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February 2122016

 少年や六十年後の春の如し

                           永田耕衣

衣、七十二歳頃の句です。現実を反転させてみると、時に奇想が生まれる一例です。前後を入れ換えることによって、句が屹立しています。老人が少年を見れば、ふつうなら六十年前の自分を思うでしょう。私も昔は少年だったと懐かしむ。しかし、これでは凡庸な嘆きです。72-60=12といった単なる引き算になってしまって、詩が成り立ちません。人生の時間には、詩的な時間もあるはずです。俳句はそのための方法です。掲句では、「少年や」の切れに注目します。目の前の少年は十二歳くらい。それは、七十二歳の私とは違う。しかし、私にも十二歳の時があった。今、その年頃を目の前にして、まぶしいくらいに思い出す、人生の春。一方、少年は私を見る。それは、六十年後の少年である。その時、少年は、老人の瞳の中に映っている少年の姿を見いだす。そして、自分は、人生の春という季節に生きていることを学びとる。少年は、人生における少年という位置を知り、老人は、少年の姿を受けとめることによって、その瞳と少年の瞳の間に六十年という歳月があることを差し示す。このとき、十二歳の春も七十二歳の春も、同じ春に生きています。人生に身を委ねるよりも、季節に身を委ねる。耕衣だから、そんな、季語の霊性と超時代性を読みます。『非佛』(1973)所収。(小笠原高志)


February 2022016

 春雨や酒を断ちたるきのふけふ

                           内藤鳴雪

雪といえば、円満洒脱な人柄と共に無類の酒好きであったことが知られており、三オンス瓶に酒を入れどこに行くにも持ち歩いていたという。大正四年十一月三日、ホトトギス婦人俳句会の第一回が発行所で開かれたが、その後句会は長谷川かな女宅で行われるようになり、鳴雪も指導にあたっていた。その折、かな女の御母堂は気配りの細やかなもてなし上手で、酒瓶が空になった頃合いを見計らって目立たぬように三オンス瓶に酒を継ぎ足していた、とは、句座を共にしていた祖母の話の又聞きである。そんな鳴雪が二日も酒を断つとは春の風邪でもこじらせたのかと思ったが、断ちたる、なので、飲めないではなく飲まない、だったのだろう。どんな事情にせよ、春雨ならではの一句である。今日二月二十日は鳴雪忌、青山墓地の一角にある墓前に漂っていた水仙の香など思い出しつつ献杯しようか。『鳴雪句集』(1909)所収。(今井肖子)


February 1922016

 頬白や人肌ほどに池ひかる

                           雨宮抱星

白(ホオジロ)は一年中見かける鳥であるがその囀りが面白くこれに主眼をおいてここでは春に扱う。スズメよりちょっと大きく栗褐色で、眼の上の二条の白線が特徴である。子育て時には外敵から目を背ける為、自らの擬傷行動で巣を守ったりする。その囀りであるが「一筆啓上つかまつり候」とか「源平つつじ白つつじ」とか聞きなされているのが知られている。実際はチョッチーピーツツチョピーツクとただの鳥の啼き声である。しかし一度人の言葉で聞きなしてしまうと何故か、一筆啓上とか源平つつじとかに聞こえてしまうから不思議なものである。こんな囀りを聴きながら池の畔に立ってみるときらきら光る水面もなんとも柔らかい人肌ほどの光りに見えてしまうのである。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣)所載。(藤嶋 務)




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