2016ソスN3ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0632016

 玉人の座右にひらくつばき哉

                           与謝蕪村

村らしい絵画的な配置の句です。玉人(たますり)は、古代の朝廷に仕えた玉作部(たますりべ)に由来します。縄文時代から作られていた勾玉(まがたま)の素材であるメノウや水晶を細工する職人が玉人です。ところで、掲句は蕪村の王朝趣味というよりも、写実と思われます。江戸時代、蕪村が住んでいた京都では御幸町通・四条坊門に玉人たちが住んでいて、画家であった蕪村は、この立体造形のアーティストたちと交友があり、その仕事ぶりを見学させてもらった時にできた即興の挨拶句なのかもし れません。玉人が硬質な玉を手にして細工している傍らで、椿の花びらが開いています。それは、玉とは対照的なやわらかな質感であり、また、色彩も鮮やかです。玉人の座右にこれを配置したところに、玉人に対する敬意が表れています。椿の美を座右の銘として仕事を続けている姿を表敬しています。『蕪村句集』(1996)所収。(小笠原高志)


March 0532016

 鳩は歩み雀は跳ねて草萌ゆる

                           村上鞆彦

われてみれば確かに、鳩は首を前後に動かしバランスをとりながら歩いているが、雀はふくらんだ小さな体ごと両脚をそろえて跳ねている。鳥は大きさや生活エリアによってウォーキング派とホッピング派に分かれるというが、なるほどホップすると大きい鳥は体力を消耗しそうだし雀のよちよち歩きは見ていても危なっかしい。そんないつでもどこにでもいる鳥の動きの違いに気づくのも、気づいてすこしほっこりするのも早春ならではだろう。草萌、によって見える青が、鳥たちの動きを引き立てている。今日は啓蟄、空も風も大地もその色をゆるめつつあるが、目覚めたあれこれが這い出して来るのはもう少し先かもしれない。『遅日の岸』(2015)所収。(今井肖子)


March 0432016

 雁帰る千年分の涙溜め

                           山下知津子

年分の涙というから個としての自分亡きあと人の世の代々までの哀しい涙である。雁は北の大陸で繁殖し十月半ばを過ぎるころ日本へ渡ってくる。この雁が春三月ころから大陸への帰途につく。ざっくりと秋分に来て春分に帰ると覚えている。思えば2011年3月11日に東北に大震災が襲った。あれからもう五年、今年もまた春が巡って来た。忘れえぬ悲しみの涙を溜めつつ、空の高みを「棹になり鉤になり」雁が帰ってゆく。他に<三月のわが誕生月をかなしめり><あの日まで杉花粉のみおそれゐし><生も死も抱きてしだれざくらかな>など。「俳句」(2014年5月号)所載。(藤嶋 務)




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