2016N5句

May 0152016

 掌になじむ急須や桜餅

                           小寺敬子

本の日常です。しかし、桜餅をいただく儀式のようでもあります。桜餅をおいしくいただくためには、万古焼きの急須で、緑茶の旨味を引き出さなくてはなりません。そう思うと、かつては当たり前だった午後のひとときや来客へのおもてなしが、今では特別の所作になっているように思われます。コーヒーを入れるときも紅茶を入れるときも、ポットの取っ手を握って湯を注ぎます。両方とも高温でこそ香りと味わいが届きます。それに対して緑茶の場合、熱湯も一度茶碗で冷ましてから湯を入れるので 、ゆっくりじっくり茶葉の開きをしばらく待って、急須が掌になじみはじめて茶をいただく頃合いとなります。茶人によれば、お茶はゆっくり入れて、最後の一雫まで出し切ることがおいしいお茶のコツと聞きました。あらためて掲句を読むと、描かれている全てが掌の中に納まっています。句は、ここで完結していながら、これから桜餅の甘みが舌に届いて緑茶の渋みがその甘みを抑制しつつ、また一口、桜餅をいただくうれしさを予感させています。掌の中にあるしあわせ。これは、俳句サイズのしあわせです。そして、たぶん、多くの人が、これくらいの、掌くらいのしあわせを、しあわせというように思います。『花の木』(2002)所収。(小笠原高志)


May 0352016

 萌えに萌ゆ八十八夜の大地かな

                           竹内正與

岡生まれゆえ、朝な夕なに茶畑を見て育った。山腹を幾本も横切る茶畑が摘み頃になると、まるで大きな若草色の芋虫がごろりと横たわっているように見える。掲句の「萌えに萌ゆ」は土地への讃歌であり、大気がいま、あらゆる若葉の生気に満ちていることを予感させる。今年の八十八夜は5月1日だったが、ふるさとではきっと八十八夜の茶摘みが行われていたことだろう。つやつやと輝く美しい茶の新芽がやわらかに摘み取られていくと、山はすっぽりと茶の芳香に包まれる。新茶を入れるときに漂う香りは茶山の大地が立てる香りでもある。『鰯雲』(2016)所収。(土肥あき子)


May 0452016

 童子々々からたちの花が咲いたよ

                           北原白秋

謡「からたちの花」の作者白秋ならではの俳句と言っていい。「♪からたちの花が咲いたよ/白い白い花が咲いたよ」ということを、童子たちに呼びかけて念を押しているばかりでなく、その歌をうたっている童子たちには、歌の作者が誰かを知らない子もいるだろうから、さりげなく「その歌の作者は私だよ」とも言っているようでもある。「からたち」の名前は知っていても、五弁の白い花が咲く実物までは、案外知らない大人も童子も少なくない。この句がもつ軽さには無理が感じられなくていい。白秋らしくうたっている。からたちの花の香りも匂ってくるようだ。芭蕉が「俳諧は三尺の童にさせよ」と言った言葉をふと思い出す。そういえば、三尺の童たちが近年あちこちで俳句をがんばっているではないか。白秋には俳句が多いけれど、からたちの花ばかりでなく「蓮咲くや月に在所の朝けぶり」がある。関森勝夫『文人たちの句境』(1991)所載。(八木忠栄)


May 0452016

 童子々々からたちの花が咲いたよ

                           北原白秋

謡「からたちの花」の作者白秋ならではの俳句と言っていい。「♪からたちの花が咲いたよ/白い白い花が咲いたよ」ということを、童子たちに呼びかけて念を押しているばかりでなく、その歌をうたっている童子たちには、歌の作者が誰かを知らない子もいるだろうから、さりげなく「その歌の作者は私だよ」とも言っているようでもある。「からたち」の名前は知っていても、五弁の白い花が咲く実物までは、案外知らない大人も童子も少なくない。この句がもつ軽さには無理が感じられなくていい。白秋らしくうたっている。からたちの花の香りも匂ってくるようだ。芭蕉が「俳諧は三尺の童にさせよ」と言った言葉をふと思い出す。そういえば、三尺の童たちが近年あちこちで俳句をがんばっているではないか。白秋には俳句が多いけれど、からたちの花ばかりでなく「蓮咲くや月に在所の朝けぶり」がある。関森勝夫『文人たちの句境』(1991)所載。(八木忠栄)


