2016ソスN2ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1922016

 頬白や人肌ほどに池ひかる

                           雨宮抱星

白(ホオジロ)は一年中見かける鳥であるがその囀りが面白くこれに主眼をおいてここでは春に扱う。スズメよりちょっと大きく栗褐色で、眼の上の二条の白線が特徴である。子育て時には外敵から目を背ける為、自らの擬傷行動で巣を守ったりする。その囀りであるが「一筆啓上つかまつり候」とか「源平つつじ白つつじ」とか聞きなされているのが知られている。実際はチョッチーピーツツチョピーツクとただの鳥の啼き声である。しかし一度人の言葉で聞きなしてしまうと何故か、一筆啓上とか源平つつじとかに聞こえてしまうから不思議なものである。こんな囀りを聴きながら池の畔に立ってみるときらきら光る水面もなんとも柔らかい人肌ほどの光りに見えてしまうのである。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣)所載。(藤嶋 務)


February 1822016

 泣きながらそっと一マスあけはった

                           久保田紺

保田紺さんは大阪の川柳人。四十七歳のときに末期ガンの宣告をうけながらも九年の歳月を生き、数冊の句集をだした。紺さんの「ここからの景色」というエッセイに次の一文がある。「命を限られてからの日々は、確かに辛いものでした。でも決して不幸なことばかりではありません。霧がかかっていた視界は良好となり、好きなものと嫌いなもの。嫌いだと思っていたけど好きなだったもの。必要だと思っていたけれどもそうでなかったもの、そんなものが全部わかるようになりました」句集全体に漂う独特のユーモア、哀愁、やさしさは死への恐怖や不安を乗り越えてのものだった。例えば掲句、泣きながらあけたこの一マスにどれほどの断念があったことか。敬愛してやまない紺さんは闘病やむなく先月亡くなられた。『大阪のかたち』(2015)所収。(三宅やよい)


February 1722016

 母逝きて洟水すゝる寒の水

                           車谷長吉

吉が小説の他に俳句を作り、歌仙を巻いていたことはよく知られている。句集に『車谷長吉句集』『蜘蛛の巣』などがある。掲出句の前書には「二月十六日 母逝く 二句」とある。残りのもう一句は「母逝きてなぜか安心冬椿」。葬儀まで死者の枕辺には水を供えるものだが、二月だから「寒の水」である。「洟水すゝる」のは、母に水を供える長吉かもしれない。悲しみと寒さゆえに洟水がたれてくる。母が逝って「なぜか安心」とはいかにも長吉らしい詠み方で、悲しみを直接表現しなくとも、心は悲しい。涙をこぼす以上の悲しさと寂しさが、そこに感じられる。長吉は昨年五月に急逝した。「連れあい」の高橋順子が遺稿集『蟲息山房から』(2015)をまとめた。未刊の小説やエッセイをはじめ、俳句、連句、対談・鼎談、インタビュー、日記などが収められている。そのなかに86句を収めた俳句「洟水輯」と題されたなかの一句である。「句の構想をねっているときが一番楽しい時である」とも、「発句をしていると、あまり人事のことを考えなくて済むので、心が休まる」とも、エッセイのなかに書かれている。よくわかる。そのあたりが俳人とはちょっとちがうのかもしれない。(八木忠栄)




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