2016N515句(前日までの二句を含む)

May 1552016

 水換ふる金魚をゆるく握りしめ

                           川崎展宏

う四十年くらい前。日本にまだ歌謡曲というジャンルがあり、アイドル歌手が全盛の頃。伊藤咲子が「もっと強く抱きしめてよ」と歌っていました。西城秀樹も激しい恋に声を張り上げていました。一方で、南こうせつは「あなたのやさしさがこわかった」と歌い、中村雅俊が「心の触れ合い」を弾き語り始めて、穏健派の青年たちは、「やさしさと触れ合い」を一つの信条のように、この言葉を使い始めました。げんざい、大学受験生の論文指導を生業にしている私は、医療系の学生が「患者さんと触れ合って、」と作文してくると、過剰なタッチは別の職種だと判断して、「患者さんに接して」と直します。「触れ合う」という言葉は、歌として音符がついているときは成り立つけれど、話されたり書かれたりすると、じつは形骸化された抽象語であることに気づきます。しかし、掲句の「ゆるく握りしめ」は、命に対するほんとうのやさしさです。ゆるくしっかり掌を使えることが、おだやかな心の表れになっています。『夏』(2000)所収。(小笠原高志)


May 1452016

 葉桜や好きなもの買ひ夕餉とす

                           小川軽舟

成二十六年の一月一日から十二月三十一日まで、一日一句の俳句日記を一冊にまとめた『掌をかざす』(2015)より五月十四日の一句。新緑の風の中、ベランダにテーブルを出して乾杯、という気になるのも今頃だ。そういえば今週始め連休明けの月曜日、そろって仕事が休みで外食でもとぶらりと出かけたのだが結局ベランダでビールとなった。外食に比べれば高いお刺身でも安上がり、などと言いつつスーパーに行きそれぞれ好きなものを選ぼうということになり、揚げ物を家人が手に取っても止めておけばとは言わず、普段買わないようなお惣菜をあれこれ買って帰りテーブルに並べた。買ったものばかりをパックのまま、という後ろめたさはなく美味しいビールが飲めたのも、葉桜がまだ軽やかに光っているこの季節だからこそだろう。前出の俳句日記のあとがきに「俳句はささやかな日常を詩にすることができる文芸である」とある。日々のつぶやきで終わらない四季折々の詩が並んでいる。(今井肖子)


May 1352016

 鷭飛びて利根ここらより大河めく

                           菅 裸馬

(バン)の体長はハトくらいの大きさ。腋と下尾の白斑が目立つ。全国の池、湖沼、水田、湿地等で繁殖する。草の中や水辺を歩いたり水を泳いで餌を漁る。尾を高く上げクルルクルルとよく鳴きながら泳ぎ、水面を足で蹴って助走してから飛び立つ。この草の中でクルルクルルと鳴く声は「鷭の笑い」と言われてきた。五月から七月にかけて、水草や稲株の間の水中に枯草を重ね皿形の巣をつくり五ないし十個の卵を産む。利根は水源から渓流、清流、肥沃な中流を経て大河の様相となり太平洋へと注がれてゆく。ススキ生い茂る岸辺に鷭がクルルクルルと鳴く声を聞けば利根はさすがに大河の様相を成している。『合本・俳句歳時記三十版』(1990・角川書店)所載。(藤嶋 務)




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