May 0552016

 遠くから来た人の靴アマリリス

                           吉野裕之

きな花弁の赤いアマリリスの鉢植えを見かける季節になった。アマリリスという花の名はおとぎ話に登場する主人公のようで、甘やかな響きを持っている。掲載句は玄関にある客人の靴だろうが、子供のころ学校から帰って家族の靴と違う靴が揃えて置いてあると、ふすまを細めに開けて客間を覗いたものだ。来客は日常とは違う空気を運んでくる。玄関先の靴とアマリリスの取り合わせと考えると身近な日常の風景であるが、「遠くから来た」という表現がリリカルで、距離だけでなく過ぎ去ってしまった昔からやってきた人の靴に思えて、どこか懐かしい。『みつまめ』(2015)立夏号所載。(三宅やよい)


May 0652016

 昼を打つぼんぼん時計鴉の巣

                           近本セツ子

は春先から繁殖期に入り、大木の高い所に小枝を椀状に編み上げて五十センチ程の大きな巣をつくる。前年の巣を利用してより大きくなった巣もある。そんな鴉の巣が見える人家がある。忙しなくデジタルに展開する世間を他所に、そこには取り残された様なゆっくりとした時間が流れる。壁の柱のぼんぼん時計もその象徴の一つだろう。広い家の庭からは梢に出来た鴉の巣が見える。戸主が居て長男が後を継ぐ世界を経て来た。恐らくは大家族の時代があったろう。それも今は昔、若い者が次々と都会へ出て、この家の家族構成も移り変わった。少人数世帯、老人だけが居残っただろうか。相変わらずのアナロク時計がボンとなり昼を告げた。<冬草や時計回りの散歩道><木の国の春の音かも時計鳴る><壊れたる銀の時計に春遅々と>。俳誌「ににん」(2015年春号)所載。(藤嶋 務)


May 0752016

 手を空にのばせば我も五月の木

                           飯田 晴

誦していたつもりだった掲出句だがいつのまにか、空に手をのばせば我も五月の木、と覚えていた、まことに申し訳ないと同時にあらためて自らの言語センスのなさを実感している。手を空に、だからこそ初夏の風を全身で受け止めながら立つ作者の、思い切り伸ばした指の先の先が空にふれようとしているのが見える。五月の空は澄みきっている日ばかりではないけれど、この句にあるのは空から木々へ渡り来る新緑の風だ。掲出句が生まれてから十年ほどの月日が流れていると思われるが、また新たな風を感じながら、その手を五月の空へ大きく伸ばしている作者であるに違いない。『たんぽぽ生活』(2010)所収。(今井肖子)


May 0852016

 夏来たる草刈り鎌で縄を切り

                           池田澄子

が来た、と感じるのはどんな時でしょう。衣替え、クールビズ、電車の中で半袖姿が目立ち初めた時。「冷やし中華始めました」のポスターが貼られ、麦茶で喉を潤す時。クーラーをつけるにはまだ早いけれど、網戸で風を入れる時。今年はいつ、どこのビアガーデンに行こうかと考え始める時。一方、掲句の場合、自らの手で夏の到来を宣言していて強い。上五はふつうに始まりながら、中七以下の言葉遣いは文字通り切れ味が鋭い。語の選び方と組み合わせが抜群です。なかでも「縄」に注目します。この縄は、どんな用途で使われたのか。縛ったのか、束ねたのか、仕切りなのか、巻いたのか。繋いだのか、吊るしたのか。句では、そんな実用性よりも、縄を切ることで季節の円環を一度断ち切って、新しい一季節を迎えようとする象徴として、とらえられます。これから田植えが始まり、やがて、収穫された稲藁は干され、より合わされて縄になります。それを切り、夏を迎える。これはまた、一年かけて稲を使い切ったということにもなるのでしょう。「たましいの話」(2005)所収。(小笠原高志)


