2016ソスN3ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2232016

 囀りや屋根に展げし道具箱

                           菅野トモ子

根の修繕でもしていれば当然のこととも思えるが、屋根の上にものがあること自体が不思議に思える。屋根とは家のもっとも高い場所。いわば神聖なる空に触れるところである。その神聖なる場所に、日常中の日常である道具箱なるものがある。鳥たちの安住の地に広げられた道具箱に「なにかしら、なにかしら」とにぎやかに騒ぎ立てている様子がいかにものどかに描かれる。『花吹雪』(2015)所収。(土肥あき子)


March 2032016

 春の山夜はむかしの月のなか

                           飯田龍太

句です。難しい言葉がない。けれども、句に立ち止まってしまう。だから、そう思いました。私は、春の夜の山にいざなわれます。そこは、「むかしの月のなか」にあります。たとえば、平安時代の月明かり。春の夜、山は静かです。植物が芽ばる音も聴こえません。虫たちもまだ、じっとしています。この句は、春の月夜の光の中で、山が静かに在ります。月の光が、やわらかく山をつつんでいます。それが、我が身を包んでもらいたいと願うこの身と重なるのは私だけでしょう。ところで、上五が、「夏の山」、「秋の山」なら、蚊や螢、虫の音などの情報が過多で、そこにいる人が、じっくりと月光の中だけに佇むことは難しく、「冬の山」なら寒いうえに冴え渡る月光が鋭く、「むかしの月のなか」という表現が持つ包容力とは違ってきます。春というぼんやりとした季節、いまだ、植物も動物もぼんやりとしている時節は、森羅万象を包み込んで今も昔もかわらない、そんな普遍性を感じます。『今昔』(1981)所収。(小笠原高志)


March 1932016

 青も勝ちむらさきも勝つ物芽かな

                           中村草田男

芽は、ものの芽、「なにやらの芽といふ心持である」とは、この句を引いた「虚子編歳時記」(1940・三省堂)による。草の芽とも木の芽とも限定されていないが、「木の芽より草の芽についていうことが多い」(俳句歳時記 第四版・角川学芸出版)。そうだったのか、空を見上げた時に目に留まる枝先や遠景の木々の色合いにものの芽感を覚えていたので、草の芽と言われてすこし戸惑った。しかしいずれにしても、芽吹くといえばいわゆる青、つまりは緑という印象があるところを、むらさき、といったところに、ものの芽の仄かな紅が滲み出て瑞々しい。枯色から次第に息づくその力が、勝つ、という強い表現を重ねることで躍動感をもって伝わって来る。(今井肖子)




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