2016N54句(前日までの二句を含む)

May 0452016

 童子々々からたちの花が咲いたよ

                           北原白秋

謡「からたちの花」の作者白秋ならではの俳句と言っていい。「♪からたちの花が咲いたよ/白い白い花が咲いたよ」ということを、童子たちに呼びかけて念を押しているばかりでなく、その歌をうたっている童子たちには、歌の作者が誰かを知らない子もいるだろうから、さりげなく「その歌の作者は私だよ」とも言っているようでもある。「からたち」の名前は知っていても、五弁の白い花が咲く実物までは、案外知らない大人も童子も少なくない。この句がもつ軽さには無理が感じられなくていい。白秋らしくうたっている。からたちの花の香りも匂ってくるようだ。芭蕉が「俳諧は三尺の童にさせよ」と言った言葉をふと思い出す。そういえば、三尺の童たちが近年あちこちで俳句をがんばっているではないか。白秋には俳句が多いけれど、からたちの花ばかりでなく「蓮咲くや月に在所の朝けぶり」がある。関森勝夫『文人たちの句境』(1991)所載。(八木忠栄)


May 0352016

 萌えに萌ゆ八十八夜の大地かな

                           竹内正與

岡生まれゆえ、朝な夕なに茶畑を見て育った。山腹を幾本も横切る茶畑が摘み頃になると、まるで大きな若草色の芋虫がごろりと横たわっているように見える。掲句の「萌えに萌ゆ」は土地への讃歌であり、大気がいま、あらゆる若葉の生気に満ちていることを予感させる。今年の八十八夜は5月1日だったが、ふるさとではきっと八十八夜の茶摘みが行われていたことだろう。つやつやと輝く美しい茶の新芽がやわらかに摘み取られていくと、山はすっぽりと茶の芳香に包まれる。新茶を入れるときに漂う香りは茶山の大地が立てる香りでもある。『鰯雲』(2016)所収。(土肥あき子)


May 0152016

 掌になじむ急須や桜餅

                           小寺敬子

本の日常です。しかし、桜餅をいただく儀式のようでもあります。桜餅をおいしくいただくためには、万古焼きの急須で、緑茶の旨味を引き出さなくてはなりません。そう思うと、かつては当たり前だった午後のひとときや来客へのおもてなしが、今では特別の所作になっているように思われます。コーヒーを入れるときも紅茶を入れるときも、ポットの取っ手を握って湯を注ぎます。両方とも高温でこそ香りと味わいが届きます。それに対して緑茶の場合、熱湯も一度茶碗で冷ましてから湯を入れるので 、ゆっくりじっくり茶葉の開きをしばらく待って、急須が掌になじみはじめて茶をいただく頃合いとなります。茶人によれば、お茶はゆっくり入れて、最後の一雫まで出し切ることがおいしいお茶のコツと聞きました。あらためて掲句を読むと、描かれている全てが掌の中に納まっています。句は、ここで完結していながら、これから桜餅の甘みが舌に届いて緑茶の渋みがその甘みを抑制しつつ、また一口、桜餅をいただくうれしさを予感させています。掌の中にあるしあわせ。これは、俳句サイズのしあわせです。そして、たぶん、多くの人が、これくらいの、掌くらいのしあわせを、しあわせというように思います。『花の木』(2002)所収。(小笠原高志)




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