May 1052016

 龍天に登る背中のファスナーを

                           嵯峨根鈴子

は春分の頃に雲を引き連れ天へと登り、秋分の頃に地に下り淵に潜むとされる。中国後漢時代の字典による俳人好みの季題である。しかし、作者は伝説上の生きものをとことん身近に引き寄せる。あるときは背中のファスナーに住みつき、またあるときは〈龍天にのぼる放屁のうすみどり〉と、すっかり飼いならされた様子となる。今頃はおそらく作者の家の欄間あたりに身を寄せているのではないか。なんというファンタジー、なんという愉快。目を凝らせばこのような景色が見えるのかもしれないと、慌てて見回してみれば梅雨入り間近の猫がひきりなしに顔を洗っているばかりである。〈ラムネ壜しぼれば出さうラムネ玉〉〈わたむしに重力わたくしに浮力〉『ラストシーン』(2016)所収。(土肥あき子)


May 1152016

 筍を隠す竹林ぶおと鳴る

                           八木幹夫

の季節はもう終わりだろうか。それにしても「筍が好き」という人はあっても、逆に「筍は嫌い」という人に出会ったことはない。タケノコ、もって瞑すべし。小生も御多分に洩れず、筍の時季にはわしわしと一年分を食べてしまう。ナマでよし、煮てよし、焼いてよし、である。掲出句は、まだ筍が土からアタマをのぞかせるか否かの時季の景であろう。(地上に出た筍を盗難されないように、枯葉や草で隠すケースも考えられるが、ここではそうは解釈しない。)湿った竹林のあちこちで、「これから地上に出るぞよ。用意はよいか。」と言って「ぶお」という音があがり始めているのであろう。筍の可愛いオタケビが聞こえてくるようだ。唐鍬を担いで、ものども竹林へ走れ!である。武満徹は「尺八の音は、竹林を吹き抜けてくる風の音である」という名言を残したが、筍も子どもなりに一丁前に「ぶお」と幼い声をあげているのだろう。今年も筍を買ったり頂いたりして、たっぷりご馳走さまでした。幹夫(俳号:山羊)には他に「野苺の闇まっすぐに我に来る」がある。89句を収めた手作りの山羊句集『海亀』(2016)所収。(八木忠栄)


May 1252016

 コーラ飲むがらがら蛇のようにのむ

                           寺田良治

らがら蛇がいいなあ。コーラを飲むときはラッパ飲みと相場は決まっている。中学生の頃はゲップを我慢しながら瓶を高く上げて飲んでいた。ムリしてそんな飲み方をしたのは、広告や映画のカッコいいアメリカにあこがれていたからか。掲句のがらがら蛇の「がらがら」の音がコーラが喉を通過するときのぎくしゃくした感じにぴったり。ガラガラヘビはテキサスあたりの西部劇に登場する生き物だし。「えっ?!」と思うけど納得感もある。取り合わせとしても擬音語としても効いている。コーラを飲むときのついついこの句を思い浮かべながら飲んでしまいそう。今はもう半分も飲めないと思うけど。『こんせんと』(2015)所収。(三宅やよい)


May 1352016

 鷭飛びて利根ここらより大河めく

                           菅 裸馬

(バン)の体長はハトくらいの大きさ。腋と下尾の白斑が目立つ。全国の池、湖沼、水田、湿地等で繁殖する。草の中や水辺を歩いたり水を泳いで餌を漁る。尾を高く上げクルルクルルとよく鳴きながら泳ぎ、水面を足で蹴って助走してから飛び立つ。この草の中でクルルクルルと鳴く声は「鷭の笑い」と言われてきた。五月から七月にかけて、水草や稲株の間の水中に枯草を重ね皿形の巣をつくり五ないし十個の卵を産む。利根は水源から渓流、清流、肥沃な中流を経て大河の様相となり太平洋へと注がれてゆく。ススキ生い茂る岸辺に鷭がクルルクルルと鳴く声を聞けば利根はさすがに大河の様相を成している。『合本・俳句歳時記三十版』(1990・角川書店)所載。(藤嶋 務)


