2016N57句(前日までの二句を含む)

May 0752016

 手を空にのばせば我も五月の木

                           飯田 晴

誦していたつもりだった掲出句だがいつのまにか、空に手をのばせば我も五月の木、と覚えていた、まことに申し訳ないと同時にあらためて自らの言語センスのなさを実感している。手を空に、だからこそ初夏の風を全身で受け止めながら立つ作者の、思い切り伸ばした指の先の先が空にふれようとしているのが見える。五月の空は澄みきっている日ばかりではないけれど、この句にあるのは空から木々へ渡り来る新緑の風だ。掲出句が生まれてから十年ほどの月日が流れていると思われるが、また新たな風を感じながら、その手を五月の空へ大きく伸ばしている作者であるに違いない。『たんぽぽ生活』(2010)所収。(今井肖子)


May 0652016

 昼を打つぼんぼん時計鴉の巣

                           近本セツ子

は春先から繁殖期に入り、大木の高い所に小枝を椀状に編み上げて五十センチ程の大きな巣をつくる。前年の巣を利用してより大きくなった巣もある。そんな鴉の巣が見える人家がある。忙しなくデジタルに展開する世間を他所に、そこには取り残された様なゆっくりとした時間が流れる。壁の柱のぼんぼん時計もその象徴の一つだろう。広い家の庭からは梢に出来た鴉の巣が見える。戸主が居て長男が後を継ぐ世界を経て来た。恐らくは大家族の時代があったろう。それも今は昔、若い者が次々と都会へ出て、この家の家族構成も移り変わった。少人数世帯、老人だけが居残っただろうか。相変わらずのアナロク時計がボンとなり昼を告げた。<冬草や時計回りの散歩道><木の国の春の音かも時計鳴る><壊れたる銀の時計に春遅々と>。俳誌「ににん」(2015年春号)所載。(藤嶋 務)


May 0552016

 遠くから来た人の靴アマリリス

                           吉野裕之

きな花弁の赤いアマリリスの鉢植えを見かける季節になった。アマリリスという花の名はおとぎ話に登場する主人公のようで、甘やかな響きを持っている。掲載句は玄関にある客人の靴だろうが、子供のころ学校から帰って家族の靴と違う靴が揃えて置いてあると、ふすまを細めに開けて客間を覗いたものだ。来客は日常とは違う空気を運んでくる。玄関先の靴とアマリリスの取り合わせと考えると身近な日常の風景であるが、「遠くから来た」という表現がリリカルで、距離だけでなく過ぎ去ってしまった昔からやってきた人の靴に思えて、どこか懐かしい。『みつまめ』(2015)立夏号所載。(三宅やよい)




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