2016N56句(前日までの二句を含む)

May 0652016

 昼を打つぼんぼん時計鴉の巣

                           近本セツ子

は春先から繁殖期に入り、大木の高い所に小枝を椀状に編み上げて五十センチ程の大きな巣をつくる。前年の巣を利用してより大きくなった巣もある。そんな鴉の巣が見える人家がある。忙しなくデジタルに展開する世間を他所に、そこには取り残された様なゆっくりとした時間が流れる。壁の柱のぼんぼん時計もその象徴の一つだろう。広い家の庭からは梢に出来た鴉の巣が見える。戸主が居て長男が後を継ぐ世界を経て来た。恐らくは大家族の時代があったろう。それも今は昔、若い者が次々と都会へ出て、この家の家族構成も移り変わった。少人数世帯、老人だけが居残っただろうか。相変わらずのアナロク時計がボンとなり昼を告げた。<冬草や時計回りの散歩道><木の国の春の音かも時計鳴る><壊れたる銀の時計に春遅々と>。俳誌「ににん」(2015年春号)所載。(藤嶋 務)


May 0552016

 遠くから来た人の靴アマリリス

                           吉野裕之

きな花弁の赤いアマリリスの鉢植えを見かける季節になった。アマリリスという花の名はおとぎ話に登場する主人公のようで、甘やかな響きを持っている。掲載句は玄関にある客人の靴だろうが、子供のころ学校から帰って家族の靴と違う靴が揃えて置いてあると、ふすまを細めに開けて客間を覗いたものだ。来客は日常とは違う空気を運んでくる。玄関先の靴とアマリリスの取り合わせと考えると身近な日常の風景であるが、「遠くから来た」という表現がリリカルで、距離だけでなく過ぎ去ってしまった昔からやってきた人の靴に思えて、どこか懐かしい。『みつまめ』(2015)立夏号所載。(三宅やよい)


May 0452016

 童子々々からたちの花が咲いたよ

                           北原白秋

謡「からたちの花」の作者白秋ならではの俳句と言っていい。「♪からたちの花が咲いたよ/白い白い花が咲いたよ」ということを、童子たちに呼びかけて念を押しているばかりでなく、その歌をうたっている童子たちには、歌の作者が誰かを知らない子もいるだろうから、さりげなく「その歌の作者は私だよ」とも言っているようでもある。「からたち」の名前は知っていても、五弁の白い花が咲く実物までは、案外知らない大人も童子も少なくない。この句がもつ軽さには無理が感じられなくていい。白秋らしくうたっている。からたちの花の香りも匂ってくるようだ。芭蕉が「俳諧は三尺の童にさせよ」と言った言葉をふと思い出す。そういえば、三尺の童たちが近年あちこちで俳句をがんばっているではないか。白秋には俳句が多いけれど、からたちの花ばかりでなく「蓮咲くや月に在所の朝けぶり」がある。関森勝夫『文人たちの句境』(1991)所載。(八木忠栄)




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