May 1452016

 葉桜や好きなもの買ひ夕餉とす

                           小川軽舟

成二十六年の一月一日から十二月三十一日まで、一日一句の俳句日記を一冊にまとめた『掌をかざす』(2015)より五月十四日の一句。新緑の風の中、ベランダにテーブルを出して乾杯、という気になるのも今頃だ。そういえば今週始め連休明けの月曜日、そろって仕事が休みで外食でもとぶらりと出かけたのだが結局ベランダでビールとなった。外食に比べれば高いお刺身でも安上がり、などと言いつつスーパーに行きそれぞれ好きなものを選ぼうということになり、揚げ物を家人が手に取っても止めておけばとは言わず、普段買わないようなお惣菜をあれこれ買って帰りテーブルに並べた。買ったものばかりをパックのまま、という後ろめたさはなく美味しいビールが飲めたのも、葉桜がまだ軽やかに光っているこの季節だからこそだろう。前出の俳句日記のあとがきに「俳句はささやかな日常を詩にすることができる文芸である」とある。日々のつぶやきで終わらない四季折々の詩が並んでいる。(今井肖子)


May 1552016

 水換ふる金魚をゆるく握りしめ

                           川崎展宏

う四十年くらい前。日本にまだ歌謡曲というジャンルがあり、アイドル歌手が全盛の頃。伊藤咲子が「もっと強く抱きしめてよ」と歌っていました。西城秀樹も激しい恋に声を張り上げていました。一方で、南こうせつは「あなたのやさしさがこわかった」と歌い、中村雅俊が「心の触れ合い」を弾き語り始めて、穏健派の青年たちは、「やさしさと触れ合い」を一つの信条のように、この言葉を使い始めました。げんざい、大学受験生の論文指導を生業にしている私は、医療系の学生が「患者さんと触れ合って、」と作文してくると、過剰なタッチは別の職種だと判断して、「患者さんに接して」と直します。「触れ合う」という言葉は、歌として音符がついているときは成り立つけれど、話されたり書かれたりすると、じつは形骸化された抽象語であることに気づきます。しかし、掲句の「ゆるく握りしめ」は、命に対するほんとうのやさしさです。ゆるくしっかり掌を使えることが、おだやかな心の表れになっています。『夏』(2000)所収。(小笠原高志)


May 1752016

 立つ岩も寝そべる岩も緑雨かな

                           菅 美緒

雨とは新緑の季節に降る雨のこと。葉に乗る雨粒は緑を宿し、万象は生命の輝きに包まれる。掲句の立つ岩はそびえ立つ岩を思わせるが、もうひとつ寝そべる岩があることで地上の表情がぐっと和らぐ。いかめしいばかりと映っていた岩も、実は思い思い好き勝手なかたちで大地に遊んでいるのだ。同じ雨を浴びればあの岩もこの岩もあの山もこの川も、地上に暮らす仲間のように思えてくる。〈途中より滝をはみ出す水の玉〉〈今年竹黄泉より水を吸ひ上げて〉『左京』(2016)所収。(土肥あき子)


May 1852016

 悲と魂でゆくきさんじや夏の原

                           葛飾北斎

出句はかの超人的絵師・北斎の辞世(90歳)の句として知られる。江戸後期に活躍した謎多い超弩級のこの絵師について、ここで改めて触れるまでもあるまい。掲出句の表記は、句を引用している多田道太郎にしたがっている。特に上五の表記は、茶目っ気の多い多田さんが工夫したオリジナルであると考えると愉快であるけれど、出典が別にあるのか詳らかにしないが、一般には「人魂で行く気散じや夏野原」と表記されている。いきなり「悲と魂(ひとだま)」と表記されると、いかにも奇人・北斎らしさを感じずにはいられない。「気散じ」ということも北斎にかかると、「人魂」とはすんなり行かず、「悲と魂」で行く夏草繁るムンムンした原っぱということになってしまう。芭蕉の「枯野を駆けめぐる」と、北斎の夏の原をゆく、両者の隔たりには興味深いものがある。「枯野」どころか、ムンムンした「夏の原」の辞世の句には畏れ入るばかりである。多田さんはこの句について、「「気散じ」のくらしはできそうもない」とコメントしている。その言葉に二人が重なってくるようだ。ちなみに北斎の法名は「南牕院奇誉北斎」である。多田道太郎『新選俳句歳時記』(1999)所載。(八木忠栄)


