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February 2722016

 まほろばを見はるかすがに内裏雛

                           篠塚雅世

年ぶり、と箱から出すお雛様。内裏雛と雪洞しか出さなくなってしまった我が家だが今年もテレビの横に並んでいる。榎本其角に〈綿とりてねびまさりけり雛の顔〉、渡辺水巴に〈箱を出て初雛のまま照りたまふ〉があるが、一年で老けてしまったように思うのも変わらず輝いているように感じるのも、いずれもお雛様らしい。掲出句の作者は、飾られている内裏雛が遠くまほろばを見ているようだ、と言っている。これも、気品のある微笑みと鮮やかで静かなたたずまいがいかにもお雛様らしく感じられる。年に一度出会う時、その時々の心の内がお雛様を通してふと見えるのかもしれない。『猫の町』(2015)所収。(今井肖子)


February 2622016

 大渦へ巻き込む小渦春かもめ

                           山内美代子

もめ(鷗)が少し春めいてきた海に遊んでいる。人の肌にはまだまだ寒い海風だが野生の鳥たちは羽毛に包まれて平然と群れ遊んでいる。人の眼には遊んでいると見えるけれど本当は生きるための厳しい生業の中にあるのかも知れない。小さな渦に狙った餌が巻き込まれその渦も大きな渦に吸い込まれてゆく。鷗の餌の追走は果たせるだろうか。人の目にひねもすのたりのたりに見える春の海だが、野生のものにとっては厳しい現実がある春先の海ではある。作者は事の成り行きを見守って佇んでいる。趣あるこの墨彩画と俳句集には他に<定年や少しあみだに冬帽子><雲雀笛園児揃ひの黄の帽子><折り合ひをつけて暮して合歓の花>など生活に詩情が溢れた作品が並ぶ。「藤が丘から」(2015年)所載。(藤嶋 務)


February 2522016

 春雪や吹きガラスまだ蜜のごと

                           津川絵理子

樽のガラス工場を見学したことがある。ちょうど積雪のころでまだ寒い戸外と対照的に工場中は火がかんかんと熾り、長い吹き竿にふーっと息を吹き込むと竿の先に色ガラスがふくらんでいく。飴のように柔らかいガラスの様を「まだ蜜のごと」と表現したことで熱をもったガラス器の触れればぐにゃりと歪んでしまいそうな状態がよく言い表されている。明るく軽い春雪との取り合わせも新鮮だ。「まだ」の一言が単なる比喩を超えた臨場感といきいきとした印象を読み手に残すのだろう。上手く書けている俳句と心に残る俳句の違いは些細なようで大きい。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)




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