2016ソスN2ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1322016

 春の虹まだ見えるかと空のぞく

                           高濱年尾

の句は、現代俳句の世界シリーズの『高濱年尾 大野林火集』(1985・朝日新聞社)をぱらぱらめくっていて目に留まった。のぞく、という言葉は、狭いところから見るイメージがあり、どこから見ているのだろうと確かめると、年尾集中の最後「病床百吟」のうちの一句であった。「病床百吟」には、昭和五十二年に脳出血で倒れてから、同五十四年十月二十六日に亡くなるまでの作、百十一句が収められている。春の虹は淡く儚いイメージを伴うが、病室の窓からの景色になぐさめられていた作者にとっては、心浮き立つ美しさであったにちがいない。しばらくうとうとしたのか、窓に目をやるともう虹は見えない。ベッドから降りて窓辺に立ち空を見上げて虹の姿を探している作者にとってこの窓だけが広い世界との唯一のつながりであることが、のぞく、という言葉に表れているようで淋しくもある。「病床百吟」最後の一句は〈病室に七夕笹の釘探す〉。(今井肖子)


February 1222016

 逆しまに枝を離るる松毟鳥

                           猪俣千代子

毟鳥(まつむしり)は落葉松の葉先の緑を啄むのでこう呼ばれる。ヒタキ科ウグイス目、つまり鶯の仲間である。10センチ程の日本で一番小さい部類の鳥と言われている。秋から早春にかけて小さな群れを作る。その小柄な身軽さから枝から枝への異動も縦横斜め自在な体制で軽妙になされる。冬から春先にかけて餌の少ない時期は葉もそう茂ってはおらず野鳥の観察には好機である。飽きずに眺めていると、「あ、逆さになったな」と思った瞬間にさっと枝を離れていった。本名は「菊戴」と言うがこの場合は秋の季語として使う。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣)所載。(藤嶋 務)


February 1122016

 恋猫に夜汽車の匂ひありにけり

                           太田うさぎ

の路地で猫が悩ましげな声で鳴くシーズンになって来た。今や家の中だけで外に出さずに飼われる猫が大半で、悩ましげな声に誘われてするりと家を抜け出し何食わぬ顔で戻ってくる猫は少なくなっているだろう。掲句の猫はきっとそんな自由奔放な猫で、まだ寒い戸外から帰ってきて主人の膝に冷えた身体を丸めたのだろう。抱き上げて顔を寄せればひんやりと外気の匂いがする。外から帰ってきた恋猫に「夜汽車」のイメージをかぶせたことで、本能に従い闇を疾走しつつも主人の膝へ帰ってくる猫が健気に思える。遠い旅から戻ってきたのだ。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)




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