May 1952016

 ナイターやふんはりのせる落し蓋

                           嵯峨根鈴子

ロ野球が開幕して二か月がたった。ナイターは球場に行くのもいいし、ほかのことをしながら家のテレビでちらちら見るのも楽しい。さて掲句はナイターを見ながら煮炊きしている鍋に落し蓋をした、それだけのことなのだけど円形の野球場そのものに蓋が被せられた様も想像されて面白い。沸き立つ歓声は煮炊きしてぐらぐら揺れる落し蓋の動きを彷彿とさせる。これが単に鍋に蓋をするだと連想がすぐドーム球場に直結してしまうし、現実をなぞるたとえになり面白くない。「落し蓋」であり、「ふんわり」のせるからいい。この二つの言葉によって離れた場所にあるものが意外性をもって重なりイメージが広がる。台所で料理をしながら毎晩ひいきチームの試合を見ている私の心にヒットした一句だった。『ラストシーン』(2016)所収。(三宅やよい)


May 2052016

 ほととぎす田の水は堰溢れつつ

                           中山世一

トトギスの仲間にはカッコウとかツツドリなどがいて、なかなか遠目には見分けがつきにくい。ただ鳴き声は「カッコーカッコー」とか「トウキョウトッキョキョカキョク」とか「ポポ・ポポ・ポポ」とかなり特徴が出て個性的である。九州以北に夏鳥として渡来し、枯枝や電線にとまり、翼を垂らし尾をあげてくり返して鳴くことが多い。また自分では巣を作らないで、オオヨシキリなどの他の鳥の巣に卵を産み込み雛を育てさせる。これを托卵(たくらん)といい、育てる鳥が仮親となる。気持ち良い風を渡らせて田には水が満々と張られて行く。堰を溢れた水は音を立てながら勢いよく走ってゆく。ほととぎすと言えば眼前は今まさに目には青葉の候、時ぞ今の様をなしている。その他<葭切の声飛び込んでくる三和土><崩れつつ白波走る端午かな><蛍光灯蛇の標本照しゐる>など、俳誌「百鳥」(2014年7月号)所載。(藤嶋 務)


May 2152016

 書くほどに虚子茫洋と明易し

                           深見けん二

年冬号を以て季刊俳誌「花鳥来」(深見けん二主宰)が創刊百号を迎えられた。その記念として会員全員の作品各三十句(故人各十五句)をまとめ上梓された『花鳥来合同句集』は、主宰を始め句歴の長短を問わず全員の三十句作品と小文が掲載されており、主宰を含め選においては皆平等な互選句会で鍛錬するというこの結社ならではの私家版句集となっている。掲出句はこれを機会に読み返してみた句集『菫濃く』(2013)から引いた。作者を含め、虚子の直弟子と呼べる俳人は当然のことながら少なくなる一方であり筆者の母千鶴子も数少ない一人かと思うが、その人々に共通するのは、高濱虚子を「虚子先生」と呼ぶことだ。実際に知っているからこそ直に人間虚子にふれたからこそ、遠い日々を思い起しながら「虚子先生」について書いていると、そこには一言では説明のできない、理屈ではない何かが浮かんでは消えるのだろう。茫洋、の一語は、広く大きな虚子を思う作者の心情を表し〈明易や花鳥諷詠南阿弥陀〉(高濱虚子)の句も浮かんでくる。(今井肖子)


