは娼婦らの唄が聞こえてきて、そのうちに睦み合うように声が重なり合います。湯は仕切られていても、唄で混浴している風流。これが、戦後十年のこの時代のきれいな遊びだったのでしょう。うらやましい。『飯田龍太集』(朝日文庫・1984)所収。(小笠原高志)


February 0622016

 たわたわと薄氷に乗る鴨の脚

                           松村蒼石

の羽根は見れば見るほど複雑な色合いでそれぞれ微妙に違う。鴨の頭のあたりの暗い青緑色を「鴨の羽色」ということを最近知ったが、そんな体に比べて脚は皆一様に明るいオレンジ色で、陸に上がると体と微妙なバランスだ。たわたわ、という言葉はそんな鴨の脚の大きな水かきの質感を、生き生きというより生々しく感じさせるが、その生々しさでより一層薄い氷の下の水に光が満ちてきて、これは薄氷の句なのだとあらためて思う。それにしても、たわたわ、は字面もさることながらあ音を重ねて、声を出して読むと動きが見え音も聞こえて鴨らしい。『寒鶯抄』(1950)所収。(今井肖子)




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