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March 2632016

 コンサート星の朧を帰りけり

                           平川玲子

の夜の朦朧とした感じを表す朧。朧夜、というと朧月夜のことだが、草朧、谷朧、鐘朧、など様々なものの茫とした感じを表すおぼろである。掲出句、コンサート会場から出て興奮冷めやらぬまま大きく深呼吸しながら夜空を仰いだ作者に、春の星が瞬きかけている。星が見えているのだから月も出ていたかもしれないが、コンサートの余韻に包まれながら帰路につく作者には、朧月より小さな星々のやさしい光の方がしっくりきたのだろう。星の朧、というと、星が出ているなんとなく潤んだ夜気の中を歩いている、といった趣になり、帰りけり、の切れに軽い足取りも感じられる。『南日俳壇』(「南日本新聞」2016年3月24日付)所載。(今井肖子)


March 2532016

 雀の子拾ひ温さを持て余す

                           勝井良雄

に孵化する子雀は巣立ちしても暫くは親雀の世話を受けながら育ってゆく。生存競争に負けない様に精一杯首を出して親の餌を奪い合う宿命を負っている。身を乗り出し過ぎて巣からこぼれる事もしばしばである。ここで休話閑題。遠い記憶で会社が終身雇用・護送船団で成立していた頃の話し。工場の雨どいにあった巣から子雀が落ちた。拾ったはいいがどうしよう、こちらの手からパンくずなど食べては呉れない。これを経理の女子事務員が見事に解決育ててしまった。彼女は様々な難関を乗り越えていった。ピンセットを親の嘴に仕立てて見事に捕食させたし、右手で算盤や帳簿を扱い左手の掌で子雀を温め続けた。やがて机から机へ飛び跳ねる頃庭の繁みに返すといつしか親子軍団に打ち解けて見分けがつかなくなった。あの時母性本能は凄いなとつくづく思った。来客時の給仕の時など一時的に預かる事があったが、やはり生物のほんのりした温みが感じられたのを覚えている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣)所載。(藤嶋 務)


March 2432016

 陽炎へわたしの首を遊ばせる

                           小枝恵美子

炎は空気が不均一に暖められて空気に歪みが生じる現象。春の季語になっているのだけど都会生活であまり遭遇したことはなくて、私にとっては観念の現象に近い。考えれば不気味な句である。ろくろ首のように自分の首がにょろにょろ伸びていって地面に揺らめく陽炎に波乗りするかのように浮き沈みしている。そしてそれを見ているのも自分なのだから。春はぬるんだ空気に時間や空間がだらしなく溶けてしまいそうで、何が起こっても「ああ、春だからね」と納得してしまう雰囲気が漂っている。そんな昼に自分の首を切り離して陽炎に遊ばしてしまう掲載句は気持ち悪くも痛快だ。『ベイサイド』(2009)所収。(三宅やよい)




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