May 2252016

 真清水や薄給の人偉かりし

                           田中裕明

の前の真清水に見入っています。濁りなく、たゆむことなく、少しずつこんこんと透明な清水が湧きあがっている。そこに、地球のささやかな鼓動を見ているのかもしれません。この時、かつて、薄給を生きていた人を思い出しました。それは、父であり、父の時代の人たちです。給料が銀行振込になった1980年代以降も、給料が高い低いという言い方は変わっていませんが(例えば高給取りとか、高給優遇とか、低所得者とか、低賃金など)、一方で、給料袋を手渡されることがなくなったので、その薄さを形容する薄給という言葉は無くなりました。ところで、薄給という言葉には、清貧の思想が重なります。あぶく銭で儲けるのではなく、自分の持ち場を離れず誠実に役割を果たす。しかし、小さな成果だから、労働対価は微々たるもの。けれども、誠実な仕事人は、少ない給料を知恵を使ってやりくりして、無駄のない質素な生活を営みます。ゴミを出さず、部屋の中もすっきり整頓されて、ぜい肉もない。薄給を手にしていた人たちは、それが薄くて軽いぶん、むしろ、手を自由に使えました。針仕事をしたり、日曜大工をしたり、手料理を作ったり。今、真清水を目の前にして、生きものは、清らかな水があれば何とかなる、作者は、そんな思いを持った。『夜の客人』(2005)所収。(小笠原高志)


May 2452016

 両腕は翼の名残夏野行く

                           利光釈郎

と翼と鰭はみんな同じものだという。腕は翼として羽ばたいていたかもしれず、鰭として大海原を泳いでいたのかもしれない。夏野の激しいエネルギーのなかに身をおけば、人間としてのかたちがほんの束の間の仮の姿のようにも思えてくる。男でも女でも、大人でも子どもでもなく、ずっと自由な生きものとして夏野を行く。しかし、ひとたび夏野を出れば、また元のきゅうくつな人間に戻ってしまうのだ。夏の野が見せる束の間の夢である。〈葱坊主みんな宇宙へ行くごとし〉〈万緑へ面打つ鑿をそろへけり〉『夏野』(2016)所収。(土肥あき子)


May 2552016

 陵(みささぎ)の青葉に潮の遠音かな

                           会津八一

書に「真野」とある。佐渡の真野にある順徳天皇の御陵を詠んでいる。承久の変(1221)により、後鳥羽上皇は隠岐へ流され、その皇子である順徳天皇は佐渡へ流された。天皇は二十一年後、佐渡で崩御する。そういう歴史をもつ御陵を、八一は青葉の頃に訪れたのであろう。往時を偲ばせる木々の青葉が繁っている、その間を抜けて海の波音が遠くから聞こえてくる。それは遥かな歴史の彼方からの遠音のように聞こえ、八一の心は往時に遡り、承久の変に思いを致し、順徳天皇が聞いたと変わらぬ波音に、今はしみじみと静かに耳をかたむけるばかりである。八一の句は他に「灌仏や吾等が顔の愚かなる」など多い。上記いずれの句からも、私は新潟市にある会津八一記念館に掲げられている、凛として厳しさをたたえた八一の肖像写真を想起せずにはいられない。関森勝夫『文人たちの句境』(1991)所載。(八木忠栄)


May 2652016

 噴水の奥見つめ奥だらけになる

                           田島健一

の季語の噴水といえば、水を噴き上げるその涼しげな姿を詠むのが定石。それがこの句は噴水の水盤の奥を見つめているのだろうか。変化をつけながら水しぶきを上げて舞う噴水の穂先の華やかさに比べ、落ちる水を受け止める黒っぽい敷石は水面の変化を受け止めながらも不変である。じっと見つめていると視界そのものが「奥だらけになる」見つめている側の感覚に引き込まれてゆくようで私には面白く感じられるが「噴水の奥ってどこ?」「奥だらけって何?」と戸惑う読み手も多いだろう。季語の概念にとらわれずに対象を自身の感覚で捉えなおすことは多数の俳人が詠み込んでゆくなかで季語に付与された本意本情と考えられているものをいったん脱ぎ捨てることでもある。共感を呼び込むには難しいところで勝負している句かもしれない。「オルガン」2号(2015)所載。(三宅やよい)


