April 092016
目つむれば何もかもある春の暮
藺草慶子
個人的なことだがつい先日の旅先での母の話を思い出した。日々の暮らしの中では、明日は句会へ行くとかあれが食べたいとか牛乳を買ってきてとか電球が切れたとか、そんな会話で明け暮れるわけだが非日常の旅先では、たとえばドライブをしながら昔のことを話す。登場するのは、もう記憶の中でしか会えないたくさんの人々や、既に無くなってしまった昔家族で住んでいた家などなど。なにもかも今は存在していないが、少し目を閉じるときっと鮮やかに思い出されるのだ。それは、ただ懐かしい思い出とかありありとよみがえる記憶というよりまさに、何もかもある、であり生きて来た現実なのだろう。春の夕日を遠く見ながらそんなことを思った。〈花の翳すべて逢ふべく逢ひし人〉。『櫻翳』(2015)所収。(今井肖子)
April 082016
低く低くわれら抜きたりつばくらめ
斎藤悦子
つばくらめは燕。人家か人に近く営巣するので滞在中は家族同様の親しみを受ける。燕は飛翔しながら飛翔中の昆虫を捕えて食べる。虫は気象状況に応じて地面に近く又は高く飛ぶ。今日はだいぶ低い所を飛び回って捕食している。歩行者にぶつかりそうでいていて見事に切り交して行く。おや今度は腰あたりの低さで抜いていったぞ、とわれらは感心するのである。斎藤悦子氏が詩人仲間に俳句作りを提案して、インターネット上で俳句の集いを始めた。種本はその仲間たちの句が収録されて上梓された書籍中の一句である。<モノクロの蝶の訪れ初夏の窓・かんちゃんこと高橋実千代><満月やわが細胞の動き出す・塚原るみ><あぢさひや嫁ぐつもりと父に言ひ・森園とし子><姿なき口笛の今朝は野バラね・齋藤比奈子><焼芋をふたつに割れば姉の顔・越坂部則道>などなど「亡き友人かんちゃん」の仲間たちの句集である。メモルス会他著『かんちゃんと俳句の仲間たち』(2010)所載。(藤嶋 務)
April 072016
クローバーに置く制服の上着かな
村上鞆彦
今日、明日あたり入学式の学校が多いのではないか。真新しい制服に身を包みなじみのない集団に身を投じての学校生活が始まる。この頃はつらいニュースも多いけど思っても見なかった出会いもあり心弾ませて毎日を過ごしてほしいものだ。さて掲載句は新しく萌え出たクローバーの上に腰を下して制服の上着を脱いで置くという簡単なものだが、そこに春の明るい日差しと暖かさ、おそらくは上着を脱いで友と語らう若い人の快活な様子も想像されて好ましい。クローバーはシロツメグサとも言い春になると萌え出る柔らかい若葉が嬉しい。幸せが約束されると四葉のクローバーを探したり、もう少し季節が進むと白い花を摘んでせっせと花冠や首飾りなど編んだ。校庭や野原で外遊びする子供のいい遊び相手であり、初々しい人たちに似合いの植物だ。『遅日の岸』(2015)所収。(三宅やよい)
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