May 2752016

 目つむりていても吾(あ)を統(す)ぶ五月の鷹

                           寺山修司

とは、タカ科の比較的小さ目のものを指す通称である。タカ科に分類される種にて比較的大きいものをワシ、小さめのものをタカとざっくりと呼び分けているが、明確な区別ではない。日本の留鳥としてオオタカ、ハイタカ、クマタカなどの種がいて、秋・冬には低地でみられる。冬の晴れ渡る空に見つけることが多いので鷹だけだと季語は「冬」の部である。荒野を目指す青春の空に大きく鷹が舞っている。五月のエネルギーが、羽ばたけ、羽ばたけと青年の心を揺さぶる。飽きずに眺める大空には舞う鷹、目をつむっても残像が舞っている。今この新緑の中に何かに魅せられた様に多くの青年達が旅立ってゆく。青年修司は二十歳で俳句を断ち別の思念へと旅立って行った。他に<恋地獄草矢で胸を狙い打ち><旅に病んで銀河に溺死することも><父を嗅ぐ書斎に犀を幻想し>など修治の青春性が残されている。「俳句」(2015年5月号)所載。(藤嶋 務)


May 2852016

 松落葉吹きよせられて海女の墓

                           森 婆羅

読して、海女の墓、に得も言われぬ切なさのようなものを感じた。と同時に、どこまでも続く松林の落葉が一斉に海風に吹かれる音が聞こえてくる。落葉の中にひっそりと立つ苔むした墓はきっと海に向いているのだろう。初めて目にする作者の森婆羅を検索すると、明治十年香川県生まれの俳人であり、香川県には海女にまつわる伝説と共に、海女の墓、と呼ばれる五輪の墓石が遺されていると知った。写真を見ると木漏れ日の中、静かなたたずまいの古い墓石で、墓のある志度寺は四国八十八箇所霊場の第八十六番札所であるという。確かな目で観て作られた句は見知らぬ景をくっきりと立てる。「新歳時記 虚子編」(1951・三省堂)所載。(今井肖子)


May 2952016

 不器用は/如何なる罪ぞ/五月闇

                           鵜澤 博

かに怒っています。手先の不器用さにではありません。自分が、あるいは目をかけている人が、人間関係に不器用なんでしょう。相づちを打てない。愛想笑いをしない。納得のいかない意見には同意しない。旧態依然の悪弊には従えない。この、真っ当な心根のどこが罪なのか、と問うています。ところで、五月闇は、梅雨時の夜、月明かりが厚い雲に隠された闇のことです。ここから、昼の闇にも汎用される使われ方もありますが、掲句の場合は心象風景の闇でしょう。かつて、受験勉強で燃え尽きた新入生は、学生生活にすぐにはなじめず、五月病にかかりました。五月闇は、同じ心のやみですが、それとはちょっと違った意味合いがあります。新入社員たちは新人研修を終えて、それぞれの部署に配属されました。そこには独自の社内ルールが適用されていて、一般常識からみれば到底受け入れることのできない掟に縛られていることもあるでしょう。その現実に直面したとき、純粋さは、不器用さとしてもて余されてしまう。21世紀を迎えても、湿潤な気候風土の日本の社会には、五月闇が存在しています。なお、句集の表記は、横書き三行分けです。『イヴ仮説』(2002)所収。(小笠原高志)


May 3152016

 植田から青田に変はる頃の風

                           名村早智子

年前に流れていたエビスビールのコマーシャルに「日本は風の名前だけでも2000もある国です」というコピーがあった。2000という数字に驚くが、しかし掲句のように名称はないが誰もが明瞭に描くことができる風がそのうえまだある。西洋に「刈りたての羊に風はやさしく吹く」の言葉があるように、頼りなくそよぐ植田に風はなでるように通り過ぎ、元気いっぱいの青田には隅々まで洗い上げるように行き渡る。幼な子が子どもになるまでのほんの束の間、そのとっておきの風は渡る。それはまるで、太陽と大地を両親に持つ苗の健やかな呼吸が、清潔で、みずみずしく、明るい風になっていくようにも思われる。その時期だけの旬の食べ物があるように、その時にしか吹かない旬の風を胸いっぱいに満たしたい。ふらんす堂自句自解2ベスト100『名村早智子』(2016)所収。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます